第19話
「はい、これでいいんだろ?」
そうして差し出されたのは、アイスココアだった。
確かに凛は今、アイスココアが飲みたい気分だったので、差し出されたそれを見て驚きを隠せない。
「何、びっくりしてんだよ。おまえ、いつもこれだろ?」
凌空は不思議そうに凛を見ながら、席に座り、自身用に買ったドリンクを飲む。
(そう、なんだ……)
凛はココアが好きだし、よく飲みたくもなる。
ただ、いつも、飲みたいかと言われると違っていた。
時には、違うものを飲んでみたくなる時だってあるものだ。
しかし、元々のこの身体の持ち主である藍沢 凛は、どうやらいつもココアだと決めているようだ。
「飲まないの?」
「ううん、飲むよ!」
凛は慌ててココアを一口、口に含む。
「おいし」
ほんのりと広がる甘みに、ほっとするような気がした。
「凌空は、やっぱりコーラ?」
「うん」
「好きだよね、コーラ。ちっちゃい時から、ずっと」
「まぁ、な……」
幼い頃の話が出てきたせいか、凌空は少し決まりが悪そうに視線を逸らした。
ほんのり顔も赤くなっている気がして、凛はそんな凌空の様子をなんだかかわいいと思ってしまう。
本人に言えば、機嫌が悪くなってしまいそうなので、言わないけれど。
「いつの間にか、凛の家にも、当たり前にコーラが常備されるようになったもんな……」
「今もあるよ。いつ凌空が来てもいいように、ってママが切らさないようにしてるもん」
「凛の家、誰もコーラ飲まないのに、よくやるよな……」
きっかけは、凌空がはじめて凛の家に遊びに来た日。
何が飲みたいか聞かれ、凌空は正直に一番好きな飲み物であるコーラと答えた。
だが、その時、凛の家にはコーラなんてなかった。
その日は凛と一緒に、凛が好きだと言うりんごジュースを飲んで終わったのだが、2回目以降は必ずコーラが用意されるようになったのだ。
今思えば、あの時コーラなんて答えず、なんでもいい、と言えばよかったのだ。
後から、いくら凛と同じりんごジュースでいいから、わざわざ買わなくていい、と訴えたところで凛の母は受け入れてはくれなかった。
ちなみに、凌空と同じく凛の家に頻繁に訪れる結芽は、凛の飲むりんごジュースが家では出ない物珍しいものだったこともあり、凛の家で飲んだことをきっかけにりんごジュースが好きになってしまった。
自身の家では弟たちにあわせて他のジュースになってしまうため、凛の家で飲むりんごジュースは幼い結芽にとって貴重な楽しみでもあったようである。
そのため、わざわざ別に飲み物を常備してもらっているのは、凌空だけなのである。
「あ、でも、ごく稀に、だけどパパが飲んだりすることあるよ」
「本当に稀に、だろ。あるから飲んでみようくらいの」
「うん。でも、気分が変わっていいって、凌空に感謝してたよ、パパ」
「おじさんらしいな。でも、俺、コーラも好きだけど、おばさんが作るトマトジュースも、結構好きだったな」
「あ、私も好き。ほんのり甘くて、普通のトマトジュースより、飲みやすいの」
お店で売っているようなトマトジュースはあまり好きになれなかった凛も、母が飲みやすいようにと試行錯誤の上作ってくれたトマトジュースは、はちみつの甘さがほんのり感じられてお気に入りだった。
そもそも、凛が好きなのはりんごジュースだったけれど、身体のことを考え毎日飲むことは許可されていなかった。
そのため日によっては凛だけ、母の作ったトマトジュースになることがあった。
それを見ていた凌空が、凛がトマトジュースの日は自分も同じにして欲しい、と言い出したのがきっかけで、トマトジュースの日は3人ともトマトジュースを飲むのが当たり前になっていた。
もっとも、最近では凛はお茶や白湯でもよくなってきたため、ジュース自体を飲む頻度が減っており、あまり飲むことはなくなったのだけれど。
その代わり、お出かけした時は、こうして外でアイスココアを飲むことが、ちょっとしたご褒美になっている。
コーヒーや紅茶は好ましくないが、ココアならたまにはよいだろうと、医師に許可を貰ったのだ。
「思い出したら、久々に飲みたくなったかも」
「ふふ、私も」
そう言いながら、またココアを口に含み、凛はそこであれ?と思った。
(待って、今の、誰の話……?)
