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第三話 冒険が始まり、そして終わる

 昨日、冒険者協会で遭遇した隻腕の青年が言うには、この街の近くには何階層もあるほど深い大洞穴があるのだという。ユースが街への一本道でやって来た方向と、街を挟んで真逆の方向に、その大洞穴はあった。

「この大洞穴の最初の階層が依頼書にあった『小鬼の階』……」

 その下が死霊の階と呼ばれているもので、大洞穴はまだまだ未開拓の階層が続いているそうだ。RPGなどでおなじみのように、階層が深くなるにつれてモンスターの強さも変わっていくそうだが、基本的にこの大洞穴は『初心者でも倒せる』程度のモンスターしか出てこないとされている。此度の討伐対象である小鬼、すなわちゴブリンは、その中でも最弱というわけだ。

 大きな口を開けて冒険者を待ち構える入口の先は真っ暗闇で、外の川から繋がっているのか、ちょろちょろと水音が木霊しているのが逆に不気味であった。

「だ、大丈夫……なはずだ。僕は転生者なんだから」

 漂う死臭に思わず固唾を呑むユースだったが、自分に言い聞かせて自信を付け、震える手を握ると、奥へと進んでいく。

 僕に必要なのは勇気だ。精神的な問題、ただそれだけなはず。

 奥に行くにつれて、当然だが外の光が弱まっていく。だというのに、水音や隙間風の音はどんどん大きくなっていくように感じた。あまりのうるささに、これらもモンスターの泣き声なのではないかと疑心暗鬼になる。

 出るなら出てこい。そして僕の真価を見せてやる。

 しかし、彼の意気込み通りに相手方がノコノコと現れてくれるはずもない。これはゲームではなく、命の奪い合いなのだから。

 ____ふと、大岩の陰で何かが蠢いたような気がした。

 漸く闇に慣れてきた目を凝らし、その岩裏をじっと見つめると、太い棒のようなものが陰から出ているのが見えた。

「……なんだ、木の幹か……」

 シルエットだけを見て、ホッと肩を落とす。なんだ、剣を抜いてまで臨戦態勢をして損したじゃないか。

 そう考えて短剣を見やると、ユースは「あっ」と思い出してもう一度剣を抜き、剣先に火を灯す。

「僕はなんてバカなんだ。すっかりお前の事を忘れてたよ、『相棒』」

 辺りが橙色に照らし出され、視界がだいぶ楽になったおかげで、精神的にも余裕が出てきた。ユースはふっと笑って、岩陰の『足』を横目に、そのまま奥に進もうと、

「……え?」

 『足』? 今、僕は何を見た? 明かりを灯して岩陰に小さめな『木の幹』が見えて……。

 そこまで思考が至ると、やっと脳でその整合性が取れるようになった。簡単なことだ。『木の幹』だと思ったものは、『人間の足』だったのだ。

 それに気づき、すぐに大岩に駆け寄って岩裏を覗き込むのと同時に、その陰から両刃の短剣がユースの頬を掠めた。

「____は?」

 後から微風が起こり、またしても自分の反応が遅れたのに気が付いた。

 ____こいつがゴブリンだ!

 深緑の汚い肌、下半身を覆った小汚い襤褸、右手には先ほどユースの頬を裂いた刃こぼれした短剣が握られていた。

 ゴブリンは薙ぎ払うように剣で弧を描いて二度目の攻撃。だが、ユースは間一髪のところで飛び退くことに成功____否、飛び退いたのではなく、後ずさった時に踵を小石に躓かせ、尻もちをついたのだ。

 それがなければ、十中八九今の一閃で殺されていた。

 呆気なく、ゴブリン『程度』に。

「あっ……あぁあぁあ……」

 それを悟ったユースに、先ほどまでの威勢は無い。ダンジョンの薄気味悪さに気が滅入っていた節はあったが、彼は心のどこかで転生者が故の『余裕』があったのだ。自分は選ばれた人間だ、と。

 しかしその『余裕』は、ただの一閃で粉々に打ち砕かれてしまった。あるいは、正確には最初の一突きの時点でかもしれないが。

 殺される。

 遅かれ早かれそうなるということがわかると、ユースの口から漏れたものは負け惜しみでも命乞いでもなく、嗚咽にも似た、言葉にならない鳴き声のようなものだった。

 それを見たゴブリンは下卑た笑いを浮かべて、己の短剣を舌なめずりする。

 ここに、弱者と強者は決まったのだ。そのゴブリンの目は、学生の頃に自分を陰湿にいじめていたトモダチと同じ目をしている。

「ぐああああああああああッ!」

 ゴブリンはユースの仰向けになった身体を蹴り、逃げようとする背中に、続けて蹴りを入れて地面に打ち付けた。ゴブリンはそのまま、ユースの背中を足で抉る。

 まただ。また僕のせいだ____ッ!

