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第2話 虎繫とおつや


――― 戦国時代


 岩村城は長野県と愛知県の中間に位置しており、戦国時代には、交通の要所として特に重要視されていた。ここは、武田と織田が幾度となく覇権を争ってきた場所である。

 両者が同盟を結んでいる間は静かな山道だが、いざ戦となれば、数千人の兵士が弓矢を交わす激しい戦地となる。

 1570年12月、武田は上洛を目指すため、織田と手を切ることを決めた。

キッカケは秋山虎繫による徳川領への進軍だった。

 意図せず始まった両者の戦い(上村合戦)であったが、信長はこれに対し積極的に関与、徳川への協力を決めた。織田としては武田も徳川も同じ同盟国であることに変わりはなかったが、もし武田が徳川に勝って領地を奪うようなことになったら、次は我が身が危ないと、持ち前の感の鋭さで危機を察知していたのだろう。

 動員された兵力は、虎繫軍2,500人に対して、織田徳川連合軍は織田の遠山勢2,500人に徳川の三河兵2,500人を合わせた合計5,000人。

 数の上では、織田徳川連合軍が圧倒的に有利だった。しかし、虎繁軍はその機動力を生かし、徳川軍が合流する前の、織田遠山軍を攻撃。戦況はそれでも一時は互角に見えた。

 しかし、虎繫自らが500人の別動隊を率いて挟撃作戦を実行すると形勢は一変、虎繁軍の圧倒的に有利に戦いは進んだ。

 窮地に立たされた織田遠山勢は、虎繫の勢いに恐れをなしてことごとく離散。撤退の体裁を整える頃には、数が数十人にまで減っていたと記されている。

 この一方的な敗戦の報告を聞いた家康は、戦わずして三河に引き上げることを決断した。

 その家康自身も、この数年後の合戦の際には戦場で虎繁隊に散々に追い回されるという辛酸をなめており、その時の経験から彼は虎繁のことをこう形容している「あやつは、武田の猛牛だ」と。


――― 現代 岩村城下町


「どう? 虎繁ってカッコいいでしょ!」

「そうだね。虎繁って戦っても強かったんだね」

 遥華は、話を聞くうちにすっかり虎繁のファンになり始めているようだった。

「俺もさ、知略に優れた信玄みたいな武将も好きだけど、まずは、虎繁みたいに人頭に立って仲間に勇気を与えたり、傷ついた人と痛みを分かち合ったりできる、そんな人に成りたいって思ってるんだよね」

「うん。そういう人カッコイイよね。信友も同じ名前の虎繁に名前負けしないようにしないとね。じゃあまず手始めに、一番身近な仲間の私のために、勇気と希望と、あそこで売ってる『岩村城 推しキャラストラップ』を与えさせてあげる!」

「遥華ってさ、俺のいい話を、自分にとって都合よく解釈するの得意だよね」

 お土産コーナーを笑顔で指さす遥華に、信友はポツリとつぶやいた。

 その後、おそろいのストラップを手に入れた2人は、再び岩村城へ向かった。


 恵那市の南部は昔から霧が多く発生する場所であり、岩村城を訪れる者はその視界の悪さに困惑することも多い、しかし、この日は晴天に恵まれ視界は良好。遠くの木々までハッキリ見えた。

 細い山道を車で進み岩村城の駐車場に着いた二人は、そこからは徒歩で岩村城の本丸跡を目指すことにした。

 本丸への道中は傾斜も厳しく、苔むした石段や石垣が所々に見られた。山は、朽ちた要塞のような雰囲気が漂っており、非日常を味わうには格好の場所と思われた。

 自然の心地よい空気を胸に吸い込みながら進んでいくと、少し開けた平らな場所があった。そこには歴代の城主とその足跡について書かれた案内板が立てられており、2人はその前で水分を取りながら休憩を取ることにした。

