街へ
「おはようございます、リューネ様……と、アルステルス様」
ジュウトが控えめに部屋の扉を開けて声をかける。最後に付け足すようにアルの名前を呼んだのは、別に彼が嫌いなわけじゃない。ただ、寝起きのアルにはできるだけ関わりたくない――それだけだ。
朝日が差し込む静かな寝室。
いつもならもう目覚めている時間のはずのリューネは、今日はまだベッドの中。しかも、アルにしっかりと抱きしめられたまま、まどろみに沈んでいる。表情はとても穏やかで、夢の中でも幸せそうだ。
婚約してからというもの、こうして一緒に朝を迎えるのも、もう珍しいことではなくなった。
「ん……ジュウト……おはよう……」
リューネはそう呟いたきり、再び眠りの中へゆっくりと戻っていった。もともと寝起きは悪くないのだが、きっと昨夜も遅くまでアルに付き合っていたのだろう。
「本日はアルステルス様とお出かけの予定と伺っておりますが、いかがなさいますか?」
その言葉に、リューネの意識がようやくしっかりと浮上する。
「……そうだった……アル……アル? 起きて、アル」
リューネは完全に目覚めたものの、アルはまるで動く気配がない。
先に自分だけでも起きようと、腕の中から抜け出そうと試みるが――体格差があるせいで、まったく動かせない。
「こんな時、魔術が使えてちょいちょいと起こせたら楽でしょうにねぇ」
ジュウトは苦笑しながら、やれやれと肩をすくめる。
「そうだね。今度デュラテス様に相談してみようかな……」
「………………おきた」
唐突に低い声が響いた。
アルが眉間に深い皺を寄せると、リューネを抱きしめる腕の力をさらに強める。
もともと朝が苦手な上、リューネの口からデュラテスの名前が上がったことで不機嫌さが倍増しているようだ。
「朝から他の男の名前を呼ぶのは禁止」
ジュウトは察しよく、朝食の準備を口実に、そそくさと部屋を出ていく。
「アル、着替えを…」
ようやく起きる気になったアルを促しながら、リューネも簡素で動きやすい服を選ぶ。これは事前にアルから指定されていたものだ。
「朝食の準備ができております。アルステルス様はエスプレッソだけでよろしいですか――」
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「アル……ここは?」
朝食を終えた二人は、転移魔法で街へと降り立った。
リューネには見覚えのない場所だった。クスラウドとは異なる活気に満ち、道を行き交う人々の服装もどこか独特だ。その賑わいに、リューネは思わずきょろきょろと見渡した。
「ルブテールズ中心街。こっち」
アルは辺りを物珍しげに見回すリューネの腰を軽く引き寄せ、すぐ近くのお洒落な店の扉を開けた。
中は、色とりどりの布地が美しく並んだ服飾店。店の主らしき男性が、丁寧に挨拶しながら二人を個室へと案内する。
「1刻後くらいに戻ってくるから、じゃ」
リューネが反応する間もなく、アルはそう言い残してさっさと部屋を後にした。
ぽかんとしたまま立ち尽くすリューネのもとに、すぐさま初老のマダムたちが5人ほど入ってくる。”失礼します”と一声かけるや否や、手際よくリューネの服を脱がし始めた。
「えっ、ちょ、え……!?」
状況が理解できず、目を白黒させるリューネ。
「では、採寸いたしますね」
にこやかに微笑んだマダムの一人が手慣れた動きで採寸を進め、ほかのマダムたちは横で淡々とミントグリーンの衣装の手直しに取り掛かっている。
「ほとんど直さなくても大丈夫ですわね。さすがアルステルス様、婚約者様のことをよくわかっていらっしゃる」
「ほんとうに愛されてますのね、ふふっ」
「素材もデザインも、配色まですべてアルステルス様のご指定ですのよ」
「ご自身の服には無頓着なのに、婚約者様のとなるとこだわりがすごいですわね」
「きっと待ちきれなくて、予定より早く戻っていらっしゃるわよ」
そんな会話を交わしながら、マダムたちはリューネに服を着せていく。
リューネは曖昧に笑いながら、アルが足早に退散した理由をようやく察する。
完成した衣装は、街で見かけた人々と似たデザインだった。スタンドカラーの生成りのシャツはゆったりした袖で動きやすく、巻きスカートのようなミントグリーンのボトムスは、ふんわりとしたシフォンのような素材が軽やかに揺れている。見え隠れする生地は薄いグレー――ここでもきっちりと、アルの瞳の色が差し色となっている。
普段はロングパンツばかり着ているリューネにとって、足元が妙に心許なく感じられた。
「婚約者様は可愛らしいお顔ですから、髪型も少し変えてみましょうね」
マダムのひとりが詠唱を始め、指先でリューネの髪をくるりと巻く。
すると、緩やかなウェーブがふわりと生まれた。その髪をサイドで結い上げ、薄グレーのリボンで飾る。
さらに、腰元にはレースの飾りベルトをゆるく巻き、ついでにとばかり、簡単な化粧まで施された。
靴は歩きやすそうなストラップ付きのサンダル。
仕上がった姿は――王子というより、完全に令嬢そのものだった。
マダムたちは満足げに微笑みながら、リューネの姿を眺める。
「とてもお似合いですわ」
リューネはため息をつきながら、ふわりと揺れるスカートの裾をそっと撫でた。