 悔しさと驕り高ぶったことの情けなさで、ユースは地面を涙で濡らしていた。痛みなど当に忘れ、彼の脳を巡るのは、ただただ自暴と自棄の念だけだ。

 しかし、そんな感傷に浸る時間も欠片ほどしか許してくれなかった。

 緑翠の野蛮な小鬼は、ユースの反応をあらかた楽しんだのか、飽きたように鼻を鳴らして彼の髪を掴み上げ、首元を露にさせる。そして、そこに錆びかけの刃先が当てられた。

「う、うわあぁぁぁぁぁぁッ! や、やめてっ……いやだあああああああああ」

 現状から目を逸らすように自責していたが、漸く現実を直視させられたユースからついぞ出た言葉____それは今度こそ命乞いだった。

 彼のそんな姿はだらしなく情けなく、なんと『転生者』に似合わぬことか。

 僕は、呆気なく死ぬのだろう。岩陰に隠されていた死体のように、誰にも知られることなく、ひっそりと寂しく。

 ひゅんっ。ぐちゃ。

 死を覚悟したユースの耳元を抜け、何かが投擲された。放り出された彼の短剣が発する光源に反射した光が見えたのだ。

 肉を断つ鈍い音が聞こえ、背中に圧し掛かっていたゴブリンがゆっくりと、地面に横たわった。軽くなった体で振り向けば、ゴブリンは目を見開いたまま絶命していた。その頭蓋骨を貫いたであろうダガーに気が付く間もなく、一瞬で。

 ____まさか、救援が来てくれたのか?

 そう思い、未だ震えていた唇を緩め、次はダガーの飛んできた方向を見やる。

 そこにあったのは、殺気だ。ただただ眼前の敵を屠ろうとする衝動。人型に見えるシルエットのそれは、おもむろに一歩を踏み出しながら近づいて来ていた。人影は光源を持っていないので、その容姿はわからない。だというのに、溢れるほどの殺気を宿した双眸が、暗闇の中でぎらりと光っていた。

 こいつは人間じゃない……!

 相手にしてはいけない何かだと察し、ユースは自分の短剣を拾い、素早く人影と逆方向へと逃走する。

 何が何だかわからないが、偶然とはいえ拾った命だ。こんなところで死んでたまるか。

 生存本能のまま激痛の走る足を酷使して、ひたすら深奥へと潜っていく。どちらが出口かなど、先の戦闘____否、一方的な苛虐で頭から飛んでしまった。だが、寄れば確実に殺される方よりも、少しでも延命できる方に行くのが賢明だろう。

 息を切らしながらがむしゃらに走っていると、壁がそびえ立っていた。行き止まりだ。

 しかしよく見ると、しゃがんで抜けられるくらいの穴が見える。道中は一本道だったので、『影』から逃げるにはここを通るほかない。

「……一か八かだ!」

 先ほどの自分の醜態を思い出すと、背に腹は代えられないだろう。やはりユースに必要なのは精神力だ。チャンスが垣間見えたのなら、それをつかみ取るだけの勇気を出さねばならないのだ。

 ユースは後方からの気配を感じ取り、意を決して穴に身を投じた。

「うおっ!? うわあぁぁぁぁぁ!」

 穴の奥は急な坂道になっており、勢いよく飛び込んだユースは重力に逆らえぬままにゴロゴロと転げ落ちていく。そのまま砂埃を上げて地面へ無防備にダイブ。尻もちをついて尻がもう二つに割れるような痛みに悶絶していると、

『____マダ……』

 どこからか、ノイズまみれの、音質の悪いトランシーバーから話しているかのような声が聞こえた。どこかで聞いたことのある声のはずなのに、思い出せない。それも相まって、それがユースに向けられたものだとは思いたくないほど、身の毛もよだつ不気味さだった。

『ジャマダアァァァァアァァァァァァッ!』

「な、なんだこいつは!?」

 顔を上げると、そこには大鎌を両手に持ち、二メートルほどの巨体を外套に包んだ、まさに『死神』が佇んでいた。

 明らかに、ゴブリンなどより数段は格上だ。まさか、ユースは『死霊の階』へと降りてきてしまったのだろうか。

「なんだ、こいつの纏う覇気は……! 僕が弱すぎるっていっても、一階層下だとは思えないぞ!」

 少なくともゴブリンの方は、元の世界の格闘家であっても素手で倒せるほどの強さだったろう。しかし、こいつは生身の人間では絶対に敵わないということが雰囲気だけでわかる。

