第二話 司教と教会
「あ、ハルトさん、お帰りなさい」
「ただいま。お客さん?」
無事に遠足を終えてポピーと教会に戻ってきたところで、集会室から漂う重苦しい雰囲気を感じた。
リリーが集会室に走り込んだポピーを抱きかかえて出てきたのだが、その表情はいつになく暗い。
「ポピー、皆のところに行ってらっしゃい」
「えー」
「今日は何があったのか、話してこなくていいの?」
「そっか。話してくるぅ!」
リリーがポピーを下ろすと、その幼い足取りで子供たちの部屋に走っていった。
それを見送ってから、彼女は俺の袖をつまんで礼拝堂へと向かう。抵抗せずに付いていくと、礼拝堂に入るなり深刻な顔でこちらを見つめてきた。
目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見える。
「どうしたんだ?」
「実は今、司教様がお見えになっているんです」
「お、するとようやく司祭が任命され……っていうわけでもなさそうだな」
「はい。実はこの教会が取り壊されるかも知れないんです」
「取り壊される?」
「建物が古くて、いつ崩れるかも分からないからって司教様が……」
「それは分からないでもないけど、そうしたらリリーたちはどうなるんだ?」
「ただ出ていってくれって言われただけです」
「は? 子供たちは?」
「どこか施設を探すけど、今のところはどこにも空きがないそうなんです」
そんな無責任な。だいたいここにいる八人の子供たちは皆仲がいいように思える。しかし施設に入れるとなると、八人が一緒にとはいかないかも知れない。
情操教育上も好ましくはないよな。
「分かった。俺が話してみよう」
「でも、ハルトさんは関係者ではありませんし」
「同居している以上は関係者も同然だよ。それにここがなくなったら俺としても困るからな」
「ハルトさん……」
リリーの肩をポンと叩いてから、俺は集会室に足を踏み入れた。
テーブルを挟んでこちら側にオリビアとレイラ、奥側に司教と思われる男性と付き人が座っている。
「あなたは?」
「アシエル司教様、彼は先日から住み込んでもらってるハルト・キサラギさんです」
「住み込んで? はて、そのようなお話は聞いておりませんが」
「アンタらが見放したせいで運営費が足りないからだとさ」
「ちょ、ちょっとハルトさん!」
「ははは、これは手厳しい」
いきなり俺が挑戦的な物言いをしたので、オリビアとレイラが慌てている。しかし事実なんだから仕方がない。
「それに俺が初めてここに来たのは昨日だ。急なことだったから届け出るヒマもなかったんだろう」
「なるほど、そんな事情でしたか。それでハルトさんは何故この席に?」
「せっかく気に入った住処がなくなりそうだって聞いたんでな」
「ふむ。ですが私は貴方と話すことはありませんよ」
「聞く耳を持たないってか」
「そういうわけではありませんが、この教会の取り壊しは教皇様もご存じのことですから」
「教皇様?」
「ルーミリン聖教の教皇、聖クレメンス様です」
聖帝だの教皇だの、宗教国ってのはややこしくて敵わん。
「一つ聞きたいんだが」
「何でしょう? お応え出来ることなら応えましょう」
「その教皇様と聖帝陛下では、どっちが偉いんだ?」
「聖クレメンス教皇様はルーミリン聖教のトップ。
ヨセフ・マテオ・クラーク聖帝陛下はこの国のトップです」
「ということはつまり、聖帝陛下の方が偉いってことになるのか?」
「そこは解釈によりますね。皇国の行事は聖帝陛下の名の下に執り行われますが、それを取り仕切るのは教皇様です」
「そんなことを聞きたいんじゃない。
仮にでいい。二人から正反対の命令を下されたとしたら、結局アンタはどっちの命令に従う?」
「従う前に、教皇様にご判断を仰ぐことでしょう」
聖帝と教皇が敵対しているという条件がなければそうなるか。
「質問を変えよう。教皇様は聖帝陛下に命令出来るのか?」
「聖帝陛下にご命令出来る者など、主神ルーミリン様以外にはおりませんよ」
「なら逆に、聖帝陛下は教皇様に命令出来るか?」
「国事とあらば可能でしょうね」
よし、聞きたかったことが聞けた。
「アンタ、アシエルとか言ったな」
「はい」
「今すぐここを出て、聖帝陛下に伝えろ」
「陛下に? 何をです?」
「この教会には俺、ハルト・キサラギがいるってな」
「貴方の存在を伝えることに何の意味が?」
「そんなことは司教ごときが知る必要はない」
「ハルトさん、言い過ぎです!」
それまで冷や汗を拭っていただけのオリビアが、とうとう我慢出来ずに割って入ってきた。
そこで司教は深い溜め息をつく。
「この私を司教ごとき、と申されますか」
「申し訳ありません、アシエル司教様!
