第六話 皇国軍と勇者
「キャロルは布を売ってる店に心当たりはあるのか?」
「何度かシスターと市場に行ったことはありますが、布を買ったことはありませんので」
「そうなんだ……ん?」
「どうしたんですか?」
突然立ち止まった俺の前に回って振り返り、両腕を後ろに回して腰を折るキャロル。それから小首を傾げるようにして彼女は俺の顔を覗き込んだ。
わざとやってるならめちゃくちゃあざといが、これはあくまで自然な仕草なのだ。一瞬ドキッとさせられたが、それよりも俺の意識は彼女の後方にあった。
「あれ、皇国軍じゃないかな」
「え?」
俺が指さすと、彼女もそちらに顔を向ける。
「本当ですね……まさかハルトさまを捕まえに!?」
「いや、さすがにそれはないと思うよ」
「そうですよね。私まだ何もされてませんし」
「こら!」
「てへっ」
そんな会話を交わしているうちにも、軍馬に乗った兵士がみるみる近づいてきた。先頭は二騎。その後ろに四騎が付いてきている。
そして二騎が俺たちの前で止まると、口髭を生やした中年の兵士に声をかけられた。
「お前たち、どこへ行く?」
「オルパニーの市場です」
「残念だが市場はやってない。引き返せ」
「はい? それはどういう……」
「機密事項だ。いいから言う通りに……」
「あれぇ? お兄さぁん、また会ったね!」
兵士の言葉を遮って前に出てきたのは、えっと、誰だっけ。
「よ、よう」
「ミオ殿、この方はお知り合いですか?」
「うん。私たちと一緒に召喚された人ぉ」
「何と!?」
そうそう、魔術師の称号を得た女子高生だった。
ところで兵士の方は、俺のことを聞いてニヤニヤと笑い出した。
「ふん! 称号なしか」
「称号なし……? でもハルトさまは……」
「キャロル!」
「あっ! すみません」
「ところでお前ら、よく馬なんか乗れてるな」
「あ、これぇ? スキルのお陰で乗れたんだよ」
「そうか」
「スキルって便利だよね。お兄さんは何かスキル持ってるの?」
「大したスキルはないな」
「そうなんだ。あのね、私たち魔物退治にきたんだよぉ」
「魔物退治?」
「み、ミオ殿、それは軍の機密事項で……」
「いいじゃん、いいじゃん」
「いえ、そういうわけには……」
オッサン、女子高生にあしらわれてやんの。いい気味だぜ。
「ところでそっちの可愛い子は? もしかしてもう女の子引っかけたのぉ? お兄さん、やるぅ!」
「おい、人聞きの悪いこと言うな!」
「えっと、引っかけられました。私はキャロルと申します」
「きゃははは! 本人もそう言ってるじゃん!」
「キャロル!」
ペロッと舌を出して彼女は後ろに下がった。いちいち仕草が可愛いなぁ、もう。
「それでミオ、だっけ。魔物ってどんなヤツなんだ?」
「えっとねぇ、確か……」
「ミオ殿! 機密事項だと……」
「スリーアイズとか言ってた」
「スリーアイズだとっ!?」
スリーアイズとは三つ目の熊の魔物である。よくあるおでこの辺りに一つの目があるタイプではなく、スリーアイズの目は横一直線に並んでいる。
成獣の体高は三メートルを優に超え、鋭い爪は一撃で馬の胴体を真っ二つにしてしまう。
さらに真ん中の目は拘束のスキルを放ち、獲物を動けなくしてから生きたまま噛み砕くのだ。顎の力も強靭で、頭蓋骨など簡単に潰されてしまうだろう。
巨体のクセに動きも俊敏なため、討伐が非常に困難な相手だった。
「お前らレベルいくつになった?」
「えっとね、レンが9でリクが13。私とツムギが10になったとこ」
勇者と魔法が使えるヤツは、戦士に比べてレベルアップに時間がかかるからな。正直レベル一桁の勇者なんて未熟もいいところだ。