 一通り看板の読み終わった信友は、自分の知っている知識を加えながら、この城の城主の移り変わりの歴史を語り始めた。


「戦国時代の初期は遠山家の一族が代々この城の城主を務めていたみたいだね。そして、遠山一族最後の城主が遠山景任。その奥さんが、後に女城主となるおつやの方。おつやって覚えてる? 織田信長の叔母で虎繁とも面識があった人だよ。で、おつやの後に城主になったのが虎繁なんだけど、この時、歴史に語り継がれるドラマがあったんだ」


――― 戦国時代 


 1572年10月、武田信玄は上洛作戦を開始するにあたり、主力軍とは別に、長野方面からの別動隊として、秋山虎繁に岩村城を攻めさせた。

 当時岩村城は織田の領地で、城主はおつや。彼女は夫である景任が病死したことにより立場を引き継ぎ、城下の管理を任されていた。

 虎繁としては、武田と織田の同盟が破談となり岩村城を攻めなければならないこと、しかもその城主がおつやであることに、複雑な思いがあった。

 しかし、武田が反信長包囲網の主軸である以上、いつかは岩村城を攻めることになると覚悟は決めていただろう。

 虎繁は3,000人の兵士を引き連れて岩村城を包囲した。

 武田軍進軍の報を受けたおつやも、旧知の間柄である虎繁との戦いを避けたいとは思っていたが、織田家の一員として城を預かっている以上、自分の感情を押し殺して武田に相対する必要があった。

 おつやは自らも具足を身に付け、虎繁に徹底抗戦する構えを見せた。

 並行して、戦力が劣勢だったおつやは信長に援軍を要請していたが、この頃の信長は反信長連合軍の勢いに押され東美濃に戦力を割ける状況ではなかった。

 籠城という戦術は、援軍等により状況が好転するまでの時間稼ぎとして用いられることが多い。信長からの援軍が期待できず、なおかつ食料不足や疫病も深刻さを増していた城内では、士気の低下が顕著だった。

 頃合いと見た虎繁は、おつやに開城の交渉をすべく、単騎城門へと馬を進めた。

閉ざされた門外に着き城主への取り次ぎを申し出ると、しばらくして、弓矢を手にしたおつやが櫓の上に姿を現した。

 おつやは虎繁の能力をよく知る女性だ。彼女が彼を恐れていたとすれば、それは戦闘時の勇猛さよりも、むしろ交渉の巧みさの方であった。

(折衝になれば不利)

 おつやは、矢を1本手に取り、

「虎繁殿、自ら出向くとはよい度胸をしておられる。おおかた降伏の勧告にでも来たのでしょうが、残念なことです。私達に降伏の意思はありません」

 と先手をうつと、虎繁は馬を降りて剣を地面に置いた。

「おつや殿、矢を納めてください。私は戦いに来たのではありません。話し合いに来たのです。もしも衝突が避けられないとしても、まずはお互いの思うところを言葉で伝え合おうではありませんか」

「我が方が劣勢と見て交渉を持ちかけてきたのでしょうが、そうはいきません。もう少し耐えれば、きっと信長様が援軍を遣わしてくださいます。そうなれば立場は逆転するでしょう。ぶざまな姿を見せる前に陣を引きなさい」

 おつやは弓に矢をつがえた。

「援軍は来ませんぞ。お館様(信玄)は足利将軍や諸大名に切望され、すでに上洛を開始された。織田家の命運はもはやこれまで、東美濃に援軍を差し向けるどころか本国でさえ危ういことを、おつや殿なら分かっているはず」

「いいえ、信長様はどんな窮地も乗り越えて来たお方。援軍は必ず来ます。虚言で城兵を惑わすつもりならば、今すぐにでも戦いに応じましょう!」

 おつやはギリギリと音を立てて弓を引き絞り、先端を虎繁に向けた。

「私は、おつや殿が話し合いに応じるまで、ここを動きませんぞ」

「ならば、大将の首を取って兵士の士気を上げるまで」

 おつやは、虎繁の少し横に狙いをずらし、威嚇のため矢を放った。

 激しく風を切る弦の音と共に飛び出した矢は、軸の不良のため不規則な弧を描き、虎繁めがけて流れていってしまった。

 虎繁はジッとそれを凝視したまま、避ける素振りも見せなかった。

 寸刻後、矢は虎繁の具足もろとも左前腕部をかすめ飛び、勢いを弱めて地面に落ちた。

 その様子から、虎繁はかなりの傷を負ったと思われた。

 傷口を抑えてしゃがみ込む虎繁。

(そんなつもりではなかったのに)

