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第一話 ドロシーとスコーピオン

 神聖ルーミリン聖教皇国は、ルーミリン聖教を国教とする宗教国家である。


 そう言うと何だか小難しい話になりそうだが、要は統治の原則がルーミリン聖教に基づいていると考えればいい。

 執行される宗教儀式なども国家の行事として扱われている。


 ルーミリン聖教の根本は主神ルーミリンを信じ、日々慎ましやかに生き、隣人を愛しましょうというようなのものだ。それ以上は信者じゃない俺にはよく分からない。


 しかしこの聖教皇国にあっても、国民全員が熱狂的な信者というわけではなかった。

 だから愛すべき隣人とのケンカなんてしょっちゅうなわけで――



「俺が先だ!」

「いいや、俺の方が早かった!」


 屈強そうな男二人が言い争っているのは、皇都レイタビークにある冒険者協会ビークの受注カウンター。おそらくは割のいい依頼(クエスト)を取り合いしているといったところだろう。


 荒くれ者の冒険者という人種は、どこにいても隣人より金を愛する者の方が圧倒的に多いのである。



 ま、俺はまずこの協会への登録が先なので、彼らと関わることはなさそうだが。


「登録の受け付けはこっちでいいか?」

「あ、はい」


 不安そうに二人の言い争いを見ていた受付嬢は、俺という客があらわれたことで安心したようだ。


 身長が百五十センチくらいしかない小柄で華奢(きゃしゃ)な猫耳族の女の子なので、自分に害が及ぶことを殊更(ことさら)怖れていたのだろう。


 胸にあるドロシーと書かれた名札の下には研修生バッジもあるので、正式採用された時のことを考えているのかも知れない。


「こちらにお名前と年齢と種族、それから任意ですが得意な技術とか魔法とか、

スキルや戦闘スタイルなども書いて頂くと、パーティーに誘われやすくやります」


「パーティーを組んだりするつもりはないから、名前と年齢、あと種族だけでいいかな」

「もちろん構いませんが、本当にいいんですか?」


「ドロシーさん」

「はい、何でしょう?」


「冒険者が一度口にしたことを問いただすのはやめた方がいい」

「あっ……も、申し訳ありません」


「怒ってないから大丈夫。ただ、中にはそれで怒鳴り散らすヤツもいるからさ」

「はい、教えて下さってありがとうございます!」


 肩までの栗色の髪を揺らして、新人らしく元気に頭を下げた彼女は何となく嬉しそうだった。


「これでいいかな」


「ハルト・キサラギ様、人族の二十一歳ですね」

「ハルトでいいよ」


「ではハルトさん、どこかの協会で口座はお持ちですか?」


「フォルテネシア王国のリングラードにあるラードで口座を持ってる」

「連携の手数料として銀貨一枚必要ですがどうされます?」

「頼む」


「かしこまりました。それでは登録料の銀貨五枚と合わせて、銀貨六枚になります」


「悪い。持ち合わせが金貨しかないけど大丈夫か?」

「はい。大丈夫ですよ」


 両替の手数料もかからないとのことだったので、俺はさっきもらったばかりの金貨を一枚、彼女に手渡した。


 金貨一枚は日本円換算でおよそ十万円、銀貨一枚はおよそ千円だ。後は小金貨一枚が一万円、小銀貨が百円で銅貨は十円である。それ以下はないので、十円が貨幣の最小単位だった。



 なお、この聖教皇国はボルトエイシアという大陸にあり、他に帝国が一つと王国が三つ、公国が一つ存在する。


 この世界には大陸の大きさを測る技術はないが、何となく感じたところではオーストラリア大陸くらいの広さではないだろうか。


「お待たせしました。こちらが当協会の会員証となります。

 口座の確認は会員証に魔力を流すか、魔力がない場合はあちらのカウンターにある魔力板に置いて下さい」


 指し示された方を見ると、三人が座れるカウンターに間仕切りが設置されている。他人の情報を無闇に覗けないようにするための措置だ。


 魔力がないわけではないが、まだレベル1だし無駄遣いは避けることにしよう。口座確認に使う魔力なんて微々中の微々たるものだが、レベル1の魔力もまた微々たるものだからである。


「ありがとう」


 俺は会員証を受け取ると、早速確認用のカウンターに腰掛けた。そして魔力板にそれを置くと直上に文字囲浮き上がる。そこには確かにビークとラードの口座が選択項目に現れていた。


