第1話 初めての道、初めての場所
「あ、ごめん、そこの交差点右だった。まあいいか、あそこのコンビニでUターンして」
信友の道案内が遅れたのはこれで3回目。遥華は表情にこそ出さなかったが、かなりイライラを募らせていた。
「で、さっきの続きなんだけどさ、この前会社の後輩がさ……」
「もう、ちゃんと道案内してよね!」
ついに遥華の怒りが爆発した。
それもそのはず、信友はまだ運転がおぼつかない遥華のナビ役としてドライブをサポートするはずだったのに、逆に足を引っ張っていたからだ。
「まぁまぁ、そんなに怒るなよ。ごめん、俺が悪かった、遥華まだ免許取って1年だもんな。今度はちゃんと早めに案内するから。なんだったら、進む方向を指さしてあげる」
「口で言うだけで分かるから! 」
信友の言い訳は、遥華の怒りに余計油を注いだようだ。
そんな調子で車を走らせていると、やがて景色は市街地から木々の自然が目立つ国道へと変化していった。
分かれ道や交差点が減ってきたタイミングで、信友は今回の旅行の目的地に岐阜の岩村城址を推した理由を話し始めた。
「今回遥華が少し遠くまでドライブに行きたいって言ったときにさ、俺、岩村城を見に行きたいって言ったじゃん。それって、理由があったんだよね」
「そういえば、目的地に結構こだわってたよね。なんで?」
「うん、それはね、岩村城の城主だった戦国武将の名前が、俺と同じだからなんだ」
信友は、自分の名前が、父親が好きだった戦国武将の『秋山信友(虎繫)』からの引用だったことを伝え、その武将に興味を持ったので、色々調べたことを伝えた。
「という訳だからさ、虎繁が活躍した岩村城を、この目で見てみたかったんだ。せっかく色々調べたから、虎繁と岩村城の歴史の話、少ししてもいい? 現地の予備知識があると、旅行がもっと楽しくなると思うよ!」
田舎道をのんびり走り、気持ちに余裕が出てきた遥華は、信友の話を「どうぞ」と促した。
――― 戦国時代
1567年、武田信玄は織田信長と同盟をすることを決め、証として両者の子が政略結婚することになった。
その際、縁組の仲介役として、信玄は秋山信友(虎繁)を選任した。
虎繁は、南信濃の統治を任されていた武将で、武力や政治力に優れていただけではなく、文化や教養にも明るかった。
これは、虎繁が信玄と同じ甲斐源氏という名門の一族だったことに由来するのだけれど、恐らく、武骨な武将が多い武田の家臣団の中でも、虎繁は礼儀作法をわきまえた外交に適した人材だったということなのだろう。
その後、婚姻の橋渡し役を任された虎繁は、尾張の信長の元に向かった。
実は、虎繁が信長の元を訪れるのは、これが初めてではなかった。数年前にも、織田家と武田家の別の外交の使者として、何度かここを訪れている。
そんな事情もあって、虎繁は織田家の中にも親しくしている人が何人かいたようだ。
その一人に、『おつや』という女性がいた。
『織田の家系は美人が多い』と歴史書にも書かれていることから、きっと彼女も美人だったのではないかと言われている。
おつやは信長の叔母であったが、年齢は信長よりも3歳年下、虎繁と比べると10歳ほど下だった。
信長とおつやは年齢が近いこともあり、若いころはよく一緒に遊んだりもしていたようだ。もしかしたら、少年時代の信長にとって、おつやは異性を感じたことのある相手だったかもしれない。
いずれにしても、おつやが魅力的な人だったのは間違いないだろう。
虎繁が婚姻の使者として信長の居城を訪れると、多忙な信長はそれを待たせて、その間の接待をおつやに命じた。
虎繁は久しぶりの織田領の訪問に少し緊張していたが、おつやが姿を現し、
「お久しぶりです。虎繁様」
と、明るく話しかけると、
「おお、本当に久しぶりだな!」
と、強張らせていた表情を一気に緩めた。
虎繁にとっておつやは、最初に織田家を訪れた際に家中や信長のことを色々と教えてくれた恩人であると共に、厳しい任務の合間にひと時の喜びを与えてくれる林道に咲く花のような存在でもあったようだ。
その後、二人はそれぞれの近況などを談笑し合うと、虎繁は、おつやが少し前に岩村城城主の遠山景任に嫁いだことを知った。
