―ビートルズを知らない世代-
―ビートルズを知らない世代-
俺は入社4年目のサラリーマン。
50代の上司がいつも飲み会の席でする、ビートルズの話を聞くのが億劫で仕方ない。
だいたい飲み始めて約1時間、酔いが回り始めた頃に話は始まる。
心の中で、「またかよ、世代が違うんだよ」、と思いながら、へーと驚き、そうなんですねと合槌を入れるが、いつも勘弁してくれと思う。
ある時、仕事で失敗した俺は、そのビートルズ課長に呼び出された。
「申し訳ありません!」
俺は憮然とした課長の前で、頭を深々と下げた。
「だから何回も言ってるだろ、最後の最後までしっかり確認をしないからそうなるんだ」
「はい仰る通りです。私の確認不足でした、以後気を付けます」
「もういい。明日、俺もお客様の所に同行するからアポだけ取っとけ」
課長はそう言い、自分のデスクにある電話が鳴ったのを機に、俺を自分の席に戻るように顎で促した。
その夜、俺は課長の機嫌を取るため、嫌々ながらビートルズを聞いてみた。
何曲か印象に残る曲はあったがやはり古いと感じる。世代が違うんだ。
アルバム名と数曲タイトルだけ何とか覚えた。
翌日、お客様は課長が頭を下げてくれたこともあり、何とか破談になることは回避でき、最後は昨日のプロ野球の話が出来るほど関係は修復できた。
その帰り道、俺はビートルズ課長にお礼を言った後、
「課長、そういえばお奨めのアルバム『アビーロード』聞きました。すごくよかったです」
顔色を伺いながら恐る恐るそう言ってみた。
課長は一瞬驚いた顔を見せた後、満面の笑みを浮かべ顔をほころばせた。
効果は絶大だった。
そんなある日、青天の霹靂とも思える事が起きた。
課長が、内部不正を働いていたことが明るみになり、解雇されたのである。
いわゆる横領であった。
風の噂では、息子さんが性犯罪を起こし、慰謝料を捻出するために金が必要だったらしい。
口うるさいが、俺は課長が嫌いではなかった。
困った部下を叱責するが、決して突き放したりしない。
この前だって一緒に頭を下げにお客様の所にも同行してくれた。
あまり器用ではいが一本気で情に熱い人だった。
今思えば、社会人になって、多くの事を教えてくれたのはやっぱり課長だったと改めて思うと胸中に熱いものがこみ上げてきた。そして先日の笑顔が浮かんた。
会いにいこう、俺はそう決めた。
会ったのは課長の自宅近くの割と大きめの公園だった。
まだ小学校は授業中の時間帯のためか公園は閑散としており、ベビーカーに子供を乗せたママ友達がおしゃべりに夢中になっている。
俺たちは缶コーヒーを手にしながらベンチに腰かけた。
数日しか経っていのに、人が変わったようにその姿はやつれていた。
「軽蔑しただろ」
課長はぼそっと口を開いた。すごく覇気のない声だ。
「事情は何となくですが聞きました。僕もその立場なら同じことをしたかもしれません。」
どう答えていいか迷った末、そう答えた。
課長は缶コーヒーを一口飲んで、ふーとため息をついた。
「頭ではわかっていても、答えがそれしかなかったんだ、情けないよな、俺は愚かで弱い人間だよ」
缶コーヒーを握る手に力が入っているのが見て取れた。
しばし沈黙が続き、ママ友達の笑い声が一段と大きく聞こえる。
「あの、今日はお礼を伝えたくて来ました」
「お礼?」
「はいお礼です。今まで課長には、社会人として、営業マンとして、男として、多くのことを学ばせて頂きました。こんな頼りない僕を見捨てず、いつもフォローしていただいたから何とかやってこれました。本当にありがとうございました」
そう話すと、今までの事が蘇り、感情がこみ上げてきた。
俺が、落ち込んでいる時、その様子を気にかけ、いつも声をかけてくれたのが課長だ。
いつも絶妙のタイミングで「おい、一杯付き合え」と。
怒られもしたし、溜まった愚痴も吐き出したこともあった。
彼女と喧嘩した話もしたし、いつも行く定食屋の味噌汁がぬるかった話もした。
もちろんビートルズの話も聞いた。
課長と飲む時間が、どれだけ俺を救ってくれたかわからない。
俺はいつの間にか泣いていた。
「こちらこそ世話になったな。こんな形になってしまって本当に申し訳ない、許してくれ」
つぶやくようにそう言った。
そして、
「一つ心残りがあるとすれば、お前と一杯行けなくなることかな」
課長は少し照れたような顔でそう言うと、残っていた缶コーヒーをぐいっと飲み干した。
「課長、今日ここに来る途中ビートルズの『HELP!』を聞きました。あれ課長の曲ですよね」
俺は少し軽口を言ってみた。
うるせー、と課長は俺の肩をこつき笑顔を見せた。
その表情はいつもの課長のものだった。
「俺、だんだんビートルズが好きになってきました。」
嘘ではなかった。
最近、わかったことだが、ビートルズが解散した1970年は、まだ課長が生まれていない年である。つまり課長もビートルズ世代ではなかったことになる。
てっきり世代自慢だと俺は誤解していた。
「俺がしつこく講義をした成果だな、よかったよ」
課長は嬉しそうにそう言った。
学校が終わった子供達が自転車に乗って公園に集まりだし、公園は一気に活気を帯びてきた。
「お前も俺と一緒にいるところ見られたらまずいのでそろそろ行くわ」
課長はそう言いベンチから腰を上げた。
「じゃあ元気でがんばれよ。今日はありがとう」
短くそう言い背を向け歩き出した。
しばらくその背中を見つめていた俺は、子供達の声に負けない位の声で叫んだ。
「課長、また一杯誘ってくださいね、約束ですよ!」
課長は一瞬立ち止まり、背を向けたまま右手を軽く挙げた。
さっき冗談で言った『HELP!』は本来、俺の曲だったのかもしれない。
The Beatles『HELP!』
どうか助けて欲しい、すっかり参っているんだ
そばにいてくれて、本当にありがたい
落ち着くまで、力を貸してよ
お願いだ、どうか助けてくれないかな?
助けてよ? ねぇ?
Help me if you can, I’m feeling down
And I do appreciate you being round
Help me get my feet back on the ground
Won’t you please, please help me?
Help me, help me
Ooh