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プロローグ

 季節は、僕が中学新三年生になる春。一週間程度の、長期休暇とはとても言い難い春休みは、惰眠をむさぼりながらあっという間に終わりを迎えた。

 始業式が行われる初日の登校日から、僕は親に駄々をこねたんだ。理由は「学校に行きたくない」とただそれだけ。

 何も知らぬ両親からすれば、僕はいつまで経っても迷惑をかけ続ける我儘な子供で、僕の登校拒否は誰もが抱くだらけきった習慣の延長線上にあるものだと、そう思っていたんだろう。

 専業主婦の母はまだしも、『偶然にも』父親が有給休暇を取ってまだ家に居たのも気に食わなかった。

「あんたはいいよな。大学で親しくなったそれなりに顔の良い友人を娶って、そこそこ頭も良いから優良な企業に入れてさ」

 決して本人の前では言いたくはないので、僕は温かい布団に全身を隠して独り言つ。けれど、そんな順風満帆な人生という道に一つの障害物が現れたと考えたら、少しは気が晴れた。

 枕元に置いてあるスマホを開こうとしたが、それすらも億劫になって止める。

『____ッ!』

 僕は、こんな自分が嫌いだ。

 本当は全てわかっているんだ。僕が嫌いなのは学校でなければ親でもないし、クソッタレなトモダチなんかでもないんだってこと。目の前の恐怖に背を向けて、それらの期待に応えられない自分がただただ憎い。

『__ノセイダッ!』

 階段が軋み、誰かが階上に上がってくる音がする。足音は部屋の前で止まり、少しの間が空いた。

「祐介? お母さんたち、ちょっと出かけてくるね。お夕飯時には帰ってくるから」

 探り探りの口調でそう言って、「あっ祐介も__」と自室のドア越しに続ける母。

 それを無視することで、ささやかな八つ当たりをしてやった。丁度良い。行きたいならどこへでも行けよ。出来損ないの息子なんか構ってないで。

 両親が揃って玄関を後にするまで、何を考えるでもなく布団に籠ったままでいると、家のガレージが開き、車が出ていく音が聞こえた。

 僕はそれでやっと掛け布団から身体を曝け出し、階下の洗面台へと向かった。

 なんでもない日だった。多少の変化はあるが、それもいつもの日常の埒内だ。

 石鹸も使わず乱暴に顔に冷水を打ち付けて、鏡も見ずにタオルで顔を拭く。ふと近くの時計を見やると、時刻は十二時を回っていた。

「学校行きたくねぇ」

 無論、今日はもう行くつもりもない。そもそも始業式の日は早帰り。今頃馬鹿正直に登校している生徒たちは校長だの教頭だのの長話を終えて、終礼前と言った所だろう。

 自分の居ない学校を想像してやるせなくなりながら、僕は既に明日のことを考えていたのだ。

 今日は体調が悪いと誤魔化してサボったが、明日はどうする。明日が良くても明後日は? 一週間後の今頃には流石に登校しているか?

 明日なんて、来なければいいのに。

 そう思える生活が幸せか? 世界には今日を生きるのにも必死な人間が多くいる手前、明日が来る前提で億劫な気持ちになれる自分は恵まれているのか? では、そんな必死な人間は僕のようなクズの気持ちを味わえなくて不幸か?

 そんな、考えてもどうしようもない事で頭を一杯にして、僕は無意識に冷蔵庫を開く。

 三段目の右奥。あった。母が作り置きしてくれていた朝飯兼昼飯。

 大変美味しいのだがいつもの味なので、特に味わうことなく口に掻き込んでいった。



 ぐうぅ~。

 朝から敷かれたままの布団を半身に被りながらスマホで動画を見ていると、ふと腹が鳴ったことに気付く。家に誰も居ないので当然僕のものだ。

 昼飯を食べてから約八時間は経っただろうか。その間ずっとスマホをいじっていたので退屈はしなかった。けれど、常に画面左上に表示された時刻が現実を突き付けてくるからか、僕は変に焦燥感を覚えていた。それだけではない。『いつもとは違う異常』を確かに感じていた。

「……まだ帰ってこねぇのかよ」

 家にあったお菓子を食べたとはいえ、流石に腹の虫が更なる餌を求め始める。まさかあの夫婦、僕のことなど忘れて__

「ああ、それならそれで」

 むしろ、そうあって欲しいとすら思える。僕なんかいなければ。どうせ居場所なんてないのだから、『障害物』の自分なぞ、いっそ彼らの中からこのまま居なくなればいいのに。

 高級フレンチからのホテルまで行って、精々在りし日の二人を思い出していてくれよ。

 ただそうなってくると、今晩の飯はどうする。食材は家にある感じはしたが、僕は料理などできない。そうなると必然、コンビニに手ごろなものを買いに行くしかないだろう。

 全く、明日は目前に迫ってくるというのに。面倒くささに舌打ちし、寝間着から私服に着替える。私服と言っても、中学三年生らしいものではなく、小学生が着ていそうな短パンと半袖シャツだ。というより、僕が小学生の時に着ていたものだ。

 流石に恥ずかしいかな、と思ったが、どうせ人目にもつかんだろうし関係ない。親に私服をねだるのすら億劫だし。

 僕は念のために家の戸締りをして、敷地と道路とを分ける小さなゲートを開けた。

「君、この家の子かい?」

 ゲートを閉めるために道路側に背を向けていた僕は、不意に声を掛けられて肩を跳ねさせる。ひゃうっ、とか変な声を出してしまった。

 顔を赤くしながら振り向くと、そこには二人の警官がいた。

「……あっ」

 妙な胸騒ぎがする。いや、それより今この警官が言ったことに答えなくてはならないだろう。

「は、はい……そうです……けど」

「じゃあ、祐介くんだね?」

 僕はもう一人の警官の言葉に頷いた。警官とはいえ、何故僕の名前を知っている。そりゃ、警官でなくても調べればすぐにわかることかもしれない。けど??。

 僕は大分前から既に、現実逃避をしていることに気が付いていなかった。愚図な息子にひた向きに愛を注いでくれている二人が、約束を破ってこんな遅い時間まで遊び惚けるなど、『普通じゃない』。

