第六話 僕の声
ユースが思うに、正確に言うと、有効なのはポーションの『回復効果』だ。そうとなれば、回復魔法も対抗手段になり得るはずだ。
ヌーボックらと別れてからの数分間、ユースはただ無我夢中で走っていたわけではない。彼だって、ただ死ににいくだけでは意味が無いとわかっていた。
それが故に、何か手段は無いものかと無い脳みそから捻り出そうとしたのだ。
まず考えたのは、現れたネームドが何なのか。ユースが知っているネームドと言えば『実体無き寡黙な処刑人』などという『死神』という名が相応しいモンスターだけだ。
ただ、弱いものを執拗に狙う性質から、強い冒険者が相次いで街を出たタイミングでヤツが襲ってくるというのはあり得ない話ではない。
次に、『死神』の異常なまでの無敵要素だ。相当な破壊力のドラコの攻撃を無効化するという時点で、まず物理攻撃無効と見ていい。そうなれば有効そうなのは魔法攻撃で、この世界における聖魔法というやつなら尚良し。
実際には回復効果の無い聖魔法は効果が無いわけだが、そもそもユースに魔法の才能などあるはずもない。僧侶のみが使える聖魔法などもってのほかだ。
そこで、自分の手持ちと照らし合わせて、前世のRPG知識から引っ張って来たのが『回復ポーションを武器として扱う』ということだ。
確か、アンデッドには回復系が効くというゲームがあったはず。思い至れば、必然的にユースにできることはそれしかあるまい。
結果は大当たり。なのだが。
「思ったよりダメージが浅い……!」
手持ちポーションは残り二本。『死神』の様子を見るに、一本くらいでは致命傷ではなさそうだし、あと二本を命中させたとしても倒せるかどうかは疑問。
「危ない!」
しかし、『死神』は考える時間を与えさせてはもらえない。素手で十分だと判断したのか大鎌を拾わず、素手ごろでユースの顔面に一発打ち込む。
「げふっ」
ただの一発のはずなのに、脳がぐらついた感覚に陥り視界が赤みがかる。
なんて情けないのだ。一杯食わせたとはいえ、これしきのことで負けるのか。
『____エセ……。 見返セ!』
何を言っているんだこいつは。もう勝敗は決まっただろう。
しかし、そんな言葉とは裏腹に、『死神』はユースに見向きもせず聖女の方にゆっくりと歩み寄っていく。
「なっ……ま、待て……」
遅かれ早かれ彼女も死ぬだろう。だが、まずは無力で役に立たない僕からやれよ。
『ユル……スナァッ……』
「うぐっ」
『死神』は抵抗する力も無い聖女の首を掴んで持ち上げ、少しずつ彼女の細い首を絞めていく。段々と血の気が無くなっていく彼女の姿を、ただ地べたに這いつくばりながら見ることしかできない。
無能とは、これほどまでに罪なのか。
『コロシテヤル……!』
『死神』は掠れた声で下劣に笑って、聖女を地に落としたかと思えば大鎌を構える。そして大きく振りかぶり____
僕が無能? そんなこと、思い知らされたばかりだったじゃないか。
じゃあ僕は、どうすれば強くなれる?
