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「え……えっと、インディア」
クラスメイトの1人が、そう答えた。
教官は、教室のホワイトボードに順不同で書かれた、いくつものアルファベットや数字の中でも「I」を指差している。
「次、真佐木」
「ナイナー」
教官が指差したのは数字の「9」だ。
真佐木の答は合ってはいるが……口調は、やる気がなさげだ。
ノートに何かを書いているが……多分、落書きだろう。
あいつの隣の席なので、あいつの手元のノートを覗いてみると……やっぱりだ。
ノートに描かれているのは、異様なまでに写実的なティラノサウルスの絵だった。
百年ぐらい前の大昔……スマホやデジカメどころか、俺達ぐらいの齢の奴らは実物さえ見た事がないポラロイド・カメラさえ無く、戦争における偵察には写生の技術が必要だった時代なら……真佐木は優秀な偵察兵になれただろう。
今、俺達が覚えさせられているのは、フォネティック・コードと呼ばれるもの……たとえば「A9」を「えーきゅー」ではなく「アルファ・ナイナー」と読んだりするヤツだ。
軍隊や航空産業などの「聞き間違いが重大事故につながる」ような場合に使われるアルファベットや数字の特殊な読み方だ。
俺達が将来つくであろう「仕事」も同じだ。ほんのわずかなミスや想定外の事象……普通であれば、取り返しが付く程度の軽い代物……のせいで命を落としてきた「先輩」達は山程居る。
例えば、スポーツ選手なら「本番の試合」で「練習中」の実力の七〜八〇%を出せれば一流だそうだ。
俺達が将来やる「仕事」も似たようなモノ……わずかなミスやコンマ1秒の判断の遅れが、自分や仲間の死を招く……そのプレッシャーこそが、問題の「わずかなミス」や「コンマ1秒の判断の遅れ」を誘発してしまう。
だから……「どんなに順調に見えても事故や想定外は起きるもの」「どんなベテランでもミスはやらかすもの」……その前提で「仕事」をやる事になる。
「フォネティック・コードは『組織』においては『羅刹』どもの強さの目安としても使われる……例えば……」
教官は、ホワイトボードに「A級」という文字を書いた。
「これは、A級と読んではならない。『組織』内では『アルファ・クラス』だ」
教官は、ホワイトボードを一度消して、AからGまで、そして、QとSとXをホワイトボードに書いた。
「『組織』内で使われる『羅刹』の級は、あくまで目安だ。何年も組織が動向を把握していなかった個体であれば、かつての級よりも強さが上がっている事も有れば、下がっている事も有ると思え」
そう言うと、教官は、まず「G」の文字を指差した。
「G級は『羅刹』の中でも最も弱い区分だ。非武装の一般人でも、『倒す』のは無理でも『逃げる』のは不可能ではない程度の雑魚だ」
そして、教官は、アルファベットを次々と指差しながら、説明する。
「F級は『組織』外の人間であっても一般的な武装をした警官5名以下でも対処可能な程度。次のE級は警察や自衛隊の歩兵の中でも、ボディ・アーマーや高威力の銃器などの武装をした精鋭部隊であれば、対処可能な程度」
弱い羅刹であれば、銃器を使えば倒せる……しかし、銃器を使うのは別の問題が有るからこそ……「組織」が必要になる。
この「学校」に入った時に、最初に教えられた事だ。
「とは言え、『羅刹』は人喰いとは言え、奴らにとっての食料や生活必需品の大半は、人間のそれと同じだ。人間が暮し易い場所は、羅刹にとっても暮し易い場所だ」
そう……つまり……。
「『羅刹』どもは町中で人に混って暮している。警察や自衛隊でも対処可能なレベルの『羅刹』であっても、『組織』以外が対処しようとすれば、町中で銃撃戦が起きる事になる。それも、『羅刹』どもが居住地として選ぶのは、人間関係が濃厚な『田舎』ではなく、近所に見知らぬ人間が住んでいても誰も不思議に思わない少なくとも数万単位の人口の自治体の更に市街地や住宅密集地だ。そんな場所に住んでいる『羅刹』を、銃器で攻撃してみろ。ほんの数発の流れ弾のせいで、どんな被害が出るか知れたものではないし、一般人が『羅刹』の存在を知る事になるのも時間の問題だ」
それこそが、「組織」の存在意義。
「羅刹」どもが持つのと同じ「能力」で「羅刹」に対抗する「戦士」達が必要な理由だ。
教官は「羅刹」の級の説明を続けた。
最低レベルの「戦士」でも、E級の「羅刹」と一対一かつ素手で五分の戦いをする事が求められる。
次のD級の「羅刹」と五分の戦いが出来るようになれば……中級戦士と認められる。
更に、次のC級の「羅刹」と五分の戦いが出来るようになれば、上級戦士。
B級は、最低1名の上級戦士を含む複数名のチームでなければ交戦は許可されない。
A級は、全員が上級戦士で構成される複数名のチームでなければ対処不可能な強さ。
「残りの3つは、単純な強さだけでは対処が困難だ。まず、Q級は、単純な戦闘能力よりも知恵や特殊能力を駆使するタイプだ。『組織』との戦いを何度か生き延びて、『組織』の手口を知っている個体も、これに含まれる。S級は、単純な戦闘能力はB級かA級並で、Q級の特性も持っている者。そして……X級は……最強の中の最強……伝説の中の伝説……。唯一無二の同族喰いの『羅刹』……通称『闇の女神』『アンタッチャブル・ゼロ』の事だ」
教官は、教室内の生徒を見渡した。
「この3つの区分の『羅刹』と判断された個体は、許可なくして、交戦は愚か、尾行や住居の特定や生活パターンの把握などの予備調査さえ認められない。特に、S級とX級は、各支部の管轄ではなく、総本部の管轄となり、予備調査にも、総本部の許可が必要になる。覚えておけ……一般人十人の生命よりも、優秀な後方支援要員を育て上げるコストの方が遥かに高く、『戦士』を一人前にするコストは更に高い。『組織』のメンバーとなった者は、命さえも、自分のものではなく『組織』のものなのだ。『組織』の許可なく命を無駄にする事さえ許されない。犬死には、貴重な組織の資材を勝手に浪費する事だと思え」