第七話 されど、進もう
「ロイン、ハンナ……私のために、どうしてそこまで……」
勝利を信じて、しかし無残にも殺された彼らの死にざまが、尚も瞼の裏に焼き付いている。
仲間との合流場所である街に向かっていた彼女は、多分の悩み事を頭に抱えていた。周囲はまばらに木々が立つのみで、吹き抜ける風を妨げる障害も無い。その美しい赤眼に吹き付ける風を鬱陶しく思い、小さな竜はため息を溢した。
「あの街にまた『竜神』が出るなんて……けれどこの『呪い』がある限り、私の居場所もヤツに筒抜け。私はこれ以上彼らを鉄砲玉のように扱いたくはないのに」
竜というのはモンスターの中でも最も危険な種族の一つである。彼らは人間でありながら、『友情』だけで竜の自分を助けてくれている。そんな彼らを、居場所が割れているとはいえ安全な場所からただ見守るというのは、彼女にも耐え難い苦痛であった。
『呪い』のおかげで『竜神』の存在をいち早く報せることができるのは良いが、竜の姿をしている彼女自身が街に赴くことはできない。そもそも互いの居場所が知れるので、『竜神』側が逃げ去るということもあり得る。
「この『呪い』から解放されるには、私が自転生して人間になるしかない……けれど」
竜は記憶を継承したまま別の生物に転生することができるほどのチート種族である。
ただ、『呪い』は竜の特権とも言える。それが在ることでランダムで自分に合った特殊能力を持つことが可能なのだ。『竜神』に対抗する手段としての能力を失うことは、そのまま大きな戦力を放棄することと同義。
つまり、どうやっても詰み。私はただ、巻き込んでしまった皆の力になりたいだけなのに。もうこれ以上、私のために戦って死んでいくなんて馬鹿げたことは止めて欲しいのに。何度言い聞かせても、彼らは耳を貸してくれなかった。
「____! 人の気配……? さっきまでは無かったのに、どうしてこんなところに」
街に続く一本道なので多少の人通りはあるだろうが、それにしても急に存在感を現した。まるで、どこからか飛ばされてきたかのように。
道理を超えた存在のはずの竜であっても目を見張るほどの事象。その存在は次第にこちらに近づいてくる。だが、遂にそこに現れたのは____青い顔で全身を恐怖に震えさせた少年であった。
「どう、したんですか?」
一見してただの少年だったが、震えながらもおもむろに近づき、竜である自分を慰めるような優しい目をしていた。
◇
「ここは……?」
目が覚めると、どこかで見たような、見なかったような木造の天井が広がっていた。
「おう、起きたかよ」
「……! ヌーボックさん! よかった、無事だったんですね」
「バカ野郎、そりゃあこっちのセリフだ。ボウズこそよく生きて帰って来やがったな。それどころか___」
そういえば、ここはおよそ二週間世話になったヌーボックの防具屋に似ている。恐らくは彼の店の二階にある自宅なのだろう。住んでいる場所は話に聞いていたので、簡単に推測できる。
ヌーボックは覚醒したユースを見て胸を撫でおろした様子で、続けて何かを言いかけた。
「ヌーボック! ユースは起きたか!?」
「ああ、丁度な」
ケガ人が居るというのに、いつもの癖で乱雑に部屋の扉を開けて入って来たのは道具屋だ。ため息を吐くヌーボックを無視して、ベッドに仰向けになっているユースを見ると満面の笑みを浮かべて近寄って来た。
「おーおー! ちゃんと意識はあるかー? 記憶飛んでないかー? あっ、喉乾いてるか? 俺の飲みかけでよければ……」
道具屋の世話焼きが発動するのを柔和な笑みで見ていたユースだが、あまり度が過ぎるのも考え物である。とはいえヌーボックは勿論の事、先の戦闘の間接的な功労者とも言える道具屋の彼には、感謝してもし足りない。
「お二人とも、ありがとうございます。その……正直言って、あの時、僕を行かせてくれるとは思ってもいませんでした」
「いやぁ……俺は止めたかったよ? でも、コイツがこの手の『賭け』に負けたことはねーからさ。つい乗せられちまった」
「ふん。ボウズの目を見たらわかるさ。ありゃあ、『止めたら殺す』って目だったぜ? 恩をあだで返すような真似しやがってよ」
道具屋がヌーボックを肘で小突くと、照れたように顔を逸らして冗談交じりな口調で髭をいじった。
「あっ、それと……鎖かたびら、すみません。壊しちゃって」
戦闘での事を思い出し、仕方の無いことだと思いつつも謝罪するユース。勿論ヌーボックもそれは承知の上のようで、全く気にしていないようだ。
「何度も言ったろ、防具は壊してもらうためにある。あいつも、ピカピカのまま仕舞われるよりも何倍も本望だったろうぜ。それに、例の仕掛けもちゃんと効果あったようだしな」
「例の仕掛け、ですか?」
そういえば、働いていた時に、ヌーボックがあの鎖かたびらの仕込みがどうとか話していたことを思い出す。
