第五話 市場とおまゆう
市場はコルタ教会から歩いて三十分程の距離にある小さな街、オルパニーにあった。皇都レイタビークの市場よりは規模は小さいが、品揃えは豊富でダブルヘッドボアの肉もちゃんとあるそうだ。
歩いて三十分なら二キロ前後ってところだから、次からは転移魔法で飛べるだろう。人に見られないように、着地スポットを確認しておかないとな。
「リリーさんはどうしてシスターになったんだ?」
「両親が信者でしたから」
「そうなんだ。ご両親は健在なのか?」
「いえ、四年ほど前に旅先で事故に遭って二人とも亡くなりました」
「そっか。つまらないことを聞いた。すまん」
「いいんです。それよりハルトさん」
「うん?」
「私の方が年下なんですし、リリーって呼び捨てでいいですよ」
「そう? ならそうさせてもらおう」
「はい! おっ肉♪ おっ肉♪」
彼女からは寂しそうな様子は見えない。両親を失ったのはほんの四年前のことなのに、すでに折り合いがついているのだろう。
「あ、ハルトさん」
「うん?」
「今さらですけど、本当によかったんですか?」
「何が?」
「お肉ですよ。ハルトさんの歓迎会なのに、本人に買わせることになっちゃって」
「ああ、そのことなら気にしないでくれ」
「でもあのお肉は高いですから、何なら私たちは一口だけでも……」
「いらないとは言わないんだな」
「もう! ハルトさんはイジワルです」
「冗談だよ。俺はレベル3の冒険者だが、金の稼ぎ方だけはうまいのさ」
実はフォルテネシア王国にある冒険者協会ラードの口座には、金貨にしておよそ七万枚分の預金がある。日本円に換算すると約七十億といったところか。
それを使えるようにするために、早々にビークで会員登録して口座を連携させる必要があったというわけだ。
だから本当は協会の依頼など請けなくても暮らしていけるし、皇国でもどこでも土地付きで爵位だって買える。しかも病気や怪我で死ぬこともない。
女にだって不自由することもないだろう。
だけどさぁ、そんな生活は楽しくないじゃん。俺が日本にいた時は普通の大学生だった。毎日面白おかしく過ごしていたよ。
でも今になってあの頃何かを成し遂げた、あるいは成し遂げようとしてたかというと、全く思い当たらない。つまり若さにかまけて自堕落に生きていたってわけ。
そんな時、俺は初めてこの世界に召喚された。
同じように召喚された仲間たちと過ごした日々は、日本で過ごしたおよそ二十年間よりも遥かに輝く記憶として残っている。
今はもうその仲間たちとは会えないけれど、だからこそ悔いなくこの新たな人生を謳歌したいと思ってるんだ。
そのためにまずやらなければいけないことが、レベルアップなのである。
「ハルトさん、着きましたよ」
「らっしゃい! お、リリーちゃんじゃねえか」
「こんにちはぁ」
「さっきオリビアちゃんとレイラちゃんを見かけたが、何か買い忘れかい?」
「えっへへぇ、今日はダブルヘッドボアのお肉を買いに来ました!」
「ダブルヘッドボアの肉? 何かいいことでもあったのか?」
「こちらのハルトさんの歓迎会用ですよ」
「ハルトさん?」
「どうも」
肉屋の店主に怪訝な表情を向けられたが、貧しい教会のシスターが高価な肉を買いに来たのだ。無理からぬことだろう。
「へえ。もしかしてリリーちゃんの彼氏か?」
「ち、違いますよぉ。教会に住み込んでもらうことになったんです」
「教会に住み込み? そう言や男手がなくて困ってるってオリビアちゃんが言ってたな」
「そうなんです。
それで生活協会の紹介で来てくれたのがハルトさん」
「そうだったのか。おい、ハルトっての」
「何だ?」
「リリーちゃんはもちろん、オリビアちゃんとレイラちゃんにも変なちょっかい出しやがったらタダじゃ済まねえからな」