おつやは織田の血が流れている女性なので、いつか有力な武将に嫁ぐだろうと想像はしていたが、いざ織田家中からいなくなってしまうと思うと、今後、織田家を訪れる時の楽しみが一つ失われてしまうような気がした。
おつやは生活の場が岩村城に移ったことにより、虎繁の居城までの距離が物理的に近づいたことを、
「岐阜城よりも岩村城の方が、伊那に近いですね」
と、ただ単純に喜んでいたが、虎繁はそれをよそに少し悲しい様子であった。
気を取り直した虎繁が、おつやの岩村城での生活を問うと、彼女は愁いた表情でこう答えた。
「景任様は体が弱く、床に臥せりがちなのです」
事実、景任はこの後しばらくして病没してしまう。
「私は幸せな生活を送るために嫁いだわけではありません。遠山氏が支配する岩村城を味方に引き入れるために遣わされた、信長様の駒の一つですから。だから、私はその役割を果たせればそれでいいのです」
それを聞いた虎繫は、
「おつや殿も知らない土地で苦労されてるご様子。あなたは私が土地勘のない尾張で困惑している時に力を貸してくれました。今度は私があなたの力になる番です。武田と織田が同盟を結んだ今、私が岩村城に出入りすることもあるでしょう。その時はお互いに力を合わせて助け合いましょう」
そう言うと、2人はそれぞれ本来の役目に戻っていった。
――― 現代
遥華はハンドルを握ったまま信友の話に耳を傾けていた。
「虎繁って、おつやのことどう思ってたのかな?」
聞くと、信友は、
「俺も商社で仕事をしてるから分かるけど、知人の居ない知らない土地に一人で商談に行くのは心細いものだよ。そんな状況で、もし相手の会社の中に心を開いて話ができる人が居たとしたら、その人に対して親しみ以上の感情を抱いたとしても不思議はないだろうね。虎繁にとっておつやは、そんな相手だったんじゃないかな」
「うん、そうだよね。もしかしたら、おつや自身もそんな虎繁の気持ちに気付いていたんじゃないかな。彼女も、結婚はしたけど幸せな生活を送れていなかったみたいだし、案外虎繁のことをずっと気に掛けていたのかもね」
「あ、そこの信号、右に曲がって」
信友は、今度は早めに道案内の指示をだした。右折して少し道幅が狭くなった道路に入ると、遥は辺りを見渡して、
「そういえば、周りを走ってる車、だんだん減ってきたね」
と言うと、信友も周囲を振り返った。
「目的地が近づいてきたからだよ。岩村城は山城で、周りを自然に囲まれてるからね。街中にあるようなお店もないし、人もあまり来ないんだろうね」
「そっかー、もう少しで目的地に着いちゃうんだね」
「うん。あ、そういえば」
信友はスマホをタップしてグーグルマップを開いた。
「たしか、この近くに岩村城の城下町だった所があったはずなんだけど…………、えーと、あったあった。なになに? 『岩村の城下町は昔ながらの姿をそのまま残し、風情のあるその町並みは観光客に人気のスポット。実際に営業しているお店もあるので散策や食べ歩きに最適です。だってさ』」
「えー! マジ! 私行きたい!」
「だよね。じゃあ、行ってみようか。岩村城下町」
「うん」
その後、城下町に到着した2人は散策を一通り楽しんだ後、一角にある和菓子店で休憩を取ることにした。
遥華はテーブルに着くと、古ぼけた折り畳み式の小さな手鏡を取り出し、テーブルの上に乗せて覗き込んだ。
どうやら目に違和感を感じているようだ。
「どうしたの?」
「なんか、カラコンがズレちゃったみたい。ねえ、どこにあるか見てくれない?」
遥華は両手で自分の目を上下に広げ、顔を信友に近づけた。
見慣れた顔だが、人をこれほど間近で見る機会はめったにない。信友が胸を高鳴らせながら、目以外のパーツを色々観察していると、
「ねえ、ちゃんと見てる?」
という言葉に、見てはいけないものを見ているような、罪悪感を感じてしまうのであった。
慌てて視線を瞳孔に戻した信友は、(遥華は綺麗だね)と素直に言えず、
「これがそうかな?」
と、コンタクトの場所だけを指差した。
しばらくして、注文していた団子を食べ終わると、信友はこの地域の特性や行われた合戦の歴史を話し始めた。