「ああ。あの鎖かたびらには、『回復力増強』の術が掛けられてんだ。おかげで一回くらいは窮地を救ってやれたんじゃねえか?」
「……!」
聖女を庇って『死神』の大鎌を諸に食らった時、たまたまポーションが傷にかかり、異常なほどの回復力を発揮していた。それからの記憶は曖昧なので、実際にはどれほどの効力なのかははっきりとわからないが、それでもあの傷は致命傷だったことくらいはわかる。
全く、この二人には頭が上がらない。
ユースがもう一度頭を下げようとしたが、しばらく話が色々な方向に逸れてしまいタイミングを逃した。
ふと、ヌーボックは思い出したように道具屋に向き直る。
「んで? 何の用があってそんなに息切らしてやがった? お前が慌ただしいのはいつもの事だが」
聞かれても尚、しばしの間きょとんとしていた道具屋だったが、言われてここに来た用件を思い出し、ユースに声を上げる。
「そうだった! ユース、『パナキア』って女性と知り合いか?」
「パナキア……?」
「あれっ? おかしいなぁ……あの子はお前のこと、『命の恩人だ』って言ってたぞ?」
疑問符を浮かべて首をかしげる道具屋の言葉に、やっと思い当たる節があり、ユースはハッとする。
「その感じだと通じたみたいだな。その子から『今日から少しの間、冒険者協会で待ちます』と言伝を頼まれたんだ」
「あの人が……?」
壮年期も後半になろうかという道具屋が、『あの子』や『この子』などと呼ぶからには、やはり年若い女性なのだろう。それが少女なのか青年なのかはわからないが。
ともかく、ユースが呼ばれているというのは確かなのだ。
「…………」
けれど、ユースはおいそれと首を縦に振るわけには行かなかった。何故か。
____これ以上介入することは即ち、冒険者として生きていくということなのだろう。
別に、呼ばれたからという名目で話だけ聞いてヌーボックの元へ戻ることも可能なはずだ。だがユースには、そんな気がしてならなかったのだ。
上体だけを起こしたものの、ベッドから動こうとしないユース。そんな彼の内心を見透かしてか、ヌーボックはやはり口を開いた。
「前にも言ったろ。それを選んだらどうなるか、そして自分がどう思うか、それを最優先にしろ」
少しの間、沈黙が続いた。ただそれは、ユースに考える時間を与えてくれている優しく温かいものだった。それを肌にひしひしと感じながら、ユースは一言一言を紡いでいく。
「……僕はまだ、何も返せていません」
ヌーボックの眉がぴくりと動いた。
「ヌーボックさんが僕を働かせてくれたこともそうだし、鎖かたびらのツケだって払わないといけません。それに、道具屋さんにもいろんな借りがある」
道具屋の双眸は潤んでいた。けれど、微笑んでくれていた。
「それらを着実に返していくには、このまま防具屋のお手伝いをした方が絶対に得策です」
ユースは、言い終えた『ようだ』った。だのに、誰もその返答をしようと口を開かない。まるで、彼がまだ言葉を残していると確信しているかのように。そして____
「けれど、僕は僕の望んだやり方で、お二人に恩を返したい。めちゃくちゃに身勝手なのはわかっています。自分でも、なんでそう思ってるのかわからない。でも、それだけは譲れません。ごめんなさい」
「……バカ野郎、誰が謝る道理がある。どんな無謀な夢でも、それを謳ってやり直しがきくのがガキってもんだ。せいぜい迷って苦しんで、オメェの正解を見つけたら顔出してくりゃあそれでいい」
「おぉい! ヌーボック、俺が言いたい事全部言いやがって! ま、俺は大したことしてないけどよ、そういうこった! あ、お前さんが最強の冒険者に成ったら、俺のポーションを全冒険者に広めてくれるだけでいいからな!」
「調子良すぎるだろお前……」
やれやれと頬を掻くヌーボックと道具屋を見やり、ユースはおもむろにベッドから立ち上がる。ヌーボックの普段着を着せられているので、サイズに合わずぶかぶかで居心地が悪い。近くのテーブル上にユースの洗濯された衣服があるのを見つけて、手に取った。
「なんだ、もう行くのか。確かに医者は残っているのは疲労だけだと言ってたが……」
「はい。だいぶ楽になったと思います。それに僕、臆病ですから。気が変わらない内にここを発ちます」
いつもの私服に着替え、しっくりくる感触を全身で感じ取りながら、ユースは二人に向き直って笑顔を作る。
「では、また必ず帰ってきます! ありがとうございました」
そう言ってユースは踵を返した。向かう先は、冒険者協会だ。
「ああ。行ってこい……ボウズ……いや、ユース」
背中に小さくそんな声が掛けられたような気がした。
ユースにとって、この世界でのあの二人は親同然だ。だが、冒険者となることを選ぶ以上、彼らと別れるのは必至。それがどれだけ悲しく、寂しいことか。推し量ろうとすればするほど、あのぶっきらぼうな男たちの元へ帰りたくなってしまう。
だが、進まなくてはならないのだ。ユースの異世界転生は、まだ始まったばかりなのだから。