 自責の念に駆られたおつやは、櫓に戻って手当の道具を取り出すと、門を出て自ら虎繁の元に駆け寄った。

「なぜ避けなかったのですか! あなたならこの程度の矢、簡単に避けられたはずです」

 涙をにじませながら、手当のために手を差し伸べようとすると、虎繁はその手を大きく振り払っておつやを睨み付けた。

 ハッとして見返すおつやに、虎繁は「これを見よ!」と、血が湧き出している傷口を見せ、激しい口調でこう言った。

「人間とは、たった一本の矢が刺さっただけで、これほどまでに血が流れる。もし、そなたが意地を張ってこのまま戦いを続ければ、この地で何百もの兵士がこの血を流すことになるのだ。おつや殿が望んでいるのは、このような姿か!」

 虎繁は指先まで伝って滴り落ちる自らの鮮血を、おつやの手の平に注いで見せた。

 おつやには、手に掛かるその血が、まるで沸騰した湯のように熱く感じられた。

 虎繁は、彼女の呼吸が浅くなっているのを感じ取ると、穏やかな声に戻って話を続けた。

「信長殿がしていることは、いつか誰かがやらなければならないことかもしれない。しかし、そのやり方は性急過ぎるのだ。お館様なら、時間は掛かるかもしれないが平和と発展を共に日本にもたらしてくれるだろう。どうかこの乱世を治めるために、降伏を受け入れてもらえないだろうか」

 これに対し、おつやは、

「織田の援軍が来ないことは分かっていました。このまま戦いになれば城兵達がどうなるのかも、分かってはいたのです。ただ、降伏する勇気が私にはありませんでした。虎繁様、お願いがあります。城を明け渡す代わりに全ての城兵の命を助けると約束していただけませんか?」

 と言うと、過去の自分を振り返った。

 岩村城でのこれまでの出来事、岩村に来る前の織田家での生い立ち、虎繁との昔の思い出。

 彼女が過去に想いをはせたのには理由があった。それは、城主が降伏する時に差し出すものをよく心得ていたからだ。

「最後に一つ聞かせていただけませんか? 織田家も武田家も関係ないとしたら、虎繁様は一人の人間として、私のことをどう思っていたのですか?」

 虎繁は、おつやの肩に両手を置いて、

「私はすでに初老の身。個人として望むものなど何もない。しかし、一つ後悔があるとすれば、私には跡継ぎが居ないこと。できれば、そなたのような温かいお人を室に迎え、思いやりのある芯の強い子を授かりたかった」

 そういうと、虎繁もまた過去を思い起こした。

「過ぎてしまったことではあるが、もし、そなたに出合った10年前に戻れるなら、私は怒りを買うことを覚悟の上で、信長殿を説得し婚姻の議を願い出るだろう」

 その言葉を聞いて、おつやは

「10年前の後悔、私も同じ思いです。あなたが織田家を訪れる度に、私の心は小さく躍っていました。できれば虎繁様の近くにいて、お役に立ちたかった」

 虎繁はしばらく思いを巡らせた後、こう切り出した。

「おつや殿、そなたには死ぬより辛いことをお願いしたい。織田を捨て、生きて私の妻になってもらえないだろうか」

 驚いて虎繫を見つめ返すおつや。

 彼女は、赤く腫らせた目を真っすぐに向けたままそれに答えた。

「名誉のための自害はとうに覚悟ができていました。しかし、虎繁様が私の命を必要だと言うのであれば、たとえどんな汚名を着せられてもかまいません、私はあなたのためにこの身を捧げたい!」

 強く言い放つ言葉は、彼女の意思の表れであった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] とても二人の仲の良さや堪能している姿、男性側のとても歴史好きなどがかなりうかがえます。 [気になる点] どんどん深みにはまればはまるほどに、歴史の深さを知っておくと結構そういう事ってあるの…
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