凛は、そもそも凌空がコーラが好きなんて知らなかった。
出かけた先で、飲み物を飲む様子は漫画に描かれていたけれど、中身がコーラだと言及した描写なんてなかった。
幼い頃からコーラが好きだなんて設定も、どこにも書かれていなかったはずなのだ。
何より、この世界の本来の凛が、りんごジュースやトマトジュースを飲んでいた記憶なんて、凛はそんなに鮮明に見た覚えなんてなかった。
それなのに、凌空と話しているうちに、自身が経験したかのような懐かしさとともに思い出された。
トマトジュースなんて、その優しい甘さまでも、思い出されている。
(飲んだこと、ないはずなのに……)
凛は、この世界に来て、まだ一度も口にしていないはずだ。
(もしかしたら、勝手に味を想像しちゃってるだけかもしれない)
記憶だって、たまたまタイミングよく、いやもしかしたら会話していたからこそ、当時の記憶が上手く見れていただけかもしれない。
この身体の記憶を見るより先に、自然と言葉が出てきたような気もしたが、それも気のせいかもしれない。
凛は、自身に言い聞かせるように、そう思い込んだ。
「帰ったら、ママに、頼んでみようかな」
今日でなくてもいい。
近いうちに一度飲んで、想像通りの味なのか確かめておきたい。
そんな思いから、凛はそう呟いていた。
たわいもない会話をしながら、のんびり休憩を楽しんでいると、凛のスマホがぴこんと音を鳴らし、通知を告げる。
確認しようと凛がスマホに手を伸ばすと、追いかけるかのように凌空のスマホからも音が鳴った。
見なくても誰からの通知かわかる気がして、凛と凌空は思わず顔を見合わせた。
「やっぱり、結芽だ」
通知は結芽からのメッセージを知らせるもの。
すぐに開くと、そこには文字はなく、ただ1枚の写真が送信されているだけだった。
どちらともなく、凛と凌空は互いのスマホを見せ合う。
「ふふ、やっぱり同じ」
凌空のスマホにも、全く同じ写真が送信されていた。
「あいつ、同じの送るならグループの方に送ってくればいいのに」
何かとやり取りが多い3人なので、中学の時からしっかりグループも作ってそこでメッセージのやり取りもしているというのに。
だが、それでもあえて個別チャットでわざわざ1人1人に送信するのも、結芽らしい、そう思う気持ちも2人にはあった。
「おっきいぬいぐるみだなぁ」
そこには、UFOキャッチャーで取ったらしい、大きなぬいぐるみを抱えてピースする結芽の姿がある。
結芽が取ったのだろうか、表情はとても誇らしげだった。
「これは、そろそろ来るな」
「え?」
凌空の言葉に、凛が首を傾げた時だった。
「あーっ、やっぱりここにいた!」
そんな結芽の言葉が聞こえてきて、凛は目を丸くする。
だが、凌空は全く驚いた様子がなく、ほらな、なんて言っている。
予想通りだったようだ。
「なんで、ここが?」
「うん?きっと、別れた場所から、一番近いお店に居るだろうなって」
凌空も結芽も、本当に察しがいいようだ。
凛がそんなことを考えていると、目の前に写真で見たぬいぐるみがずいっと差し出される。
「え?」
「はい、これ。凛にあげる。おっきいぬいぐるみ、欲しかったんでしょ?」
「ええ!?えっと……」
確かに取れるかな、という話はした記憶がある。
だが、欲しいと言った覚えはない。
わざわざ凛のために取ってきてくれたのだとすると、その気持ちは嬉しいけれど、抱えて持って帰るにも一苦労しそうななかなかの大きさで、ちょっと凛は引いてしまう。
「どうやって持って帰るんだよ、それ」
まるで凛の心のうちを代弁したかのような、凌空の言葉だった。
「もちろん、凌空が持って帰るのよ!」
「え?」
「凛に、こんなおっきいの、持たせられるわけないでしょ」
「はぁ、言うと思った……」
凌空にとっては、自分が持って帰るとこまで予想通りだったらしい。
全てを諦めて受け入れる気でいるようだが、凛はそうはいかない。
「待って待って、こんなかわいいぬいぐるみ、抱えて帰るの?」
さすがに、男の子はそういうの、嫌なんじゃないだろうか。
大きくてふわふわなかわいいぬいぐるみ、抱えているのが女子高生か男子高生かで、悲しいかな周囲の目も随分違うだろう。
「大丈夫だよ。ほら、ちゃんと袋も貰ってきてるみたいだし、袋に入れて持って帰るなら、そんな気にならないって」
最初から、凌空に持たせるつもりで、結芽はその辺も抜かりなく準備しているようだ。
だからこそ、ここで凌空が何を言っても変わらない、と凌空はすっかり諦めてしまっているのだ。
結芽の手からぬいぐるみと袋を受け取り、凌空は袋にぬいぐるみを詰め込みはじめた。
すると、結芽が乱暴に扱うな、とかそんないれ方じゃ潰れる、などと言い出して凌空と口論に発展する。
(これも、仲のいい証拠だよね)
長い付き合いだからこそ、なのだろうと思うと、微笑ましく思えてくる。
くすりと笑いながら凛が2人のやり取りを眺めていると、気づけば隣に悠がいた。
「悠?」
「ごめんね、凛、俺、気づかなくて」
「えっ?」
「さっき、すごく疲れてたんでしょ?凌空も結芽も、休憩が必要だって気づいてたのに、俺だけ、なんかはしゃいじゃって……」
「そ、そんなこと……休憩はゲーセン行ってからでもいいかなって思ったの、私なんだし。むしろ、一緒に行けなくてごめんね:
「ううん、それはいいんだ、ただ……」
そこで、言葉を止めると、悠は凛の手を両手でぎゅっと握りしめた。
(待って、待って、結芽が居るのに、誤解されちゃうっ!)
そう言えば、以前もこんなことがあった。
あの時は結芽は居なかったけれど、代わりに凌空に怒られてしまった。
できれば、もう妙な勘違いを生みたくはないものである。
「今度は、無理しないで、休憩しようって言って欲しい。俺はたぶん、今後も言って貰わないと、わからないから」
「う、うんっ!わかった、これからはちゃんと言うねっ!」
凛は矢継ぎ早にそう言うと、慌てて悠の手を振り払った。
それから、急いで凌空と結芽へと視線を向ける。
2人はまだ口論の最中で、どうやら凛の方は見ていなかったらしい。
その様子に、凛はほっと息を吐き出した。




