【ホラー】佰太郎との帰り道
「夏のホラー2023」参加作品です。テーマは「帰り道」。
■登場キャラクタ
主人公:「私」。家に帰ろうとして怪異に遭遇する。
佰太郎:主人公の家の飼い犬。赤毛の柴犬。いつの間にか主人公の足元にいた。
■注意書き
・「ホラー」ではありますが、純粋なホラーではないかもしれません。
・あまり怖くないですが、一つでも怖いと思うシーンがありましたら幸いです。
・犬の描写におかしなところがあれば、ご指摘いただけるとありがたいです。
・結末は好みが別れると思います。ご了承ください。
(…帰ろう。)
私は明るく賑やかな場所を離れ、街灯がポツポツと灯るだけの暗い道へ歩き出した。
疲れてはいたが、家へ帰れると思うと重い足を進める事ができる。
しかし、いくらも歩かぬうちに霧が立ち込め、視界が白く霞んだ。
ワンワン!
突然聞こえた犬の鳴き声に立ち止まると、薄い茶色に白い腹毛の柴犬が、足元で私を見ていた。
「佰太郎?」
我が家で飼っている犬である。
慌ててリードを掴んで、辺りを見渡すが誰もいない。散歩かと思ったが、それなら近所の大きな公園へ行くはずである。
(電話してみるか。)
家族に連絡しようと携帯電話を取り出してから、バッテリーが切れている事を思い出し、私は溜息を吐いた。
ワンワン!
それを見た佰太郎はまるで「こっちだぞ!」と言わんばかりにリードを引っ張り出す。
こいつは可愛い愛犬だが、ほとんど家にいない私を自分より下だと考えているらしい。今も私の事を迷子だと思っているに違いない。
しかし、いくら探しても家族がいないので、私はとりあえず帰る事にした。
グイグイ引っ張る佰太郎に先導され、私は取り留めのない事を考えながら歩いていた。
(今年はちゃんと帰らないとな。)
ふとそんな言葉が思い浮かんだ。
(今日は何かの記念日だっただろうか?)
娘の誕生日は10月。妻の誕生日は3月。結婚記念日は6月。
(大丈夫だ。)
いつもこれらの記念日を忘れては怒られていたが、今日は何の記念日でもない。
それなら何故あんな言葉が浮かんできたのだろうと考えていると、後ろからクラクションを鳴らされた。
プップー!
(わッ!)
私は佰太郎を引っ張り、急いでブロック塀の方へ寄る。車のエンジン音なんか聞こえなかったぞと、心の中で文句を言いながら。
「●●さん」
不意に私は自分の名前を呼ばれた。
誰だろうと振り向くと、すぐそこに乗用車が止まっている。そして運転席の窓が開いていて、運転手が話しかけていた。
「一緒に乗っていきませんか?」
見た事があるような無いような人物が、親し気に私を誘う。
「ああ、その…」
疲れている私にはありがたい申し出ではある。しかしどうにも気が進まない。私はその人の名前が思い出せないのだ。確かに見覚えはあるのだが…。
ウーウー…
佰太郎は姿勢を低くし、耳を寝かせ、尾を巻き込んで唸っている。
「静かにしなさい。」
宥めながら、私は佰太郎を理由に断る事にした。
「ありがとうございます。でも犬がこんな状態なので。」
「そうですか。ではまた。」
相手は気分を害する事なく会釈をすると、脇を通り過ぎて行った。
その時、私は同乗者に気が付いた。後部座席に女性と子供が座っている。青白い肌で、女性も子供も虚ろな目で私の方を見ている。それは車が見えなくなるまで続いた。
(失礼だが、気味が悪いな。)
ワンワン!
しばらく立ち止まっていたが、佰太郎が引っ張るので私は再び歩き出した。
トボトボと進みながら道の先を見る。
(ここはいつもの道だよな?)
どこまでも続くブロック塀に違和感を覚えたが、間違えるような分かれ道なんか無いはずだ。
「あれ?」
気のせいかと思いかけた時、道は行き止まりになってしまった。ブロック塀が隙間なく三方を囲み、完全に進めなくなっている。
(どういう事だ?)
少し考えたが、ぼーっとしていたせいで別の道を歩いていたのに気付かなかっただけだと、自分に言い聞かせた。
(全て疲れているせいだ…。)
更に重くなった足で引き返す。すると今度は先程まで歩いていた道が変わっていた。道は細くて曲がり角になっており、そこ以外に行ける所は無い。
(何が起こっているんだ!?)
どうしようもなくてその道を進むが、そこも行き止まりだ。
(訳が分からない…。)
また引き返すと、今度は真っすぐに道が続いていて、道端に人影が見えた。
(良かった。あの人に道を聞こう。)
ほっとして近付くと、また佰太郎が唸り出した。今度は毛を逆立て、鼻にしわを寄せ、前足を踏ん張っている。
ウーッ、ワンワン!
