第十三話 友竜の矛
「パナキア、あんたっていっつもどんくさいわねっ。私が索敵してあげないと、すぐ油断するんだから」
懐かしい声がする。天真爛漫で思ったことをすぐ口にする少女。けれどそれは仲間を第一に心配していることの裏返しだと、私は知っている。
ハンナちゃんは二つのお団子頭を揺らして、可愛らしい矮躯を頑張って伸ばす。私が何してるんだろう、と顔を近づけて目線を合わせると、
「いたっ」
「私が居なくなったらどうするの? ただでさえおっちょこちょいなんだから、もう少し危機感を持ってよね」
ハンナちゃんは額にデコピンして、ぷんすか怒りながらぷいっと背を向けてしまった。
「え~。でもハンナちゃん長生きだし、先に死ぬのは純粋な人間の私だと思いますよ?」
ハンナちゃんはハーフエルフならぬクォーターエルフで、エルフ族の血は薄まっているものの寿命としては数百歳生きてもおかしくはないはず。ちなみに彼女は御年八十歳の、エルフとしてはまだまだぴちぴちのお嬢様だ。
「うるさいっ! 年齢のこと言うな!」
けれど人間とばかり過ごしてきたハンナちゃんは、人間の年齢感覚に慣れてしまったのか、あまり年齢のことは突っ込まれたくないようだった。出会ったばかりの頃は本気で怒られたけれど、同じ目的を持ち仲を深めていく内に、いつの間にかひとつの鉄板ネタとして昇華できるようになっているのだから不思議だ。
「もう……そういうことじゃないんだけどな」
愛用しているダガー____『友竜の矛』を丁寧に磨きながら、ハンナちゃんはか細く呟いた。
「何か言いました?」
「なんでもないわよ」
聞こえぬふりをした。その上で聞き返すなど、私はなんて性格が悪いのだろう。
彼女の意図していることなどわかっていた。冒険者である以上はいつかその時が来てもおかしくない。いつかと言わずそれが明日かもしれないのだ。
それでもハンナちゃんが繰り返さなかったのは、もしかすると私が意図的に無視したのだと勘付いていたからかもしれない。
いつもそうだ。外面だけお姉さんぶってる私より、心根から他人を気遣うハンナちゃんは正真正銘私のお姉ちゃんだった。
『いつか、ハンナちゃんみたいになりたいな』
人への愛を知らずスラム街で育った私にとっては、彼女のおかげなのだ。この『四人』で、もしくはまだ見ぬ新人も含め、皆の姉のような存在になりたいと、私は本気で思うことができたのは。
いつか感謝の言葉を添えて、その言葉を伝えたい。
いつか、いつか、いつか、いつか、いつか、いつか、いつか______。
そうやって後回しにしていたら、彼女は死んだ。
「ねぇ、ハンナちゃん。私はみんなに頼られてるかな?」
パーティーの皆が私の能力を買ってくれているのはわかる。打算的な意味を差し引いても、私達はそこらのパーティーよりも仲が良い自信もある。だのに、心の中は不安と恐怖ではちきれそうだった。
彼女の姿を思い描きながら空を仰ぐ。憎らしいほど雲一つない空は、この上なく乾いた空虚なものに見えた。
まるで今までの私が全て否定されているかのような感覚に陥っていると、ふと足元に何かが転がっているのに気づく。
「これは……。____ッ! ハンナちゃんの……!」
手に取って触れてみると、それは確かにハンナちゃんの愛用武器『友竜の矛』だった。
何故こんなところにこれが……?
否、最近どこかで見たはずだ。あれは確か、リザードマンを倒そうと苦戦している少年____ユースが武器として持っていたのだったか。
そうだ。そうだった。最初は目を疑ったが、竜の爪をダガーとして加工した独特の武器を見間違うはずもない。リザードマンを倒していく道中で何度も見たし、それが『友竜の矛』であることは確定だ。
そして彼の手に渡った理由を聞くため、ユースくんが寝静まった頃合いでドラコに話を聞こうとした時、ユースくんが居ないことに気が付いて全員に報告し、手分けして探すことになったのだ。
それから____あれれ? 私はどうしたんだっけ?
ユースくんを大岩のところで見つけて、それで____
『起きなさい、パナキア』
「ハンナちゃん? そこにいるんですか?」
紛れもなく、その声はハンナちゃんだった。あの時から変わらない、私の大好きな彼女だった。
ああ、そうだ。やっぱり悪い夢だったんだ。ハンナちゃんがもうこの世に居ないなんて。
『あなたの力が必要なの』
「……は、はい! 私は皆のヒーラーとしてここにいますから! どうしましたか、ハンナちゃん。傷を負ってしまったなら、私が回復しますよ! ほら、早く見せてください!」
眼前に確かにいるはずのハンナちゃんの肩に触れ、身体を診る素振りをする。
けれどハンナちゃんはそうやって現実逃避をしようと必死の私を、躊躇うことなく妄想の海から掬い上げるのだ。
『ううん、そうじゃない。……もうわかってるんでしょ? パナキアはいつもはおバカだけど、本当は賢くていい子だもの。ね?』
首を振って柔和に微笑むハンナちゃんを、私は直視できなかった。
「……! そんなこと……ないですよ。私、自分でも困っちゃうくらいバカで空気読めなくて、性格も腹黒で……!」
ハンナちゃんの言う後者は簡単に否定できた。それは本心で言えるからだ。けど、今のハンナちゃんを前にした私には前者に言及することなど到底できやしなかった。
みっともなく涙を浮かべて鼻をすすりそうになる私に、しかし彼女は「あはは」と笑って、
『私の影を追うなとは言わないわ。むしろ大歓迎よっ! 追えるもんなら追ってみなさい!』
「____ッ!」
小さな胸を張り、「えっへん」と態度は大きく振る舞うひどく懐かしい彼女の姿。在りし時と変わることの無い、目標にすべきお姉ちゃんがそこに居た。できるなら、いつまでも見ていたかった。だが、これ以上の贅沢はもう望めない。
霧が晴れるように、私が次に言うべきことがわかった。というか、ハンナちゃんの言う通り、きっと私はわかっていたし、そうしたいと思っていたのだろう。
ほんの気の迷いで、私の窮地を救ってくれた彼女と別れたくないと思ってしまっただけなのだ。
その一瞬の我儘に全身浸かってしまえば、今も戦っている皆にも、なにより志半ばで命を落としてしまった『二人』に向ける顔が無いから。
『行ってらっしゃい』
私の表情から察したのか、ハンナちゃんはまた優しく微笑んで手を振ってくれた。私から言おうと思っていたのに、やはりまだまだ彼女の背中は遠いらしい。
「うん、行ってくるね」
一体、どんな神の思し召しだったのだろう。そんな感謝と彼女からもらった決意を胸に、さっきまで重たかったはずの瞼を開く。
開けた視界の中、私は確かに『友竜の矛』を手にしていた。