『見返スノダ! ソノ自己嫌悪ヲ復讐心ニ変エロ!』
復讐心……? ああ、そうだったのか。悪いのは僕だ。
でも、もっと悪いのはこの世界だ。
『ウゴケ……』
僕の価値をわからぬ奴らに、気付かせてやるんだ。
『ウゴイテ……ウゴイテクレエエェェェッ!』
____その最初の礎がお前だ、『死神』。
ぼやけた視界で、足は言う事をきかない。そのはずなのに。
ユースは自分でも気が付かないほど、その想いだけで聖女の目の前まで走っていた。
あり得ない俊足に、『死神』はおろか『庇われた』聖女さえも反応が遅れる。
次の瞬間、聖女の半身を分断するはずだった大鎌は、盾として構えたカバンごとユースの上半身を断った。
ヌーボック謹製の鎖かたびらは無残に切り裂かれ、切り口からはユースの鮮血が飛び散る。
『アァ……ヨカッタ……』
そう『呟きながら』、ユースはやっと気が付いた。
この声は、以前からずっと耳障りだったそれは、モンスターの声などではない。
『僕の声、だッタノカ……』
それがわかったところでなんだという話だ。現時点では、死ぬ順番が変わっただけの事。
そう思った矢先に、カバンに入っていた一本の小瓶が砕け、中身がユースの身体にぶちまけられる。
ああ、神よ。いや、世界よ。待っていろ。
『〈オレ〉がコイツをコロスッッッ!』
回復ポーションと言えど、身体が両断される致命傷を治せるほどの効力は無い筈だ。だが、確かに傷口は急速に癒え、塞がった。いや、塞がり切れていなかったとしても、関係ない。
今はただ、本能のままに動くだけだ。
状況が飲み込めずに狼狽えている一瞬の隙を突いて、『死神』の横っ面に鉄拳をぶち込む。
ありったけの、悪意を乗せて。
対応できず吹っ飛ぶ『死神』を爆発的な脚力で地面を蹴って追い抜き、その身体を地に叩きつける。全てはコイツを殺すため。
だが、『死神』もなされるがままではない。馬乗りになって叩き込もうとするユースの拳を受け止め、硬直したかと思えば姿を消した。例の瞬間移動だ。
『見つけタァッ!』
上空へと瞬間移動____否、よく目で追ってみれば高速移動していただけだ。そんな『死神』を捕捉して、左手で外套ごと引き寄せる。そのまま右の『鉤ヅメ』で忌々しい顔面を裂く。
先刻まで人の拳だったはずの右手は、すっかり魔物のような漆黒の鉤ヅメに変貌していた。けれど、今はそんなことどうでも良かった。ただコイツの死に顔がみたい。無様に血反吐を吐かせて、後悔と絶望の狭間に叩き落としてやりたい。
「だ、だめ……! そのネームドに物理攻撃は効かないんです!」
聖女が数メートル後ろから声を上げる。現に傷こそ負わせているものの、『死神』が苦しんだり動きが鈍くなる様子はない。数秒すればその傷さえも消え去ってしまうはずだ。
だが、そんなこと知ったこっちゃない。この悪魔がその大鎌で人を殺そうとするのなら、両腕を引きちぎればいい。再生しようものならまた四肢を?いでやればいい。塵芥に帰っても復活するのなら、探し出してまた塵にしてしまえばいい。
だから、これから起こることは全て偶然の産物だった。
『死神』は動揺の色を見せ、苦し紛れにまたしても姿を消す。今度ばかりはユースの目でも追うことはできなかった。『死神』が瞬間移動の前に砂煙を起こしたからだ。
『……〈オレ〉の勝ちダナッ!』
その時、『均衡』が崩れた。
無限の治癒力を鑑みれば、単純な戦闘力では五分五分だったろう。だが、精神力の差が勝敗を分けた。
奴が弱気になった時、この範囲内で瞬間移動をする場所はわかりきっている。
「ガアッ……アァッ!」
ユースは本能的に、へたり込んでいた聖女の前に駆け、姿を現した『死神』の首に掴みかかった。
ポーションは腰に提げていた最後の一本。
そしてさっき顔面に付けた大きな傷穴はまだ再生しきっていない。
それすらも本能だけで理解し、ユースは自分の心の声に従って、右手のポーションを『死神』の傷穴に腕ごと入れる。
『コロセエェェェェェッ!』
小瓶を砕き、『死神』の体内でポーションが飛び散った。
「グガアアアァァァァァッ!」
『死神』のこれまでにないほどの発狂は、ひどく耳心地が良い。もっとだ。もっと泣け。泣きわめけよ。これで終わりというわけにはいかない。まだ生きてもらわなくては。こいつをいたぶって、嬲って、それでこの世界を見返してやる。
「『ムーンライト・ヒール』!」
後ろの聖女が魔法を詠唱すると、暗くなり始めた空から一筋の光が『死神』を照らした。ユースに首を掴まれて身動きの取れない『死神』は、成す術なく砕け散っていった。頭から灰になっていく様から、苦鳴を上げることもできぬようだ。
なんだ、もう終わりか。
『死神』は跡形もなく消え去り、空を握ることとなったユースは、これまでの疲労のツケが来たかのように脱力し、気を失ってしまった。