 ドロシーはちゃんと仕事をしてくれたらしい。ところがお礼のつもりで彼女に目を向けると、先ほど言い争いをしていた冒険者二人に絡まれているようだった。


「よう研修生、俺の名前を言ってみろ!」

 どこかの世紀末の仮面男かよ。


「えっ!? あの、えっと……」


「どうしたおい! 俺たちゃここで十年以上活躍してんだぜ。

 研修生だからってまさか知らねえなんて言わねえよなぁ?」


「申し訳ありません。私まだ就職(はい)ったばかりで……」

「おいおい、そりゃねえぜ」


 遠巻きに様子を見ているだけの野次馬によると、二人はレガーとダヤン。会員の中でも特に素行の悪い連中らしい。


 ただ、誰も止めに入らないのは二人が強いからではなく、バックに付いているスコーピオンという、荒くれ者を束ねる集団を恐れてのことだった。


 スコーピオンねえ。


 さらに悪いことに、彼らに唯一対抗出来る協会のマスターが、定期報告のため城に出向いていて留守だったのである。


「あの、覚えますからお名前を教えて頂けませんか?」


 誰も手を差し伸べてくれないのを覚って、ドロシーは涙目になりながら震えている。それでも何とか搾り出した声に、レガーとダヤンの二人はニヤニヤしながらカウンターをバンッと叩いた。


「ひっ!」


「いいぜぇ、教えてやるとも。俺たちは新人には優しいんだ」

「おうともさ。ただなあ、協会の仕事を手伝わせるんだから、それなりの見返りが必要だよな」


「お、お金ならマスターが戻ってきてから……」

「んだとぉっ!!」


「おいおいレガー、怖がらせちゃ可哀想だぜ」


「んあ? ああ、そうだな。金なんかいらねえよ、研修生。

 その代わりこれから酒場でちぃっとばかし酌してくんな」


「あの、すみません。まだ仕事中ですので……」

「ざっけんなっ!」


 再びレガーがカウンターをバンッと叩いた。


「ひぃっ!」

「まあまあレガー、だから怖がらせるなって。なあ研修生のお嬢ちゃん、俺たちが色々教えてやるって言ってんだ。

 それは仕事と同じだと思わないか?」

「でも……」


 ドロシーもそろそろ限界のようで、端から見ていて分かるくらいにガタガタと震えている。


 それにしても協会の職員が誰一人仲裁に入ろうとしないのは問題だろう。

 仕方ない。コイツらと関わると面倒なことになりそうだが、あれだけ怯えているドロシーを見捨てるのも夢見が悪くなるだろうしな。


「その辺にしておけ」

「あ? 何だてめえ!」


「ハルトさぁん……」


「彼女は研修生だ。研修生が仕事をサボったらクビになることくらい、ベテランのお前たちが知らないわけがないよな」


「おいおい兄さん、俺たちがスコーピオンのメンバーだって分かってて割り込んできたのか?」

「それはさっき聞いた」


「そいつぁ話が早え。ダヤン、やっちまっていいよな」

「ったりめえだ!」


 ダヤンは応えるより早く、俺に殴りかかってきた。俺の身長は百七十センチちょっとでどちらかと言うと細マッチョだが、二人はそれよりも十センチ以上高い。

 さらに裸革鎧(はだかかわよろい)から覗く上半身は、重量挙げ選手のように筋肉隆々である。


 端から見れば、彼らに比べて俺はかなり貧弱に映るだろう。


 ボカッ!


