【第九夜】 千歳とあかり
「あかりさんはなにが観たい?」
あかりは人差し指を顎において「ううん?」と首を傾げる。
「面白いものがいいな」
千歳とあかりは、駅に隣接する商業ビル内のシネコンにいた。
……女の子が好きそうな映画なんて、全っ然わかんない。
千歳が困って頭を掻くと、「じゃあね……あ、あれがいいかも」と、特大ポスターが貼られていた海外のホラー映画のタイトルを指した。
ポスターの一面を覆いつくして、もはや生物なのかどうかさえわからない、ぐちゃぐちゃなナニかが薄気味悪さを煽る配色で描かれている。
「……ほんとにアレでいいの?」
「うん!」
若干ひき気味の千歳をよそに、あかりは笑顔で答えた。
券売機で二人分のチケットを購入しようとした千歳の腕を、あかりが止めた。
「もったいないよ~。わたしは無料で入れちゃうのに!」
千歳は首を左右に振る。
「それじゃデートにならない……と思う」
「……そうなのかな? えーと……じゃあ、ありがとう」
「どういたしまして」
もともと童顔な千歳は、笑うと実際の年齢よりも下に見られる。
三年程前までは、高校生に間違えられることもあった。
それを正宗にからかわれるのがイヤで、正宗の前ではなるべく取り澄ました表情を作っている。
フードスタンドでは、キャラメル味の甘いポップコーンのLサイズと、二人分の飲み物を買った。
飲み物を注文するときに、誰もいない隣の空間に「なにがいい?」と話しかける千歳を、店員は一瞬、怪訝そうに見た。
アイスティーとレモンの炭酸飲料を頼んだが、もちろんあかりは食べることも飲むこともできない。
しかし、千歳はなるべくならそういった雰囲気も味わってほしかった。
平日の午前中。
早い時間帯のスクリーンの客入りはそれなりだ。
多くもなかったが、それほど少なくもない。
話題の映画だったからかもしれない。
千歳は最後尾の列の中央の席を取っていた。
最後尾のその列には千歳とあかりの二人だけだ。
あかりが気兼ねなく過ごせるようにと、列がまるまる残っている席を選んでいた。
人が集まる場所にはいろいろな人間がいる。
もしかすると、あかりを視える者がいるかもしれない。
目立たない場所にいるのは、そういった人たちに対する配慮でもある。
照明が落とされる前に、一人でボソボソと喋っている千歳をちらりと振り返る視線もあったが、千歳は特に気にしなかった。
「なんか、ごめんね。わたしと喋ってると、千歳君、へんな人に見られちゃうね」
「いいよ。大丈夫」
申し訳なさそうなあかりに、千歳は気軽に答えた。
次回の上映映画を紹介するための長い宣伝が終わり、始まりのブザーが鳴る。
スクリーンが暗転する。
あかりはすぐに映画に夢中になった。
突如としてスクリーンの画面から現れる怪異に驚かされては、びくっと肩を震わせている。
千歳はその様子を見て、本当にこの映画でよかったのだろうか。とも思った。しかし、まあ、あかり本人が選んだのだからいいのだろう、と自分を納得させた。
ストーリーには異形の怪物が登場する。
ホラーとスプラッタ要素が混ざった映画だった。
そこにヒロインとヒーローの恋愛が絡む。
海外のホラーは実体のある怪物が登場する物語が多い。
スクリーンに映し出される血腥い映像を眺めながら、千歳はそんなことを考えていた。
クライマックスに差し掛かる頃に、怪物はヒロインとヒーローの活躍で滅ぼされる。
すすり泣く声がして、ふと、横を向く。
あかりが泣いていた。
!? この物語に泣く要素があった?
女の子のことはさっぱりわからないと、千歳は心の中で首を捻った。
「あー! いい天気だね!」
映画館を出ると空を見上げて、あかりは思いっきり腕を伸ばした。
ビルの谷間から眺める五月の終わりの青い空は、少しだけ早い夏を感じさせる。
さっきまで映画を観て泣いていたとは思えないほどに、あかりは機嫌がいい。
「次はどこに行きたい?」
「うーん。そうだね……。千歳君は?」
「あかりさんが行きたいとこでいいよ」
「えー? デートなら二人が行きたいとこにしようよ。ね? 次は千歳君の番だよ?」
どこがいいか? と訊かれても、千歳にはすぐに思い浮かぶ場所はない。
女の子が喜びそうな場所もわからない。
なにしろ、そういう事とは縁が薄かった。
高校時代には告白されて付き合ったこともある。しかし、たいてい相手からすぐに断りを入れられた。
その理由は、「なんか怖い」。
視えてしまう千歳は、いやなモノを避けていた。
避けることは、厄介なことに関わらないための防衛手段だった。
よかれと思って、「ここの道は通らない方がいい」「この店には近づかないで」「ここはよくない」などとアドバイスをしていたことが原因だと思われる。
「そんなの気にすんな。千歳のことをちゃんとわかってくれる子はあの子じゃなかったんだよ」
正宗はそう言って、千歳を慰めていた。