「……言いにくいんだが、君の両親は__」

 話しかけてきた方の警官は、憐れむような沈鬱な顔を向けるが、僕に目を逸らして片方の警官と視線を交錯させ、覚悟を決めるようにして口を開いた。


「君の両親は、交通事故で意識不明の重体だ」


 気付けば僕は、土だらけになるのも構わず地面に顔を伏して蹲っていた。

 嫌な予感は、的中した。

 事故。重体。震える声で放った警官の表情を見れば、それだけで事の重大さは伝わっていた。直感的にわかってしまった。親はもう、助からないのだろうと。

『__オマエノセイダッ!』



 あの時の、僕のミスはなんだ。

 気を遣って僕を一人にしてくれた母の、「お夕飯時には帰る」という言葉を百パーセント信用し、夕方ごろに返ってこない二人を探しに行けばよかったのか? そうすれば偶然にも二人と遭遇するなどして、世界線は変わっただろうか。

 否。

 では、父が僕に気を遣って有休を取ったはいいが、僕にどう言葉を掛ければ良いか迷っているところから間違いだったのだろうか? 父がなんとか言葉を捻り出してさえくれれば、僕はその言葉に感銘を受けて学校に行き、必然的に二人が僕のせいで外へ追いやられることは無かった。

 否。

 僕が素直に学校に行っていれば? トモダチと上手く接していれば? そうやって、目の前のことに向き合っていたら?

 だが何を考えようと、時すでに遅しなのだ。今、僕の人生は詰みに終わった。気づいたことは、自宅が、家族が、僕の最後の居場所だったということくらい。失ってはじめてその大事さに気付く、とよく言うが、こんなにも体に無数の風穴が空くような感覚に陥るのか。

「僕のせいで、ごめんなさい」

 外は暗いのに、電気も付いていない、日常の象徴だったはずの変わり果てた我が家。僕は、二人の遺影の前で最後の言葉を告げたのだった。



『オ前ダ! オ前ガ、ヤッタノダ!』

 ああ。今終わらせるさ。居場所の無くなった世界など、もうどうだっていい。消してしまおう。終わらせてしまおう。

 いつからだろうか。どこからともなく、どういうわけか本能的に恐怖心を掻き立てられるような声が聞こえる。けれどそれは、衝動的になっていた僕の心に更なる拍車をかけた。心臓に杭を打つように強く、僕の心に迷いを捨てさせるように。

 そして、言われるがまま僕は、それに従って。


『__! __ミ!』


 なんだ、またあの声か。もういいだろ。お前の望み通り終わらせたさ。だからこれ以上はもういいんだ。だってそうだろ、僕が殺すべきは__


『__キミ! 大丈夫!? 起きてよッ!』


 あの声とは違う。禍々しい悪魔の鳴き声のような、不気味で身の毛もよだつようなそれではない。この対照的な甲高い声は明らかに女の子のものだ。彼女の声には確かに、僕(?)を心配する優しさが乗せられていた。

 ああ、いい子だなあ。もう君の顔とかを見ることはできないんだろうけど、多分可愛いんだろうな。

「は、はぁ!? 何言ってんの!?」

 ツンデレ系かな? あまりにテンプレが過ぎる反応だけど、なんだかんだ言って王道は良いな。

 僕は彼女が一体何者なのか、そして自分はどのような状況下にあるのか、全てどうでも良く感じ、深く考えていなかった。どうせ夢なのだろうと一蹴して。

『……ッ! 寝ぼけてないで、早く起きてよ!』

 __寝る? 僕は寝ているのか? ……あぁ、夢を見ているのだから、寝ていると言ってもおかしくはないか。瞑目したままそう聞き流す僕の身体を、ついに女の子は揺らし始めた。

 正直言って、うざったく感じてしまった。僕如きの事を心配してくれているのだろうが、そんな優しい人だからこそ、僕に構うべきではないのだ。何より僕はそれを求めちゃいない。

 僕は、最後の力を振り絞って、なんとか彼女にその意を伝えようとした時だ。

『……っ! ごめん……なさい。私のせいで……』

 それは、奇しくも僕が最後に両親に告げた言葉と同じだった。それが耳に入った途端、身体中が嗚咽を漏らすように震え、僕の肩に弱弱しく触れられた彼女の手を強く握り返す。

「泣かないで……僕がこうなってるのは君のせいじゃ…………」

 __そう、僕がこんなになっているのは、『僕』のせいなのだから。

 言いながら瞼を上げ、さっきまで声が聞こえていた方を見やる。だが、そこには誰も居なかった。そして__

「……ここ、どこだよ」

 果てしなくどこまでも広がっている青空、ポカポカと照らし出してくる太陽、吹き抜ける心地の良い風、それに揺らされて穏やかに揺れるまばらに立つ木々。僕は長く長く続く地平線に引かれた小道の真ん中に寝そべっていた。

 それら全てが合わさり、僕の眼には馴染みのない世界が映し出されたんだ。

 おかしい。僕の最後の記憶は薄暗く寂れた自宅だったはずだ。それどころかここは、明らかに日本ではない。優しく肌を撫でてくる風は、僕の世界では感じたことの無いほど小気味良い。空や太陽、自然のようなものはあれど、今まで僕が見聞きしていたものとは似て非なるものだ。

 ここが異世界で、僕は転生したのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。


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