「肝に銘じておこう」
「そうか。分かればいい」
「なぁにを偉そうなこと言ってんだい!」
肉屋の店主は筋肉質で大柄、しかも頭をツルツルに剃っているのでなかなかに厳つい。だが、そのツルツル頭を引っぱたいた女将さんと思われる女性は、彼に輪をかけて大柄だった。
主に横方向にだが。
「ちょっかいじゃなく、これから金を出してくれようって客に何てこと抜かしてんだよ。全く」
「う……母ちゃん……」
「母ちゃんじゃないっての! ウチの馬鹿が悪いねえ」
「いや、構わない」
「ああ見えてご主人と女将さん、本当はラブラブなんですよ」
「リリーちゃん! 余計なこと言わないでおくれ。馬鹿が調子に乗っちまうじゃないか」
「照れてる女将さん、可愛い」
「ちょっ! そ、それで、ダブルヘッドボアの肉って聞こえたけど、どれくらいいるんだい?」
リリーの言葉で照れて真っ赤になった女将さんが、無理矢理話を戻した。
「リリー、子供たちはどのくらい食べるんだ?」
「すっごい食べますよ。大人も顔負けするくらい」
「だったらそうだな、五キロもらおうか」
「ご……いくら何でもそんなに買ったら余りますし、お金だって……」
「今日は五キロだと金貨五枚だけどいいのかい?
いくらリリーちゃん相手でもツケは効かないよ」
そう、ダブルヘッドボアの肉は日本円にして百グラム一万円もするのである。
しかも時価で、今日はまだ安い方だ。
「問題ない」
「は、ハルトさん……?」
「ほら、金貨五枚だ」
「あ、ああ、確かに……切り分けるかい?」
「そうだな。切り分け代はいくらだ?」
「値切りもしないんだ。それくらいサービスするよ。
アンタ何やってんだい! さっさと用意しな!」
「分かったから叩くなよ」
夫婦漫才のようなものを見せられて、俺もリリーも思わず笑ってしまった。
それでも店主はちゃんと仕事を済ませ、五キロの肉はすぐに五百グラム十個に切り分けられていた。
「ありがとよ。ハルトって言ったかい?」
「ああ」
「教会と子供たちのこと、頼んだよ」
「任せろ」
「女将さん……」
「あんなことがなければねえ。アタシらも気にしちゃいるんだけどさ」
「人にはそれぞれ出来ることと出来ないことがある。だったら出来ることをすればいい」
「アンタ、いい男だねぇ」
「それが分かる女将さんもいい女だと思うよ」
「ぷふっ! ハルトさん、自分で言ってるぅ」
「あっはっはっ! 気に入った! また来な。
次はもっとサービスしてやるからさ」
「ああ、また来よう」
この後米屋で米を十キロ買い、俺たちは市場を後にした。
ちなみに合わせて十五キロの食材を、歩いて三十分も運ぶのは骨が折れる。だから人目につかない路地に入って、空間収納スキルを使うことにした。
もちろん、そこは転移魔法の着地点としても使えそうな場所だ。
「ハルトさん、それって……」
「レアスキルだからな。誰にも言わないでくれ」
「分かりましたけど……」
空間収納スキルは非常にレアである。これを持っているだけで商人ならば成功が約束されると言われているほどだ。
神に祝福されたスキルとも言われ、使える人は百万人に一人くらいだろう。
リリーが驚くのも無理はない。だが――
「それって私も入れたりしますか?」
彼女の質問は、俺の想像の斜め上を行っていた。
「試したことはないが入れるらしいぞ。しかもこの中は時間が止まっているようだから老化も防げる」
「老化って……どうしてハルトさんは私の想像の斜め上の応えをくれるんですか!」
そう言って笑う彼女に俺は言いたい。
おまゆう(お前が言うな)、と。
"おまゆう"表記はワザとです。
ホントは"おまいう"って書きたかったんですけどね〜
雰囲気としては"おまゆう"の方がいいかと(^_^)ゞ