 瞬きをした隙に、『死神』は突如姿を消した。あろうことかあれほどの巨体が、一瞬にして視界からいなくなったのだ。

 いや、いる。まだヤツの覇気がただならぬ存在感を示している。

 ハッとして振り向いた途端、ユースのまつ毛に大鎌が到達し____

「人を怪物みたいな目で見といて、少し目を離したらこの状況……あなた、余程の疫病神のようね」

 風鈴のような爽やかで涼し気な声音が聞こえたかと思うと、ユースの眼前で大鎌と鉤ヅメが衝突して火花を散らした。

 ユースが驚いて仰け反っている間に、声の主は大鎌を弾き返す。『死神』が反動で身体を傾けた隙に、横回転して両の鉤ヅメで外套ごと引き裂いてしまう。

 速すぎるその攻撃は、信じられないことに紅桔梗の髪を揺らす少女から繰り出されたものだった。見た目だけで見ると、年齢はユースとさほど変わらない。鉤ヅメを武器にしていることから、職業でいえば武闘家が近そうだ。

 などと、RPGあるあるを脳内で妄想している暇ではない。少女は素早く踵を返してこちらに駆けてくる。その目は、どこかで見た殺気を宿していた。

「も、もしかして君がさっきの……!」

 恐ろしさに狼狽するユースに構わず、少女は彼の腰に手をやる。

 ____殺される!

 そう思ったのも杞憂だった。彼女はそのまま、ひょいと片腕でユースを担ぎ上げ、落りてきた傾斜を驚異的な跳躍力で駆け上がる。

 あっという間に穴の外へと抜け、その隙間から『死神』の様子を見る。

「なんで逃げるんですか? あいつはもうやっつけたはずじゃ」

「よく見て。あいつの悪趣味なローブの中を」

 ユースに言われて足を止め、『死神』を指差して視線を促す少女。彼女が先ほどローブごと刈り取ったはずの身体はそこになく、ローブの奥は完全な空洞になっていた。傷一つ付いていないどころか、実体がないようにすら見える。

 ユースはその不可解な生体に説明を求めるが、少女は担ぎ上げたまま洞穴を走りつつ、首を横に振った。

「どういう原理かは私にもわからない。あいつは『死霊の階』に生息する死霊によく似てるけど、強さは段違い。なんど攻撃してもノーダメージで、協会からも討伐依頼が出てる『ネームド』よ」

「ね、ネームド? ボスモンスターみたいなものですか?」

「特別に名が与えられて指名手配されている突然変異種のこと。ヤツは弱い者を狙うという習性と瞬間移動能力という変異をした。要するに、めちゃめちゃに強いってことね」

 ヤツの名は、『実体無き寡黙な処刑人』。『死霊の階』にいる死霊の十倍以上のステータスを持つという。それに関しては納得なのだが、ユースはその異名について違和感を覚えた。

「『寡黙な』……って、あいつ、確かに喋ってましたけど」

 ユースは確かに何者かの声を聞いた。その時には周りにあの『ネームド』と自分しかいなかったわけだから、必然的にヤツが喋っていたということになるだろう。

 そう感じたことをなんとなく、少女の肩の上で独り言程度に呟くと、一瞬目を見張るようにした彼女と目が合った。

「……やっぱりあなたは……」

「はい?」

「いや、なんでもないわ。それより、もう出口よ」

 言われてみれば視界がはっきりとし始め、首だけを動かしてなんとか後方を向くと、眩しい光がユースの双眸を差した。

 帰ってきたのか。

 まさに不運の連続だったが、奇跡の連続でもあった。ゴブリンにあっさり殺されるかと思えば、発された殺気から逃げ去り、気付けば下の階層のネームドに遭遇。その後この謎の少女に助けられるとは。

