第六話 初任務
理屈ではなく感覚を掴むしかない技術ほど習得が難しいものはない。新たな力を求めて鍛錬に励んでいた私は、疲弊しきった身体を地面に預けながらふとそう思った。
初めて他の能力を見たあの衝撃から一週間が経った。もうだいぶこの施設での生活にも慣れ、東京班のメンバーとして任務に駆り出されて大忙しだ。先日の任務など、鉄黒さんと行動を共にして戦闘能力の高さを褒められてしまった。毎日新たな発見と刺激に溢れ、実に充実した毎日を送っている――。
(……なーんて、そうだったら良かったのだけれど……)
大きくため息を吐く。ここに来てから一週間。一日も欠かさず続けた鍛錬の成果として『怪力』のデメリットは克服しつつあり、身体の動かし方はかなり分かってきたものの、刺激らしい刺激など一切ない。
指導役の頸桐さんは、可能な限りトレーニングルームに顔を出してくれているが、相当忙しいらしく頻度は低い。統心さんも様々な任務に引っ張りだこなようで、二日前に大浴場で見かけたときは死にそうな顔をしていた。鉄黒さんに至ってはこの一週間一切顔を見ていない。
目標であり、先輩であり、教官でもある彼らと殆どコミュニケーションが取れていない以上、私ができることは今までの鍛錬に加えて『能力』を磨き、少しでも早く戦力にカウントされるよう努力することくらいだ。
(とは言っても、いつまでこうしていれば良いのか分からないのは中々不安になるわ。『二つ目の能力』も現段階では習得できそうにないし……)
むくりと上体を軽く起こす。すると、捲れた地面、砕けた岩、散らばった雑草などが目に入った。『能力』の試行錯誤の証をぼーっと眺め、頸桐さんの言葉を思い返す。
(『死んだ時のこと』、『自分が心の底からやりたいこと』が『能力』に関係してくる、ね。私なりにこの二つを考えてみたけれど……。結局、いくら考えても何をやっても『能力』は発現しなかった)
そもそも、私が『死んだ時』はあの屑のことを殺したくて仕方なかったし、『やりたいこと』もあのゴミカスを殺すことだ。両方同じ内容だった場合、一つ目はまだしも二つ目は発現するのだろうか。
(分からないこと、できないことだらけね。こんな状態じゃ鉄黒さん達みたいに任務に呼ばれるなんて……)
夢のまた夢ね、と自虐気味に嗤う。愉快な気分ではないが、久しぶりに笑ったからか中々笑いが収まらなかった。変なツボに入ってしまったようだ。私にもまだ人間らしいところがあるらしい。
一通り笑い、とりあえず今日はこの辺りで切り上げようと立ち上がった時、背後から声を掛けられた。低く、どこか安心する声。
「赤燎、やっぱりここにいたのか。朗報を持ってきたぞ」
振り返ると、そこには疲れ切った顔をした鉄黒さんが立っていた。いつの間にか『世界』に入ってきていたらしい。いや、それよりも。
「……鉄黒さん、朗報の前に、一つ。さっきの聞いてたかしら?」
鉄黒さんはきょとんとした顔をする。この分では聞かれていなさそうね、と安心しかけた瞬間、彼は悪そうに笑った。
「ばっちり聞いていたぞ。随分楽しそうだったな」
最悪だ。恥ずかしさのあまり顔を覆う。一人で笑い続けている姿など、とてもではないが他人に見せたいものではない。私は顔の熱が引かないまま、話を逸らそうとする。
「ところで、朗報ってなに……?」
強引な話題の戻し方に鉄黒さんは突っ込むことはなかった。相変わらずにやついていたが。
「お前の初任務が決まったぞ、三日後だ。コンディションは整えておけよ」
それを聞いてさっきまでの羞恥はどこかへ消え去り、私は叫んだ。
三日後。朝昼は鍛錬をし、三食しっかり食べ、夜はぐっすり寝る生活を続けて三日。今日のために普段以上に身体に気を遣った結果、無事にベストコンディションまで持っていくことができた。身体が軽い。今なら大岩だろうと粉々に粉砕できそうだ。
「よし、集合時間ジャスト。全員揃ったな」
事前に指定された部屋にきっかり時間通りに到着すると、中には既にαと鉄黒さん、統心さんが円卓に着いていた。
「おはよう円火ちゃん。今日が初任務って聞いて、つい応援に来ちゃった」
頸桐くんは忙しくて来れないみたい、と統心さんがふんわり笑う。彼女の笑顔を見ただけで緊張が若干ほぐれた。
「ありがとう、統心さん。緊張してたから心強いわ」
なるべく自然な笑顔を返す。すると統心さんは更ににっこりと優しい笑顔を浮かべた。ふわふわした雰囲気になりつつあったところで、そのやり取りを見ていたαが口を挟む。
「円火。初任務だからといって温い相手ではないのだ、浮かれるな」
相変わらず冷たい物言いだが、初日と比べれば態度が少し柔らかくなったような気もする。
「ええ。当然、やるからには全力で行くわ」
それで良いと言うようにαが軽く頷く。最初から一切手を抜くつもりはない。その辺りの線引きは元よりできている。
