第八話 目標設定、そして。
ヌーボックらとの脱線した会話の中で聞いたのは、ユースがほぼ二日寝ていたこと、恐らくは『パナキア』と同一人物であろう女性が念のためユースを避難所まで送ってくれ、偶然居合わせたヌーボックに引き取ってもらえたことだ。
「命の恩人なんて大層な言い方だと思ったけど、そう言ってるあの人も大概優しいな……」
避難所では例の男の子とその両親が無事に再開したようで、彼女の事を『聖女』と呼称して感涙に咽びながら感謝していたが、見返りも求めずに去っていく後姿はまさにその名に相応しいと納得してしまうほどだった。
ユースは冒険者協会に到着した。例の事件で街の一部は壊滅していたが、協会は以前と変わらず人だかりができている。
「ユースさん……であっていますよね?」
「あっ……えと、そうです」
互いに姿は知っているので、挨拶を兼ねた名前の確認と言った所だろう。本来ならユースも同じように返すべきなのだろうが、前世よりコミュ弱な彼は縮こまってしまった。眼前にいるのが『聖女』と称される美人なことも相まって。
「私はパナキアといいます。先日は命を助けていただきまして、誠に感謝申し上げます。私、感謝してもしきれないほどで……えーっと、まぁ、つまり、この上なくありがとうございますというわけでしてですねぇ……」
何故かパナキアは自分の口調を窮屈に感じているようで、最後に雑な要約をして締めた。
「……? い、いえ……結局トドメを刺したのはパナキアさんだと思いますけど」
それに違和感を覚えながらも、ユースは喉奥を通る言葉をそのまま発した。
あれ? 彼女がトドメを刺したって……?
当時の事はあまり覚えていないはずなのに、そんな言葉がスラスラと出てきてしまった。自分の中で大きな決断をした、そんなやんわりとした感覚だけが残っていてなんだか気持ちが悪い。
しかし、それに全くつっかえる様子もなく、パナキアは話を続ける。
「今回お会いしたかったのは、お礼を申し上げたかったのもそうなのですが……一つ、お願いがありまして」
「……はい」
ユースが返答するが早いか、パナキアは食い気味に深々と会釈した。
「私『たち』とパーティーを組んでいただけませんか?」
「…………!」
もう一度ここにくれば、今度こそ冒険者として生きていくことになるだろうと予想はしていた。だが、彼女のパーティーに勧誘されることは予想の斜め上だ。
ユースは驚きに目を見張ったが、そんな表情も会釈している彼女には見えるはずもない。そこには誠心誠意の姿勢があるだけだ。
エメラルドのような優しい色の宝玉が嵌められた荘厳な杖、汚れ一つない純白のローブ、宵闇を遠ざけるような青緑の髪、今は見えないが見目麗しいボディラインと整った目鼻立ち。
今更だがパナキアは、どこを取っても所謂『一流パーティー』の一員のそれだ。
そんな彼女が自分のような半熟ですらない未熟者を引き入れようとしてくるとは、あまりにも不自然ではないか。『聖女』と呼ばれるパナキアのことだ、まさか腹黒な目的などないだろうが、警戒するに越したことはないとユースは判断した。
「…………どうして僕を?」
おそるおそる聞くユースに、パナキアは顔を上げる。
「そう、ですね……。先の戦闘で、あなたは『死神』の瞬間移動を目で追えるほどの動体視力だけでなく、ヤツに匹敵するほどの純粋な戦闘力も持ち合わせていました。それを見込んで……ではやっぱりダメですかね?」
そんなこと、したようなしてないような…………。
とにかく、今ユースが聞きたいことはそこではない。
「だ、ダメ? いえ、その……よければですけど、僕が入ることのメリットとか、そういうのを教えて欲しいです。あまりシステムに詳しくなくて」
何かを誤魔化しているような様子で、唐突に砕けた口調になるパナキアに戸惑いつつも、こちらも単刀直入に用件を告げる。
すると、効果はてきめんだったようで、パナキアは「あぁ~!」と相槌を打つ。
「まずですね、ユースさんのように弱っちそうな人は、いわゆる追い剥ぎに会う可能性が高まっちゃうわけです! 特にその見るからに高価そうな短剣、そのためにいつ殺されてみぐるみ?がされるかわかったもんじゃありません!」
内容と相まって、どんどん砕けてなんちゃって敬語となると同時に、ユースの聖女像がガラガラと崩れ落ちていく。
「え、えぇっ!?」
「そしてですねぇ、ユースさんのように『冒険者リストに登録されていない』ほど信用の無い冒険者さんは、依頼の紹介や推薦などをしてもらえないんですね、悲しいことに。もうそこのクエストボードから自力で探して、自力で難易度を推計しないといけないんですよ。ほとんど使い捨ての鉄砲玉みたいな扱いなわけです!」
そんな意気込みながらいうことでもないだろ…………。
気落ちしてつい肩も落としてしまうユースだった。