勇者に限ったことではないが、有用なスキルの多くはレベルが二桁になって初めて使えるのである。今の勇者なら、本気になった戦士や魔術師にも敵わないだろう。
それでも、召喚されてからわずか三日でよくそこまでレベルを上げたものだと感心はする。
だが――
「なあ、兵隊さん」
「何だ?」
「いくらソイツらが称号持ちでも、スリーアイズ相手はまだ早過ぎるんじゃないか?」
「貴様ごとき称号なしに何が分かる! 我々はプロだ。素人が口を出すな!」
「ミオ、いつまでそんなヤツ相手にしてんだ!」
勇者の馬も前に出てきた。
「えー、せっかくまた会えたんだし、ちょっとくらいいいじゃん! レンのケチ!」
「おいアンタ、死にたくなかったらさっさと引き返せ!」
お前らこそと言いたかったが、スリーアイズくらいの魔物になると討伐は軍の仕事だ。今はキャロルも一緒だし、ここは大人しく引き下がった方がいいか。
たとえ彼らが未熟でも、軍と行動を共にしているなら死ぬこともないだろうし。
それにもし彼らが討伐に失敗すれば、スリーアイズが教会の方に来ないとも限らない。そうなったら俺がシスターや子供たちを護らなければならないのだ。
もっとも俺にとってはスリーアイズなど敵ではなかった。ヤツの拘束スキルも、状態異常を無効化する賢者のスキルを持つ俺には効かない。
さらにスリーアイズの魔法防御力は高くないから、射程範囲内にさえ入ってくれば魔法で倒せるはずだ。
ただし、レベル3の俺の射程距離は3メートル。
いい加減このレベル依存の諸々はやめてほしいモンだよ。
「一つ教えてくれ」
「何だ?」
「オルパニーの人たちはどうしてるんだ?」
「それも機密事項……」
「全員の避難は不可能だからな。街の中央広場に集めて軍が周囲を固めている」
「勇者殿まで……」
兵士が口を挟もうとするのを手を挙げて制し、勇者が面倒くさそうに応えた。住民を一カ所に集めるのは愚策とも思えたが、軍が護っているなら何とかなるだろう。
「そうか。キャロル、残念だが市場はまた今度だな」
「はい。魔物が出たなら仕方ないです」
「レンだったか」
「あん?」
「しくじるなよ」
「称号なしが! 偉そうなこと言ってんじゃねえよ」
そして勇者は馬から降り、スタスタと俺の横に来て小声で囁く。
「なあアンタ」
「ん?」
「ホントはめちゃくちゃ強えだろ」
「えっ!?」
「地獄耳ってスキルでさ、俺らが出ていった後のアンタと聖帝の話を聞いたんだよ」
「お前……」
「俺はバカじゃねえ。それに無知を装ってるが隠れてラノベ読みまくってたからな」
なるほど、コイツは隠れオタクだったってことか。
「魔王を倒しても俺らは日本に帰れねえ。そうだろ?」
「さあな」
「ふん、まあいい。アンタに頼みがある」
「頼み?」
「万が一俺が死んだ後のミオたちのことだ」
「な、何を……」
「もちろん死ぬつもりはないよ。ただの保険さ」
勇者は踵を返すと、再び馬に跨がった。
死ぬなよ。
「俺たちはこのままオルパニーに戻る。もし引き返す途中でオルパニーに向かうヤツがいたら、ソイツらにも引き返すように言ってくれ」
「こ、これは軍の命令だ! 分かったな、称号なし!」
自分の子供ほどの勇者たちにあしらわれ、相当フラストレーションが溜まっていたのだろう。兵士は去り際、憎々しげに俺に言い放った。
アンタから見れば、俺だって彼らとそう変わらない年齢のはずなのに。
「帰ろうか」
「はい」
彼らの姿を少しの間見送ってから、俺はキャロルを促して来た道を引き返すのだった。