 そして大方の予想通り左頬に拳をねじ込まれ、俺の体は木の葉のように吹き飛ばされた。


「ハルトさん!」


 思わずカウンターから飛び出して、ドロシーが俺の脇に駆け寄ってくる。だがドロシー、それは悪手だ。


 レガーとダヤンは互いに顔を見合わせると、ニヤリと笑ってドロシーの腕を掴んで捩じり上げた。


「い、痛いっ! やめて下さい!」


「残念だったな、研修生。王子様はおねんねのようだぜ」

「誰か! 誰か助けて……」

「るっせえんだよ!」


 必死の形相で叫んだドロシーの頬を、レガーが力任せに平手打ちする。そのせいで口の中が切れた彼女の小さな唇からは、真っ赤な血が流れ出ていた。


「酷い……誰か……」

「まだ言うか!」


 そう言って二発目の平手を振り上げたのを見て、俺はすかさずレガーと彼女の間に飛び込んだ。当然、平手打ちは俺が代わりに受けることになる。

 そのお陰でドロシーが解放された。


「ドロシー、逃げろ」

「でも……!」

「いいから逃げろ!」


「分かりました! マスター呼んできます!」


 だが、彼女が駆け出したところでダヤンが足を引っかける。そして盛大に転ばされたうつ伏せの小さな体に、ダヤンの巨躯(きょく)が馬乗りになって髪の毛を引っ張った。


「い……息が出来な……」

「マスターなんか呼ばれちゃ、後が面倒なんでな」


 やっぱりダメだったか。それにしても、ここまでされて誰も助けようとしないなんて、職員のヤツらは本当にろくでもないな。


 まあしかし、これで二人に与える罰が決まった。まだレベルが低いので魔力量的に大きな魔法は使えないが、初級魔法の鎌鼬(カマイタチ)程度なら問題ないだろう。


 それに早くしないとドロシーが窒息しそうになっている。故意過失は問わず、あれは明らかな殺人行為だ。


 しかも協会内での職員への乱暴は死罪もあり得る重罪。当然ながら会員証も取り上げられる。

 そこで俺が下すと決めた彼らへの罰は両腕切断だった。


『カマイタ……』

「お(めえ)ら、何してやがる!」


 まさに頭の中で、魔法のイメージを完成させる直前だった。

 野次馬の中から突然怒声が響き渡ったのである。同時に二人の顔から血の気が引くのが見て取れた。


「お、お(カシラ)?」


 お頭と呼ばれた男はツカツカとダヤンの方に近づくと、その顎を思いっきり蹴り上げた。巨体が宙を舞い、派手な音を立ててその辺にあった椅子やテーブルをなぎ倒していく。


 ちなみにお頭は、レガーたちよりさらに一回り大きな体つきだった。


「ゴホッ……ゴホッ……」


 咳き込んではいるが、どうやらドロシーは窒息死せずに済んだようだ。

 それを見てからお頭はレガーの顎も同様に蹴り上げ、倒れたままの俺の背中に手を入れて助け起こしてくれた。


「ハルトさん、うちのモンが()いやせん」

「シャークか、(しつけ)がなってないぞ」


「へい。後でしこたまぶん殴っておきやすんで、ここはあっしに免じてお許し頂けやせんか?」

「俺はともかく……」


 ドロシーの横にしゃがんで、未だに苦しそうに咳き込んでいるその背をさする。すると、俺に気づいた彼女がいきなり抱きついてきた。


「は……ハルトさぁん……ふぇぇん」

「怖かったな。でももう大丈夫だぞ」

「私……仕事辞めるぅ……」


 研修期間中に死にそうな目に遭ったのだ。彼女がそう言うのも無理はないだろう。


「だそうだがシャーク、この落とし前はどう付けるつもりだ?」

「お嬢さん、あの……」


「ひぅぅっ!!」

「こりゃ困りやしたね」


「シャーク、お前のところから用心棒を出せ」

「へ? ああ、そういうことでしたら」


「ドロシーが怖がるような厳ついヤツはダメだぞ。そうだな、シオン辺りなら女だし腕も確かだし、どうだ?」


「確かにシオンでしたらレガーやダヤンなど足許にも及びやせんが……」

「何だ、煮え切らないな」


「あ、いえ、そういうわけでは……」

「なら決まりだな」


「分かりやした。それでハルトさんにお許し頂けるなら」


「許すのは俺じゃなくてドロシーだ。なあドロシー、俺もこんな薄情な職員しかいない協会なら辞めてもいいと思う」


 カウンターの中にいる職員を睨みつけると、彼らは全員ばつが悪そうに目を逸らした。


「しかしあのスコーピオンの頭目(とうもく)であるシャークが、詫びとしてお前に用心棒を付けることを約束してくれたんだ」

「用心……棒……?」


「ああ。シオンという女でな、頼りになるぞ」

「でも……皆のお仕事の邪魔に……」


「それなら問題ない。普段は目だたないところから見張ってくれるはずだ。そうだな、シャーク」

「もちろんです。仕事の邪魔はさせやせん」


「だからどうだ? もう一度がんばってみないか? 俺もドロシーと会えなくなるのは寂しいし」


「ハルトさん……また会いに来てくれますか?」

「当然だ」


「分かりました。そこまで言って頂けるならがんばってみます」

「ならよかった」


「それと……用心棒の件はお断りさせて下さい」

「ん? いいのか?」

「やっぱりその……女の人でも怖いですから……」


 そう言って俺の胸に顔をうずめた彼女の姿に、シャークは困り果てた表情を浮かべた。理由は、これでは落とし前が付けられないからである。

 ま、それはまた改めて落としどころを探せばいいだろう。


「ところでお前たち」


 俺はカウンターの中の職員に目を向けた。


「誰か治癒魔法を使えるヤツはいないか?」

「あ、はい! 私が使えます!」


 一瞬の間をおいて手を挙げたのは、たった今やってきた若い女性の職員だった。


 彼女は事の次第が分からず、ただならぬ雰囲気に何も出来ず立ち尽くしていたようだ。


「名前は?」

「はい、レイラと申します」


「ならレイラ、こっちに来てドロシーに治癒魔法をかけてやってくれ」


「えっ!? ど、ドロシー! 何があったんですか!?」

「レイラさん……」


「それより先に治癒魔法を……」

「はっ! そうでした」


 レイラの治癒魔法のお陰で、ひとまずドロシーの殴られた傷は治った。


「レイラさん、ありがとうございます」

「ううん、いいの。だけど一体何があったの?」


「えっと……あっ! ハルトさんにも治癒魔法を……あれ?」

「ハルトさんってこちらの方?」


 不思議そうに俺の顔を見つめるドロシーと、その視線を追ったレイラ。そして次の瞬間、二人は息もピッタリにこう言った。



「どうして?」



 だが、その疑問の意味するところが全く異なっていたのは言うまでもないだろう。

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