「でも、『冒険者リストに登録されていない』ってどういうことですか? 冒険者申請の受付はちゃんとしましたよ?」
「それは冒険者に成ったというだけで、冒険者リストに入るには、冒険者ランクを測ってもらう必要があるんです」
「なんですかそれは……そんなの聞いたことも……」
「あっ! そちらの方! 先日登録していただいたユース『様』ですよね!?」
言いかけると、協会の中から丁度声を掛けられた。二人して振り向くと、声の主は以前に冒険者登録をしてもらった受付嬢だった。またしても手をこまねいて、ユースをそちらに招いている様子だ。
「そうですけど……」
しかし、前と違うところは「ユースが冒険者だ」とわかっても冷たい視線を向けてこないことだろう。あまりの態度の変化ぶりに、流石の彼も警戒せざるを得ない。当時は自信過剰っぷりで気にならなかったが、それが解けた今、あの豹変っぷりからの二度目の変わりようを見てしまったのだ。人間不信になってもおかしくはない。
ユースがなにやら狼狽えているところを、パナキアが察してくれたのか、彼女の方から受付嬢に話を進めてくれるようだ。
「昨日私が言った通り、この人が死霊の階に生息するネームド『実体無き寡黙な処刑人』を討った張本人です。私はその補助をしたまで」
「……………………え?」
「まぁそういうわけなので、ユースさんを正式に冒険者リストに登録する手続きをお願いします」
「承知いたしました。パナキア様」
瞑目して深々と頭を下げる受付嬢。パナキアは手慣れた様子で受付嬢の手際を観察していた。
ほどなくして、受付嬢が受付の奥の扉の前に立ち、「こちらへどうぞ」と入室を促す。
戸を開けると、そこには巨大な水晶玉があった。受付嬢に言われるがままにそれに触れ、青白い光が発すると、
「はい、これで冒険者リストへの登録は終了しました」
「……! これだけ、ですか?」
「そう、これだけですね」
あっさりとそう言う受付嬢にきょとんとするユースだが、パナキアはそんな彼に嫣然と笑いかけた。
「まあ、具体的に言うと……冒険者としての最低保証はしてもらえるってことと、唯一の恩恵は、あそこのクエストボードに行ってみてくださいなっ」
扉を開けて、クエストボードの方を指差すパナキア。つられてそちらの方を見やると、特に変化はないように見える。もう少し近づかなければならないということなのだろうか。
いよいよパナキアと受付嬢が揃ってユースを騙しに来ているという可能性も考慮せねばならないか、とおそるおそるクエストボードに近づいて、目を擦ってみる。
「こ、これは____!?」
そこには、もとあったクエストボードの他に、ユースを囲むようにしてホログラムのように浮かんでくる半透明のクエストボードが四面に出てきていた。その上には多くの依頼書が貼り付けられており、詳細も事細かに書き尽くされていた。
「その中から気になる依頼書をタッチすると、討伐対象や素材採集の場所への道のりが表示されたり、適正冒険者ランクを色々な指標で測ることもできます」
ホログラムのクエストボードを感覚的に操作すると、まるでスマホの画面のように、多くの依頼書がスクロールされ表示されていく。
その中の一つの依頼書に目が留まる。
『紫竜討伐 出現場所:神出鬼没 推奨:上級 報酬:一億G ・国から竜討伐の名誉勲章』
「紫竜……? 報酬は一億Gに加えて名誉勲章……」
二人の耳に入らないほどの小声で、目に留まった報酬の欄を見る。そして、試しに『推奨』の部分をタッチしてみた。
そこから別のタブが開き、『あなたの過去の受注依頼で換算しています……』という文字が表示され、一分も立たないうちに次のウィンドウが出てきた。
『紫竜はあなたと遭遇したゴブリンの約一万体分の強さです。(紫竜の具体的な戦闘力は統計が取れていないので、最低限の見積もりとなっています)』
「僕が前に受けたゴブリンの依頼を基に概算してくれたのか……! すごいなこれ」
下手をすれば、前世の世界よりもハイテクかもしれない。
「どーですか? ここの魔法はすごいでしょ? 私も解読できない魔法陣が組まれてるので、技術力は相当なものですよ」
所謂信用が無く使い捨てにされていた時の自分と、今の自分とはこれほどまでに格差があったものなのか。
やはり、『認められる』ことが全てなのだ。
ユースはそう感心しつつも、心の奥底では、何かどす黒いものが湧き上がってくるのを感じた。それがなんなのかはまだ判然としないけれど。
言いながら身体を寄せて覗き込んでくるパナキアに、反射的に依頼書のウィンドウを閉じて『紫竜』のページを隠した。
ユース自身も何故そうしたのかはわからない。もしかすれば「君なんかに倒せるわけないよ」と言われたくなかっただけなのかもしれないが。
「冒険者様のお役に立てますことを心より願っております。……ところで、ユースさんの冒険者ランクについてですが……」
「は、はい」