「本当にどうしたんだ?」
しかしいくら宥めても止めようとしない。なんとか引っ張って近付きながら、変な事に気が付いた。
道端にいる人は、こんなに佰太郎が騒がしいのにこちらを見ない。それどころか距離が縮んでも全く顔が分からないのだ。俯いているとはいえ、光が当たらないなんて事はないはずなのに。
(良く考えたら、何であんな所にずっと立っているんだ…?)
嫌な予感がして、結局、話し掛けずに通り過ぎた。
その後、段差に座っている人や、何も話さず向かい合っている二人など、他にも人を見かけたが、みんな影のように不気味だった。そういえば車の運転手も同じ雰囲気だった気がする。
何度目かの突き当たりの後、途方に暮れた私を佰太郎が引っ張った。
「どこに行くんだ?」
疲れていた私は佰太郎の好きなようにさせる事にした。
すると行き止まりだと思った路地に、近付かなければ分からない横道があったり、家と家の隙間のような通路を進んだり、人様の庭を横切ったりしている内に、路地から抜け出す事ができた。
「良くやったぞ、佰太郎。」
ワン!
やっと視界の開けた私の目に映ったのは、大きな川だった。
(家の近所にこんな川は無いぞ?)
戸惑っている私とは対照的に、佰太郎は大喜びで尻尾を振って川に向かって歩いていく。
「待て、佰太郎!」
私は川を渡ってはいけない気がして佰太郎を止めた。しかし佰太郎は構わず川の方へグイグイと進んでしまう。
「止まれって!」
しかし私の言葉は佰太郎には届かなかった。
(本当に大丈夫なのか?)
川に近付くに連れ、私はどんどん不安になっていく。
その時ふと思った。
(この犬は本当に佰太郎なのだろうか?)
何だか微妙に違う気がする。
「佰太郎、なあ、佰太郎、佰…」
私は黙っていられなくなって何度も呼んだ。
ワン!
何度目かの呼びかけで佰太郎が止まった。そして振ふり向いた佰太郎の顔は、人間のように笑っていた。
“ニタア”
「ヒッ!」
私は思わずリードを離した。
(佰太郎はあんなじゃない!何故、佰太郎だと思ってしまったんだ!)
早く逃げなければと私は駆け出す。
「え…?」
しかし次の瞬間、離したはずのリードをまた持っていた。
「何で何で何で…」
リードを握った手は強力な接着剤で固めたように開かない。オロオロする私を佰太郎はものともせずに引きずった。
佰太郎は中型犬だ。大人の男を引きずって走るなんて出来ないはずなのに。
「助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!」
ズササササササササササーー!
私は泣き叫びながら、そのまま川に引き込まれて行った。
「ああああああああーーーーー!」
フッと、引っ張る力が消えた。
(止まっ…た?)
顔を上げると、そこは家の前である。
「私の家…。」
嬉しいはずなのに不安が広がった。
(我が家だが、何かが違う。)
玄関前の植え込みや自転車、置いてある園芸用品など、何気ないものに小さな差異を感じる。
(本当にここか?)
私は表札を確認した。
「●●」
私の苗字だ。
(…………。)
しばらく考えて、私は覚悟を決めて家に入った。
玄関のたたきに佰太郎が待っていた。
「うわッ!」
一瞬、逃げようとしたが、「足を拭け」という態度の佰太郎は、私の知っている佰太郎である。
「佰太郎…なのか?」
尻尾を振る佰太郎を見て、私は安心して気が抜けてしまった。もしかしたら疲れ過ぎて怖がる事ができなくなったのかもしれない。
私はいつものように佰太郎のリードを外し、バケツに水を入れ、雑巾を絞って準備をする。
佰太郎の前足の汚れを拭いていると、隣のリビングから妻と娘の声が聞こえてきた。
「お父さん、早く帰って来ると良いのにね。」
「そうね。」
(帰ってる事に気付いてないのか?)
私は佰太郎の後ろ足を拭き始める。
「今日はお寿司なのに。」
「お父さんの大好物ですものね。」
(やはり何かの記念日だったらしい。)
「あら、今日は佰太郎も一緒?」
「うん。初めてのお盆だから。」
(何の事だろう?)
「佰太郎がお父さんを連れて来てくれれば良いのにな。」
「お父さん、方向音痴だもんね。」
(大型のショッピングモールで一時間ほど迷った事があるだけじゃないか。)
佰太郎の足を拭き終わり、私は帰ってきた事を伝えようと、いつもより大きな声で言った。
「ただいま!」
そしてリビングに入る。
そこには妻と、成長した娘、そしてテーブルの上に佰太郎の写真が飾ってあった。
ジリリリ、ジリリリ、ジリリリ…
電話が鳴った。
「●●さんのお宅でしょうか?」
「はい。」
「××警察署です。実は捜索願が出ていた●●道長さんと思われるご遺体が見つかりまして……」
(ああ、そうか。)
私は理解した。
長い間、私はあのおかしな空間を彷徨っていたのだ。佰太郎は迷っていた私を家まで連れてきてくれたのである。
「やっと帰ってこれたよ。ありがとう、佰太郎。」
ワン!
佰太郎は得意気に尻尾を振った。
おしまい。
お読み頂きありがとうございます!
少しでも涼しくなって頂けたら、幸いです。