 実感の無いほどぶっとんだ臨死体験をしたために、ユースの心からはいつの間にか、自分が転生者であることの根拠のない優越感は消え去っていた。

『____見返シテヤレェェッ!』

「うぅっ……」

 街が一望できる見晴らしの良い丘まで出ると、少女が自分を下ろしてくれたと同時にずきん、と頭が割れるような頭痛がする。

 またあの『声』だ。ネームドからも聞こえた『声』。それがなぜ今聞こえるのかはわからないが、胸に黒く濃いわだかまりのような異物感を感じて吐き気がする。

「大丈夫? まだ辛いなら街まで運んであげるけど」

「いや、いいよ。こんな僕でも男だし、これ以上は恥ずかしいよ」

 心配してくれる少女に、迷惑を掛けたくない一心でそう誤魔化して苦笑した。丘上で吹く風は、洞穴や街中のものとは違い、周りに遮るものが無いために痛快なほど気持ちよい。

 それで精神的な負担も誤魔化せたからだろうか、恩も着せずに立ち去ろうとする紫髪の少女を引き留めた。

「どうして僕の事を助けてくれるんだ?」

 敬語がすっかり抜けてしまっていたことに気付かず、ユースはただ彼女の背を見つめている。しがらみもない今の内に、この気持ちを伝えたいから。彼女が振り返ってくれることを願って。

「……別に。たまたま洞穴の近くを通りかかったら、あなたの悲鳴が聞こえたから」

 首だけで振り返って答えると、含みのある微笑を浮かべ、少女はまた歩を進めようとする。

「それじゃあ、宿屋の時の『十G』も? 小道の『矢印』や『短剣』もたまたまだって言う……んですか?」

 これは確信はできないが、恐らく冒険者協会で感じた視線も、彼女のものなのではないか。前世で人の『目』を敏感に感じ取ることを無意識にしていたユースには、根拠のない自信があった。思い出したように敬語を付け加えると、少女がため息を吐いて振り返った。次はしっかりと体でだ。

「……何の話をしているか、皆目見当も付かない。……それなら私からも質問させてもらっていいかな」

 少女は燃えるような深紅の瞳で真っすぐにユースを見据えてそう前置きした。洞穴では殺気すら感じられたその目は、改めて見てみると水晶のように美しく、冷たげな態度とは裏腹に優しさが垣間見える。ユースは無言で少女の問いを受ける意を示した。

「____あなたはこれから、どうするの」

「僕、ですか」

 勿論この場に居るのはユースのみなので当然だが、彼の言いたいことは、『何故僕のことなど気にするのか』だった。異世界を根拠のない『余裕』で舐め腐り、ゴブリンの前で醜態を晒し、ネームドに至っては攻撃に反応すらできなかった、そんな自分の事を。

 どうして気にかけてくれるんだ。

「僕は……最強の冒険者になって、見返してやろうと思ってました。って言っても、八つ当たりみたいなものですけど」

 ……? ああ、そうだった。確かにそんな目標だったはずだ。

 彼が見返したいのは、この世の中だ。理不尽で無情で無力な自分の存在する世界に、自分というどうしようもない人間でも成り上がれるんだぞと示してやる。ユースは自己嫌悪の塊だと自覚していたのと同時に、やはりそんな自分をどうにか好きに成りたかったのだ。

「笑っちゃいますよね」と継ぎ足し、震える手を握り締めて続ける。

「でも、世界が違っても関係ないんだ。結局僕には『受け入れる』力が無かった。だからこれからは、分相応にやっていこうと思います」

 と言っても、自分相応など見当もつかない。だが、とりあえず、戦闘や冒険者は向かないことがわかったのだ。前世の知識を活かしてスローライフ、というほどの知識も無いので、商人や農家などの自営業も向いていないだろう。けれど、それがわかっただけでも進歩と言えるはずだ。それが、『受け入れる』力だろう?

 もう、あれ以上の醜態は晒したくない。だからそれでいい。いっそ転生したことすら忘れ、新しい生を自分なりに彩っていこう。

 そう言い聞かせるが、少年の手は震えたままだった。

「そう……。よく、わかった。それじゃ、私はもう行くから」

「ま、待ってください」

 あれ、僕はどうして彼女を引き留めたのだろう。『そんなこと』を聞いてどうなるのだ。多分これきり、立場の違う彼女とは相まみえることはないはずなのに。

 自分でもわからない行動に困惑するが、ふと思いついた言葉を勢いに任せて口から滑らせるようにして言う。

「な、名前……。 あなたの、命の恩人の名前を教えてください」

「……ドラコ」

 やはり振り返らずにその三文字を告げ、ドラコはユースを置いて足早に丘を下って行った。何故だか、彼女の声は震えていたように感じて。

『____その短剣はあげる』

 どこかから、同情と罪悪感に近い何かを含んだ声が鼓膜を打ったような気がした。

おわり。(大嘘)

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