RPGや異世界ファンタジーでよくある冒険者ランク。わかりやすく数字やアルファベットで何段階かに分けられているものが一般的だ。だが、依頼書にはいつも『初級者』、『中級者』、『上級者』の三つしか書かれていない。
「ユース様はネームド、『実体無き寡黙な処刑人』を討伐なされたということで、本来であれば『上級』と言っても差し支えないレベルなのですが……」
「じょじょじょじょっ!? 『上級』ですか!?」
「そんなに驚くことですか? 結果的に被害は最小限で済んだとはいえ、この大きな街の全住民が避難するほどのモンスターなんです。後衛職とはいえ、最強の僧侶と名高い私でも死を覚悟したほどですしっ!」
「なんでそんなに自慢げなんですか……」
不幸自慢に近い内容にジト目で見るユースだが、とにかく、例のなんとかというネームドはかなりの強さと推計されているらしい。勿論パナキアの助力無くしては討伐できなかったとは思うが、自分がそれほどの敵と渡り合えたという現実は未だに信じがたい。夢でも見ていたのではなかろうか。
「ちっ、ちなみに、パナキアさん。そのネームドはゴブリン換算で何体分とかわかったりしますか?」
「えっ? …………アハッ! ユースさん、面白い例えですねっ。うーん……まぁ、感覚ですけど一万体くらいじゃないですか?」
「…………!」
『いける』。
前に倒した『死神』が一万体分なら、理論上は僕にも倒すことができるはずだ。
それが、仮にパナキアや冒険者協会のシステムの誤算であっても、ユースの実力は近いところにある。彼はそう考えてしまった。
「すみません、話の腰を折ったようで。受付さん、続けてください」
「はい。ユース様は『上級』としても良いと、先程の水晶玉が認定いたしました。しかし、少し不可解なことがございまして。____その前に、パナキア様。先の戦いで本当に貴方は、あくまでユース様の『補助』だったということで間違いありませんか?」
その鋭い眼差しと一言に、ついユースは面食らってしまう。やはり、思い違いだったのだろうか。あの胸の底から黒い感情とともに湧き上がる力は、妄想に過ぎなかったのか。
「間違いありません」
しかし、パナキアの迷いの無い芯の通った声が、その疑念を打ち晴らした。
「昨日お話しした通りです。直接的なトドメは私が刺しましたが、その状況を可能にしたのは百パーセント彼の貢献です。裏を返せば、私はトドメを刺しただけに過ぎません」
「____失礼しました。水晶玉も認定していることですので、確認程度にと。それで、不可解なことというのは」
受付嬢が言い終わる前のほんの一瞬、空気が凍ったように感じた。受付嬢は一拍おいて、後の一言を告げる。
「ユース様のステータスは、とても『実体無き寡黙な処刑人』を屠れるほどのものとは思えないのです」
「……? それは一体、どういうことですか?」
自分の耳を疑うように、パナキアが返答する。
「申し上げました通りでございます。大変失礼なことを承知で伺いますが、ユース様。前回当協会で受注していただいた依頼は、いかがされましたか?」
受付嬢の言う依頼とは、『ゴブリン討伐』の依頼だ。あのダンジョンは例のネームドと最初に相まみえた場所だが、なによりも最弱モンスターと言われるゴブリンを相手に大敗を喫した場でもあるのだ。
当然、彼女の質問にユースは口ごもるしかない。事実として、彼はゴブリンに負けた。けれど、その一万倍の強さのネームドに勝利した。この矛盾はどう説明すればよいのだ。
「水晶玉が推計したステータスによりますと、ユース様は一般人の成人男性未満の強さです。ゴブリンどころか、生身の人間との殴り合いにすら勝てないほどです」
「……そんな馬鹿な。私が先の戦闘で彼を見た時は確かに、ネームドと渡り合っていたはずです」
ユースは顔を上げることができずに、協会の床にひたすら視線を固定し続けていた。受付嬢はまだしも、『命の恩人』とまで言わしめたパナキアの失望の表情は見たくない。
今まさに、『見返してやる』と発起した矢先だというのに。これ以上、過去の情けない自分に、弱い自分に、未来を圧し潰されたくない。
『出て行けよ。はヤク。〈オレ〉ノ身体カラ』
「ユース『くん』!」
「……はっ!」
ふいにいつもと違う呼称で声を上げられた気がして、我に返る。
「今の話、聞いてたかな?」
「い、いえ……すみません」
呼称だけでなく、そもそもの口調自体が変わっている。それはまさしく仲間に向けるような____
「もう! ちゃんと聞いててよっ! これから一緒に冒険するんだから!」
「は、はいぃ……。……………………え、ええええええええええええええええ!?」
自分に姉が居たらこんな口調なのかなあと思っていると、頬をあざとく膨らませてぷんすかしているパナキアにとんでもないことを口にされ、漫画のようにオーバーに仰け反ってしまった。