第五話 聖女(?)の涙
「『セイクリッド・サージ』ッ!」
神官のような神々しいローブを身に纏った女性が、黄金に煌めく宝石を嵌めた杖を片手で回して詠唱すると、目が眩むほどの光とともに『死神』のようなモンスターの大鎌による薙ぎ払いが相殺された。
だが、相殺されただけだ。勢いを殺しただけに過ぎず、『死神』には傷一つ付いていない。
「ど、どうして……!? アンデッドに効かない聖魔法なんて飛べない鳥みたいなものじゃないですか!」
女性は庇う形で背後に蹲っている夫婦を見やりながら、至って真面目な顔で冗談めかしたような事を言う。
緊張感の欠片も無い言い回しとは裏腹に、事態は切迫している。周囲の家々は崩壊し、逃げ遅れた住民や、街を護衛していたはずの衛兵たちの無残な死体が転がっていた。どの死体も四肢や首のどれか、または全てを欠損しており、顔がわからないほどの肉片になっている者も珍しくない。
「せ、聖女様、どうかお逃げください。子供を逃がして頂いただけでも本望です。私達の命よりも、貴方一人の命の方が……」
「私は聖女じゃないですってば! 照れますが! ……そんな過大評価をしてくださるお二人は、絶っっっっ対に私が生きて帰します! そんでもって英雄になって大金持ちになってイケメン侍らせてってうおわああああッ!?」
聖女と呼ばれた女性はターコイズカラーの長髪を揺らしながら、騒がしく『死神』の攻撃をまたしても相殺。
「はぁ……はぁ……ったく! 魔物ってやつは品が無いですねっ! ……皆さんの仇は、絶対に取りますから」
散らばった死体達を見やり、背後の夫婦に聞こえないくらいに小声で漏らす。彼女の強がりは彼らを安心させるためのものであり、自分の平静を保つためでもある。
決意を改めて固めるも、息切れをしている自分に気が付く。しかし対照的に、『死神』の方は動きに変化はない。一見互角のようで、彼女が大胆不敵に振る舞っていることも相まって微妙に分があるようにすら見えるが、明らかにあちらが一枚上手だ。
『竜神』討伐に後れを取ったと思えば、このようなツワモノと相まみえることになろうとは。
「私、本職はヒーラーなんですけどねぇ……」
言いながらも、瞬間移動して上空から振りかぶった攻撃を仕掛けてくる『死神』の姿を捕捉。「『ホーリー・ザナドゥ』!」と詠唱して不可視の障壁を作り出して防御した。
それだけでなく、負傷していた後ろの夫婦の傷が癒えていく。特に深かった夫の傷も、みるみる内に全快してしまった。だが、聖女はそれと反比例してさらに息を切らす。
「私が隙を作りますから、その間に逃げ出してください。正直言って邪魔です! 私の『とっておき』に巻き込まれかねませんからっ」
どういうわけか『死神』がたじろいだのをいいことに、大量の汗を垂らしながらも笑顔でサムズアップをする。
夫婦が頷くのを見て、彼女は瞑目して「はぁぁぁぁ」と魔力を溜め、解放。
「今です! 逃げて!」
障壁で分断されていた『死神』のいる外側にのみ眩い光を放ち、狙い通り『死神』は目元を覆って怯んでいた。聖女の合図で全快した夫婦が避難所の方へと走り出し、怯んでいる『死神』の気を引くために、更に聖魔法の光の玉を打ち込む。
それをものともせず、視力が回復した『死神』は真っすぐに突進。
「『ホーリー・ジャッジメント・スピア』! ぐおあッ!」
詠唱して魔法を発動しようとするも、疲労が蓄積していたことで魔法の顕現が遅れてしまった。なんとか大鎌は弾き返すも、その勢いを利用した『死神』の裏拳がみぞおちにクリーンヒット。聖女の高身長の割に軽い身体は、簡単に家屋の瓦礫に吹っ飛ばされる。
砂埃に阻まれた視界の中、身体中の軋む痛みに耐えて『死神』が居た位置に光の玉を打ち込む。苦し紛れの反撃だが、感触はあった。
「これであとは……応援に任せましょう……ごめんなさい、皆さん。私では仇を討つことはできなかったみたいです」
先ほど夫婦に言った『とっておき』は、彼らを逃がすための方便に過ぎない。純粋な一対一であったとしても、本来後衛職の彼女には分が悪い。そもそも残り魔力が底を尽きかけていた彼女が、この状況を覆せるほどの手立てを持ち合わせているはずがないのである。
彼女の薄れゆく意識の中、ちらつくのは同じ後衛職だった僧侶の青年、そして大事な仲間たちだ。
ふと、そう浸ってもいられまいと我に返る。自分の役目は、夫婦が逃げられる時間稼ぎをすることだ。最後の力を振り絞って、またしても光の玉を撃つ。またしても感触アリだ。
そして、視界が晴れた次の瞬間が、聖女の命の終わりを示唆するのだ。
「……!?」
しかし光の玉が直撃したはずの『死神』は、その砂埃と光に紛れ、姿を消していた。
バカな。さっきまで確かにそこにいたはずなのに、何故。
その時、聖女の脳裏に最悪の想定が浮かび上がった。『実体無き寡黙な処刑人』と名付けられたこのネームドの特異な習性は確か____
「ま、まずいッ!」
今更気が付いても時すでに遅しだろう。だが、彼女は逃げ去ったはずの夫婦の方を見やるしかなかった。例え彼らが繋いだ手を引き裂かれ、子供に二度と逢えぬまま無残に殺される瞬間を見ることになっても。
しかし、二人は未だ健在だ。長い長い大通りを振り返らずにひた走る二人は、丁度角を折れて姿を消した。おかしい。少なくとも彼らの近くに『死神』の気配は無い。角の先で鉢合わせする様子もなさそうだ。
____では、一体どこへ? 彼らより弱い存在なんてもうどこにもいないはずだ。
「やっぱりな。お前なら僕の方に来ると思ってたよ。一番雑魚な僕の方に!」
鬱陶しいほどの砂煙が晴れ、視界がはっきりとした聖女の双眸に映ったのは、英雄でも勇者でもない。十代中盤になろうかというただの少年だ。
身を挺して聖女と夫婦を守る彼だが、それを勇者とは誰も呼ぶまい。それはただの命知らずでしかないのだから。
けれどどういうわけか、聖女はその少年に仲間の僧侶の姿を投影した。『死んだはず』の彼が眼前に居るのだと、一瞬勘違いするほどに。
だからだろうか。彼に「逃げろ」と、「ここはお前のいるべき場所じゃない」と声を掛けることができなかった。
しかし、やはりこの世は非情だ。非戦闘員の夫婦よりも弱いと断定された少年は、『死神』の大鎌にその首を刎ねられるほかない。彼の首元に大鎌を振りかぶろうとしたその時だ。
「これでもくらえ!」
少年は足元に置いたカバンから小瓶のようなものを取り出して顔面に投げつけると、『死神』は発狂して顔を覆った。
明らかに効いたのだ。攻撃力の高い物理攻撃でも、アンデッド特攻の聖魔法でも大したダメージの無い『死神』に。
「やっぱりか! 道具屋印の特製ポーションが弱点だ!」
死と隣り合わせだというのに、ガッツポーズをして口角を上げる少年の姿は、本当に亡くなった『彼』そっくりで。
「ああ、神って本当にいるのかもですね」
聖女らしからぬ発言をし、目には一粒の涙を浮かべていた。
聖女「神って本当にいるのかもですね」