リューネ②
クスラウド王国の冬は長く、厳しい。
一年のうち三分の二は凍てつく寒さが国を覆い、冷たい風が石造りの街を容赦なく吹き抜ける。
リューネにとって、冬は病とともに過ごす季節だった。寒さに晒されるだけで発熱し、激しい咳に苦しめられる。だから、冬の間は部屋に閉じこもり、ただひたすら春を待つ日々を送ることが当たり前だった。
十六年間――それが日常だった。
「リューネ様、二刻です。時間厳守でお願いいたします。絶対ですよ?」
従者のいつも通りの忠告に何度も頷きながら、リューネはゆっくりとカフェへと向かう。しかし、今日の足取りは少し重かった。
初冬の気配が漂い始めている。
もしかすると、ここへ来るのは暫く難しくなるかもしれない。
春が来るまで訪れることができなくなってしまうかもしれない。
そう思うと、心の奥底に寂しさがじんわりと滲み出す。何時もの席に座り、何時もの珈琲とクッキーを頼み、サコッシュから本を取り出したが、まるで活字が頭に入ってこない。
読書は早々に諦め、ため息とともに珈琲をゆっくりと口に運ぶ。
(珈琲もクッキーも、別の場所でも食べられるのに…)
それなのに、ここへ来たかったのは何故だろう。
つい先日まで、街は緑に溢れ、空はどこまでも澄み渡っていたのに――今は冷たい風が頬をかすめる。冬が来ることは避けられない、抗うなど考えたこともなかった。ふと、カップに落とした視線が、微かな違和感を捉える。
(……でも、今日の日差しは、なんだか妙にじりじりする?)
不自然な熱気に顔を上げた瞬間、リューネは息を呑んだ。
突然、空気が歪んだ。
気温は確かに低いはずなのに、まるで燃え盛る炉の中に投げ込まれたかのような熱が襲いかかる。身を包む空気は焼けつき、肺に吸い込んだはずの空気が、ただの灼熱に変わって喉を締めつける。
目の前に――炎。
いや、炎ではない。
それは意思を持ち、怒りを孕んだ獣のように牙をむき、唸りながらリューネへ襲いかかっていた。
――いつの間に?!
本を持つ指がこわばる。
身体が金縛りにあったように動かない。
「リューネ様――!!」
遠くで護衛が叫んでいる。その声は酷く歪み、炎の轟音と混ざり合い、まるで夢の中のようだ。
煙が渦を巻き、炎の塊は次々と襲いかかる。視界の端で、カフェの店員が悲鳴を上げて逃げ惑っているのが見えた。テーブルが炎に呑まれ、陶器のカップが次々と砕ける。その破片が足元に飛び散るが、リューネは身を守ることすらできなかった。
――動けない――
足元が震え、膝が崩れそうになる。
肺が焼ける。黒煙が舞う。吸い込むたびに喉が軋み、ひゅう、と声にならない息が漏れた。
その瞬間、目の前に無数の魔法陣が展開する。
幾重にも重なり合った紋様が輝き、繊細な光を放ちつつ、炎の波を次々と飲み込んでいく。燃え盛る塊が触れるたび、煙となって消えていく。しかし、攻撃は止まらない。炎は狂ったように襲い続け、魔法陣を打ち砕こうとしているかのようだった。
視界が揺れる。
リューネは必死に焦点を合わせようとするが、混乱が思考をかき乱す。
自分が狙われている?
なぜ?どうして――
次の瞬間。
ふわりと身体が浮き上がった。
腕がしっかりと背中に回され、支えられる。
「飛ぶぞ」
耳元に響いたのは、深く、低く、腹の奥底にまで染み込むようなバリトン――。
意識をかすめるのは、あの声。
二月前、初めて聞いた、あの美しい声だった。