第二話 キャロルと妊娠
「ハルトさん! ミオさん!」
「からおけぼっくす、凄いです!」
聖教歌を歌い終えると、シスター三人が涙を拭いながら駆け寄ってきた。子供たちはさっきまで楽団が映っていた液晶ディスプレイの裏側を見て不思議がっている。
俺もガキの頃、同じことしたっけ。
「今日大聖堂で演奏があるなんて知りませんでした!」
「あ、いや、あれは違うんだよ」
映像が録画物であることを理解してもらうまでに、かなりの時間を説明に費やした。そして今度は、聖教歌を好きな時に歌えると知って大騒ぎである。
ところでカラオケの電力だが、どうやら魔力が使われているらしい。機材がその場にいる者の魔力を吸って動いているとのこと。
しかも動作に必要な魔力は微々たるもので、ミオによるとほとんど魔力を持たない子供でも、八時間ぶっ通しで歌える程だそうだ。
「大魔術師のミオ様を讃えるがよいぃ!」
「レベル10の大魔術師な」
「うっさいなぁ。あ、今のは冗談だってば」
シスター三人に拝まれて、言ったそばからミオが照れている。
彼女らにしてみれば、いつでも聖教歌が歌える装置を作り出したミオは崇めるべき存在なのだろう。ただの元女子高生が大出世じゃないか。
「それにしても三人があんなに歌が上手いとは思わなかったよ」
「ありがとうございます」
「練習、厳しかったですから」
「ハルトさんの前で歌ったのは初めてでしたね」
「何か特別な行事とかがないと歌わないのか?」
「いえ、毎月一日は主神ルーミリン様を讃える日ですので、朝のお祈りの時に歌ってますよ。ハルトさんは寝てらっしゃいましたけど」
「そ、そっか……」
そう言えば昨日は五月一日だったな。こっちの世界の気候は日本とほぼ同じなので、今は一日を通して過ごしやすい陽気である。
つまり春眠暁を覚えず、というわけだ。もっとも、それとは関係なく俺は朝が弱かった。
ところでシスター三人の朝は早い。何をしているのかはよく分からないが、午前四時頃には起床して六時から朝の祈りを捧げているそうだ。
そして俺が朝食に呼ばれるのが八時前後。子供たちも同様だが、寝ぼすけな俺はだいたい九時前くらいに食卓に着くことが多い。
余談だがスリーアイズのせいで市場に行けなかった日の翌日以降、俺を起こしに来るのはキャロルだった。もちろん彼女がベッドに潜り込んできたり、馬乗りになったりなんてラノベ的なイベントはない。
ただ優しく揺すってくるだけだが、あと五分とか十分とかいう我が侭を聞いて、俺が自分で起きるまで待っていてくれるのである。
そんなだから俺と彼女の朝食は当然一番最後。しかも毎回俺の分まで食器を洗ってくれるので、申し訳なさでいっぱいだ。
「気にしないで下さい。朝からハルトさまと食事をご一緒出来るだけで私は幸せですから」
ところが、自分が使った食器くらい自分で洗うと言った時の彼女の返しがこれだった。俺はどうしてこんなに彼女に好かれているのか。
尋ねてみたいのは山々。しかしそんなことを自分の口から言うのも小っ恥ずかしい。
九つも年下の女の子に何を照れてるんだと思うだろう。確かに日本で言えば、今年十三歳になる彼女は中学生である。
しかし実年齢よりも大人びて見える分、どうしても子供扱い出来ないんだよ。ま、早い話がかなり意識してしまっているってわけ。
俺はロリコンじゃないけど嫌いというのとは違う。さすがにいくら可愛くても、五歳のポピーに恋愛感情は抱くことはない。
だけどキャロルは高校生くらいに見えるから、どうしても守備範囲に入ってしまうのだ。
閑話休題。
この教会に住み込んでから今日で六日目になるが、生活リズムのせいでシスターたちのあの美しい歌声を聴けなかったのは、本当にもったいないと思う。
思いはするが、現代人の俺には朝六時に起きるなんて、どだい無理な話だった。
「ま、まあ次は起きられたら聴かせてもらうよ」
「私が起こしましょうか?」
「あはは、キャロルありがとう。その時になって頼むかどうか決めるから」
この子は絶対いい奥さんになると思う。
「で、カラオケボックスの件だけどどうする、オリビアさん?」
「そうそう、ハルトさん」
「ん?」
「私もシスター・レイラも年下なんですから呼び捨てでいいですよ」
「レイラさんも?」
「はい、構いません」
「お兄さん、私もミオでいいよぉ」
「分かった。じゃ今度からそうするよ。それで……」
「からおけぼっくすですよね。聖教歌はやはり礼拝堂で歌わせて頂くべきだと思うんですが」
「オリビア、カラオケボックスで流せるのは聖教歌だけじゃないぞ」
「え? そうなんですか?」
「ミオ、お前なんか歌え」
「分かったぁ!」
ノリノリの彼女が歌ったのは、俺の知らない曲だった。日本からこっちに来て二年だからな。最近の曲を知らなくても当然だろう。
それにしても、さすが現役の元女子高生だ。難しそうなテンポの歌を、軽快なステップを踏みながらさらっと歌い上げていた。
その迫力に、シスター三人と子供たちは唖然とするばかりである。
「い、今の……何ですか?」
ようやく声を搾り出したのはリリーだった。
「きゃははっ! リリっちぃ、何ですかなんて酷いよぉ。褒めてくれないのぉ?」
「あ、あの、すみません。あまりにも凄すぎて……リリっち?」
「リリー、気にしたら負けだぞ」
「え? あ、はい……」
「なら私はキャロっちですかね」
突然キャロルが真顔で言ったので、思わず吹き出してしまった。
「キャロっちぃ! 可愛いじゃん!」
「ミオさんに可愛いって言われちゃいました! ハルトさまぁ、どうして笑うんですか!?」
「いや、だっていきなり……くくくっ……」
「ねえねえ、キャロっちはどうしてお兄さんのことさま付けで呼ぶの?」
「そうですねぇ……ハルトさまは私にとって特別な方ですから」
「きゃぁぁっ! だいた~ん! お兄さん、特別なんだって!」
「ちょ、キャロル……」
「あ、あれ? 私そんなつもりで言ったのでは……」
「こんな可愛い子に特別って言われて、お兄さんも隅に置けないねぇ」
頬に手を当てて真っ赤になっているキャロルも可愛い。それはいいとして、シスターたちは苦笑いしてるし、子供たちはわけがわからずキョトンとしている。
ここは大人の俺が助け船を出すべきだろう。
「大丈夫だキャロル。俺も君のこと特別だと思ってるから……」
刹那のシンとした礼拝堂。両手で顔を覆ってしゃがみ込むキャロル。
あれ? 俺何か変なこと言った?
「はぅぅぅっ……」
「キャロル?」
「私……私、妊娠したかも知れません……」
「はぁ!?」
マイクを握ったままだったミオの大笑いの声が礼拝堂に響き渡り、シスターたちからは突き刺さるような視線が俺に向けられた。
「まさかハルトさん!?」
「ち、違うから! 俺はまだ何もしてないから!」
「まだぁ?」
この後キャロルとシスター三人への説明で、カラオケボックスどころではなくなってしまったのは言うまでもないだろう。