第一話 緑毛鼠とストロン
最近キャロルの元気がないような気がする。と言うか上の空なのだ。冒険者協会に誘っても付いてこようとしないし、何か嫌われることでもしてしまったのだろうか。
もしかしてアレか。三日前のバーベキューの時に酔っぱらって風邪をひかせてしまったことか。しかし怒ってる様子ではないんだよなぁ。
女の子はよく分からん。
そんなわけで俺は、一人で冒険者協会からの依頼を請けることにした。内容は、スルダン村で確認された緑毛鼠の討伐だ。
魔物の討伐なので数日間帰れない可能性がある。そのため転移魔法で一度教会に帰ってオリビアに伝えると、怪我だけはしないようにと念を押されてしまった。
いや、実は怪我をしようと思って依頼を請けたんだよね。何故ならいつまでもレベル3のままでは何かと不自由だからだ。
目標は索敵スキルが使えるレベル10。それと一回の転移魔法でせめて十キロは飛べるようにしたい。
まあ一度には無理でも、今回の依頼で最低レベル5までは上げたいと思ってる。何度か体当たりを食らえばすぐに達成出来るはずだ。
「幸い死者は出ておらんのですが、マルダとレノンが足を噛まれましてな」
「聞きました。こちらが協会から預かってきた薬です」
「すまんの」
村長のダルは俺から塗り薬の入った瓶を受け取ると、後ろにいた女性に手渡した。彼女はそのまま怪我をしたという二人のところに向かうのだろう。
村は皇都レイタビークから、コルタ村とは反対方向に一時間ほど行ったところにある。いくつかの集落が集まって出来た、村民五百人ほどの比較的大きな村だがあまり豊かとは言えない。
それは殺菌効果のある薬がないことからも窺えた。緑毛鼠は病原体を持っていることが多く、噛まれたまま放置しておくと化膿してしまうのである。
「緑毛鼠はしょっちゅう出るんですか?」
「いや、数日に一度くらいですかな。エサを求めて畑に姿を現しますのじゃ」
「来るのは一匹?」
「大きいのが一匹と小さいのが三匹と聞いております」
「なるほど、親子ですね」
子鼠の方はこの春に産まれた個体だと思う。
緑毛鼠のオスは家族行動を取らないし、母親はある程度子供が育つまで絶対に傍を離れないから、討伐対象は全部で四匹ということになる。
安全を期すなら、子連れで気性が荒くなっている母親を倒してから子鼠を狩るのだが、それだと子鼠を逃がしてしまいかねない。緑毛鼠の子供は非常に臆病だからだ。
むろんまんまと逃がすようなヘマはしないが、俺の目的はわざと攻撃を受けることなので、かかってきてもらわないと意味がないのである。
というわけで少々残酷だとは思いつつも、先に子鼠を狩って母親を怒らせてから攻撃を受け、レベルアップを果たした後に討伐することに決めた。
「おお、来たかザーグ」
「村長、冒険者協会から人が来てくれたって?」
「こちらのハルトさんじゃ」
「随分と若いようだが大丈夫か?」
「緑毛鼠くらい、心配ないですよ」
「そうか。ヤツらうちの畑のストロンが気に入っちまったみたいでな」
ストロンとはイチゴのような形をした、非常に栄養価が高い果物である。希少性はそれほどでもないが、甘くて香りもいいので老若男女問わず人気があった。
緑毛鼠としても、産まれて間もない子鼠のエサとしては持ってこいと言えるだろう。しかしそれは自然に生えているものではなく、人の手で作られたものだ。
鼠ごときが食い荒らしていい道理はない。
「すぐにでも討伐したいとは思いますが、姿を現すまではどうにもならないですね。それまでどこで寝泊まりしたらいいですか?」
「うちの空き部屋を使ってくれて構わない。
メシは有り合わせの物しか出せないが、女房は料理の腕がそこそこだから期待してくれていいぜ」
「そうですか。では持ってきた食材を後でお渡ししますので、それも使って下さい」
「皇都の食材か? そいつぁ楽しみだ」
先日のバーベキューで余った食材なんだけどな。本来は依頼先での寝泊まりは自腹なんだが、わざわざ泊めてくれると言うのでダブルヘッドボアの肉を出すとしよう。
それから俺はザーグに案内されて、問題の畑を見て回った。畑はかなり広く、赤く色づいている実もあちこちに見られる。ただ一部は緑毛鼠によって、まるで踏み荒らしたような惨状と化していた。
「これは酷いですね」
「全くだ。アイツら好き勝手しやがって」
「そうそう、ザーグさん」
「うん?」
「俺がヤツらから体当たりを食らっても気にしないで下さい」
「あ?」
「ちょっとした作戦です」
さすがにレベルアップのためとは言えないので、わざとやられて子鼠を油断させ、逃げられないようにするからだと説明した。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
「ええ」
「ま、大丈夫じゃねえって言われても俺じゃどうにもならんが」
「ちゃんと防具も着込んでいきますから」
「分かった。討伐さえしてくれれば文句はねえよ」
「任せて下さい」
その日は夕方まで待ってみたが鼠は現れそうになかったので、ザーグ家の空き部屋で夕食の時間まで休ませてもらうことにした。ここならヤツらが出てきてもすぐに対処出来そうだ。
おっと、その前に。
「奥さん、夕食にこの肉を出してくれませんか?」
「これは何のお肉です?」
「ダブルヘッドボアの肉です」
「だ、ダブルヘッドボアぁ?」
ザーグ家は奥さんと十歳くらいの男の子が一人の三人家族。そこに俺が加わって四人での食事になるが、他のおかずもあるだろうから五百グラムもあれば十分だろう。
俺は前もって空間収納から取り出しておいた肉を彼女に手渡した。
「おいおい、持ってきた食材ってこれのことかよ」
「俺も入れて四人だと少し物足りないかも知れませんけどね」
「なぁに言ってんだ! こんな高級肉、まさか食える日がくるとは思わなかったぜ!」
「その代わりと言ってはなんですが、帰りに少しばかりストロンを分けてもらえませんか?
教会の子供たちに食べさせてやりたいので」
「おうよ! 好きなだけ持っていっていいぞ」
「ではシスター三人と子供八人、それに俺の分も合わせて百二十個ほど頂ければ」
「何だよ、そんなモンでいいのか?」
「甘い物はシスターや子供たちにとって肉と同じくらいのご馳走ですから。もっと食べたいと思うくらいがちょうどいいんですよ」
とは言え一人十個だ。ポピー辺りはそれだけで満腹になってしまうだろう。
「そうか。また欲しくなったらいつでも来てくれ。もっともせいぜいあと半月の間くらいしか穫れないけどな」
「ありがとうございます。その時はちゃんとお金を払いますね」
美味い物は人を笑顔にさせる。ザーグ家の面々は初めて口にする超高級肉に、思わず顔をほころばせていた。お陰で余所者の俺もすんなり受け入れてもらえたようだ。
それから部屋に戻って夕食で出された酒が回ってきた頃、俺は気分よく眠りに落ちるのだった。