非日常
「おはようございます、リューネ様」
ジュウトが静かに部屋へ入ってくる。
窓から差し込む朝の光は穏やかだが、城の空気がどこか落ち着かない。
「ねえ、今日はなんだか城の中が騒がしく感じるけれど。何かあるの?」
リューネは食卓のテーブルに向かいながら、ジュウトへ視線を向けた。
「他国からお客様が朝早くからいらっしゃっているようです。リューネ様もご挨拶をされることになりますので、こちらのお召し物にお着替えくださいませ」
ジュウトは恭しく衣装を広げる。
リューネはじっとその服を眺めた。
「他国のお客様?国賓?事前にそんな話はされていなかったように思うのだけれど…」
疑念がよぎる。リューネが客人の席に同席する事は極稀な事だ。
衣装を改めて見つめ、ため息をつく。
「この服は正装だね……会わなくて済むとか……」
ちらりとジュウトを伺うが、彼は静かに首を横に振った。
「その前に国王様にも呼ばれております。その後、お会いすることになるかと思われますので――免れることは難しいかと。」
逃げ道はない。
「……こんな時に限って、私は病に臥せっていないなんて……」
思わず零れた言葉に、ジュウトは苦笑いする。
食事に手をつけるが、気が乗らず、なかなか食べ終わらない。
「リューネ様、嫌なことはさっさと終わらせてしまいましょう?ただちょっとご挨拶するだけです。そう思えば気が楽になりますでしょう?」
だが、リューネは小さく首を振る。
「父上が関わっている事柄で、さっさと済むような要件なんてないよ……」
国王の普段の素行が良くないため、信頼していないのだ。
ジュウトはわずかに肩をすくめ苦笑を浮かべ、リューネへと静かに提案する。
「それでしたら、本日は髪型も変えて……編み込みをしてみましょう。少しは気分が上がりますよ。リューネ様の御髪は美しいですからね。今日は、私の腕の見せ所です」
その言葉に促されるように、リューネはゆっくりと朝食を終えた。
だが、食べ終えた実感がほとんどない。
気を張り詰めていたせいだろうか。
ジュウトに支えられるようにして、正装へと着替える。
衣装は 濃紺を基調 とし、細部に渡り繊細な刺繍が施されている。
少しフェミニンな雰囲気を残したデザインの、白いドレープが効いたロングパンツはゆったりとした作り。
身に纏うと、まるで新しい鎧をまとったような気がした。
だが、リューネの内心は決して整わない。
ジュウトの手による編み込みは、薄灰色の細めのリボンとともに織り込まれ、一層華やかな印象を纏う。
「とてもお綺麗です、リューネ様」
ほうっと息を漏らし、ジュウトは満足げに微笑んだ。
――リューネは鏡の中の自分を見つめながら、ほんの少し口元を引き結ぶ。
丁度仕上がったころ、国王からの使いが謁見の間へと誘導するために訪れる。
リューネは逃げ出す機会を伺った。
だが、ジュウトが後ろにがっちりと控えている。
その試みは、あっさりと無駄に終わった。
「おおお、リューネ。来たか、うんうん」
国王の声は、変わらず豪快だった。
「今日は一段と美しいね。さすが儂の自慢の息子。堅苦しい挨拶は要らん。楽にしてくれ」
相変わらず軽い口調の父に、リューネはぎこちなく笑い、「はい。ありがとうございます」とだけ返す。
国王の横にはレステュユルニが控えている。
だが、その表情は硬く、普段の穏やかさはどこにもない。
不穏な空気を感じ取った瞬間、リューネの心の奥に嫌な予感がよぎる。
そして――
「リューネ、他国より客人が来ているのは聞いているね?実はね、そのお客人――リューネの婚約者殿なんだよね」
「こ……んや……くしゃ……?」
リューネはその部分だけをオウム返しに呟き、視線が宙を彷徨う。
理解が追いつかない。
呼吸が浅くなるのを感じる。
レステュユルニはすぐにリューネの様子を察し、心配そうに見つめる。
だが、国王の説明は容赦なく続いた。
「そう、この間急に決まっちゃったんだけどね――」
その時、リューネの耳は 国王の言葉を拒絶していた。
何を言っているのか、もう聞こえない。
ショックのあまり、身体は硬直し、立っているのが精一杯だった。
「お相手、なかなかいい男だったよ。25歳の割には若く見えたかな。さっきレステュユルニと会ってきたんだけどね。国と国との結びつきを強固にする婚姻だから、リューネ、そこんところヨロシク!」
リューネの顔は、真っ青を通り越して真っ白になっていた。
まるで血の気がすべて引いてしまったかのように――。
立ったまま、気絶しているのではないか。
レステュユルニは心配になり、すぐに駆け寄る。
「父上の話、すべて聞いていたか?」
リューネの視線は床を見つめたまま、微動だにしない。
「リューネ、おい」
ぺちぺちと頬を軽く叩かれる。
その衝撃で、ようやくリューネはレステュユルニへ視線を向けた。
だが、その瞳はまだどこか虚ろだった。
「おにい……さ……ま……?」
かすかに震えた声が漏れる。
「父上の話、すべて、詳細も聞いていたか?」
リューネは小さく瞬きをし、何度か言葉にならない息を吐き――
「お父様……婚約者って……?」
やっと、まともな言葉を紡いだ。
レステュユルニは静かに頷く。
「そうだ。貴賓室で、お前を待っている」
その言葉が現実として突き刺さる。
リューネは唇を震わせながら、ゆっくりと視線を落とす。
「……さあ、あまりお待たせしてはいけない。リューネ?」
背を押されるようにして、一歩を踏み出す。
ふらふらとした足取りのまま、レステュユルニに連れられ、貴賓室へ向かう。
頭の中は、アルのことで埋め尽くされていた。
婚約者様にどう話せばいい?
アルがいることをどう説明すればいい?
想い人がいることを、どう伝えればいい?
この気持ちを抱えたまま婚約者様と上手くやっていけるだろうか?
そのことばかりが、脳内を巡り続ける。
貴賓室までの短いこの廊下が死刑台へにでも続いているかのように足取りは重い。
「リューネ、この扉の先は、お前一人で行きなさい。私とジュウトはここで待っているよ」
扉の前で立ち止まり、ゆっくりとレステュユルニとジュウトを見つめる。
彼らは静かに頷き、リューネを見送る構えだった。
(王族として、この話は断れない。充分と言うほど承知している)
アルと出会う前は、国益のための婚姻も仕方ないと思っていた。
だが――こんな形で。
こんな形で、全てが決まってしまうなんて。
せめて。
せめて、お相手様が僕の話を聞いてくれる寛容な方でありますように。
深く息を吸い込む。
覚悟を決めて――
リューネは扉を開けた。