ハルトさんは聖教信者ではないので、司教様がどれほど尊い方か存じ上げていないんです」
「なるほど。ですが私に対する暴言はいいとしても、さすがに聖教の司教をごとき呼ばわりされては、主神様を冒涜したも同然です」
「そんなつもりはないが、だったらどうする?」
「貴方を異端審問にかけさせて頂きます」
「お待ち下さい、司教様!
先ほども申し上げました通り、ハルトさんは聖教信者ではありません」
「シスター・オリビア、この国は聖教皇国です。従ってこの国で暮らしている以上は、主神ルーミリン様の信徒として扱われるのです」
「いいだろう」
「ハルトさん!?」
「なら聖帝陛下に、俺を異端審問にかけると言ってこい。皇国から迎えがきたら出向いてやる」
「分かりました。大人しく審問に応じると言われるのであれば、そのように致しましょう」
「ハルトさん、そんなことになったら……」
「オリビアさん、心配ないさ」
オリビアがあたふたするのも無理はない。異端審問は真っ当な裁判とは程遠く、実態は中世末期辺りに盛んに行われていたとされる魔女裁判そのもの。つまり拷問だったからだ。
もっとも俺の場合は、痛みや苦しみはあるにせよ拷問で死ぬことはない。それどころか経験値が得られるのでレベルアップに繋がるわけだ。
ま、痛いのは嫌だけどな。
だが、そもそもの話で、聖帝が俺の拷問を許すはずがないのである。まして俺がいるこの教会を取り壊すなんて以ての外。手酷い報復を受けることが分かっているからだ。
そして翌朝、教会の前に豪奢な馬車が多数の騎兵隊と共にやってきた。
「まさかハルトさんを迎えに……?」
「異端審問のために? だったらあんなギラギラの馬車で来るわけがないさ」
教会の窓から外を見たリリーが青ざめた表情で言うので、俺はわざと戯けた調子で応えた。あの馬車が誰の物か分かっていたからだ。
馬車は教会の入り口の前に止まり、御者が大急ぎで赤い絨毯を敷くとその左右に騎士が整列する。そして扉が開かれ、白を基調とした祭服を身に纏い、頭に先の尖った司教冠を着用した男性が降りてきた。
「何だか凄そうな人が降りてきたけど、まさか大司教様……じゃないわね」
「枢機卿様でもないわよ。お顔が違うもの」
「でも、偉い方には違いないわ。シスター・リリーにシスター・レイラ、とにかくお出迎えしましょう」
「そ、そうね」
「そうですね」
そんな会話の後、ようやくやるべきことに思い至った彼女たちの後に続いて、俺も客の出迎えに向かった。
子供たちには奥で大人しくしているように伝えてある。
「よ、ようこそいらっしゃいました。あの……」
「失礼ですがどちら様で……?」
漂う雰囲気からやんどころない相手というのは分かるようで、三人のシスターはかなり緊張しているようだ。
あのアシエルとかいう司教の前でも緊張していたくらいだから、無理もないだろう。
ところが、その高貴な御仁が俺の前に歩み寄って頭を下げたので、彼女たちは声のない悲鳴を上げたような顔になっていた。
「ハルトよ、すまなかった」
「とりあえずあの司教、ちゃんと話は伝えたようですね」
「え……?」
「伝えた……?」
「まさか……!」
「こちらはヨセフ・マテオ・クラーク聖帝陛下だよ」
「せ、聖帝陛下……!!!!」
先触れもなしに来たのだから、跪いたり平伏したりせずとも咎められることはないはずだ。
だいたい三人とも固まってしまっているし、放っておいてこのまま話を続けよう。
「あの司教にはクレメンスを通じて厳重注意と箝口を命じておいた」
「そうですか」
「これでよいか?」
「ええ。それとこの教会のことですけど」
「すでに補修を命じてある。数日のうちに職人がやってくるはずだ」
「よかった」
「だが司祭の派遣と運営費については聖教の管轄でな」
「そこまではいいですよ。それにしても何故聖帝陛下が直々にこんなところまで?」
「其方に出向いてこられるとややこしいからだ!」
そう言い放った後、聖帝一行はさっさと帰っていった。お茶でも飲んでいけばよかったのに。
と思ったが、未だ固まったままのシスターたちを見て、茶を出すのは無理だったと覚るのだった。