「調子は訊くまでも無さそうだな。それじゃ、これを右腕に着けろ。次にこれは左腕だ。それからこれは胸元に。統心、手伝ってやってくれ」
そう言いながら鉄黒さんはじゃらじゃらと、いくつか装飾品のようなものを手渡してきた。統心さんの手を借りながら、それらを指示された箇所に着けていく。制服であるため少々手間取ったが、両手首と胸元のリボンに着けることで落ち着いた。
「よし、着けたな。それぞれ一つずつ説明しよう。まずお前が右手首に着けているものは通信機だ。使用する時は、触れながら自分の名前、所属と相手の名前を思い浮かべれば良い」
右手首で淡い青に輝くブレスレットを顔の前まで持っていき、眺める。これも何かしらの『能力』で造られたモノなのだろうか、どう見てもただのアクセサリーにしか見えない。もっとも、生前はこういったものに触れる機会がなかったから私の主観は判断材料にはならないが。
「次に左手首の機械。それはGPSと緊急事態報知器を兼ねている。通信機が使えない状況下で役に立つものだ。通信機はともかく、こっちは必ず常に身に着けていてくれ」
左手首に巻かれた腕時計に目をやる。こちらも上等なただの革時計のようだ。見てくれだけの時計かと思ったらきちんと秒針は動いており、デザインも中々良い。製作者の隠れた努力に感心する。
「最後に、胸元の機械。それは『強制異能遮断珠』と呼ばれる、要は緊急時のストッパーだ。執行人は全員着用が義務付けられている。ほら」
説明しながら、スーツの内ポケットから黒く輝く珠を取り出して見せてくれた。一般人が見れば宝石と勘違いしそうなほどに美しいが、同時に秘められた力に気圧される。そっと胸元の珠を撫でるも、指先に伝わる冷たさに心がすくむ。まるで私そのものを否定されているような感覚。
「俺達は諸刃の剣。平常時は使える駒だが、正気を失えば厄介な兵器になることを大将も分かってるが故の措置だ。ちなみに使われると、二日酔いの十倍キツイ。最悪の気分になる」
(……私、まだ未成年なのだけれど。もっと良い例えは無かったのかしら?)
言っていることは解るが、いまいち伝わらない例えに思わず心の中で突っ込む。話を聞いていた統心さんもαも良く分からなさそうな顔をしていた。
「とりあえず、装備品についての話はこれで終わりか。赤燎、立て。遂に任務開始だ」
「!!」
遂に来た。私が待ち焦がれた、東京班での最初の一歩。急いで立ち上がると、鉄黒さんが私の傍まで寄る。すると彼は腕を上げてその大きな手のひらをぎこちなく私の頭の上で泳がせ、下ろした。
「鉄黒さん?」
「……いや、何でもない。しっかりな」
疑問に思って声を掛けるがはぐらかされた。出陣前のおまじないか何かだろうか。鉄黒さんの後ろに立っていた統心さんは何故かにやついていたが、彼が傍から離れたのを見て私をそっと抱き寄せた。
「絶対無事に帰ってくるんだよ?無茶しちゃダメ。私、もっと円火ちゃんのこと知りたいんだから」
柔らかく、落ち着く感触。包まれるような優しい声。身を委ねたくなるような天上の温もりに、私はいつかの記憶を想起していた。血と復讐に塗れた人生を送る前のこと。お姉ちゃんも何かとこうやって抱き締めてくれた。
「ええ。私も統心さんのこと、良く知りたいわ。もちろん鉄黒さん達もね?」
統心さんの背に手を回し、抱き締め返す。ほんの数秒の抱擁だったが、多くのものを貰えた。私には充分すぎるくらいだ。
「もういいだろう、『扉』を開く」
先ほどまで囲んでいた円卓に手を着いて何やら唱えると、円卓が沈み、床の表面に幾何学的な模様が浮かんだ。模様はたちまち極細の光の柱となり、絡み合い、形を成す。
「これを通れば標的から程近い場所に転送される。人払いは済んでいるから好きに暴れろ。それと、終わったら連絡を忘れるな」
αの言葉を背に、私は光の扉の向こうへと足を踏み入れた。
眩い光に包まれ、足元の感覚がなくなった。しばしの浮遊感。一瞬だけ光が一等強くなり、思わず目を瞑る。ただそれもすぐに消え、その直後に地面の硬い感触が足の裏に伝わってきた。次に久方ぶりに聞く、鼓膜を叩くような雑然とした音。目を開けると、どこか懐かしさを覚える景色が広がっていた。人の営みを象徴する建築物が無数に生えたコンクリートジャングル。
(……戻ってきたのね)
無論、あくまで任務のために一時的にこの地にいるだけではあるが、それでも二度と見られないと思っていた景色だ。それが見知らぬ土地、思い入れのない場所であっても、少しくらい感傷に浸るのも無理はないだろう。
周囲に人の気配はない。αの言う通り人払いが済んでいるようだ。標的を探すべく、少し辺りを散策しようと歩き出した時。肌にぴりついた空気が触れた。
「っ!?」
即座に飛び退く。次の瞬間、私が立っていたコンクリートの地面が爪のような形に深く抉れた。逃れられなかった髪がぱらぱらと地面に落ちる。
間違いない、『能力』だ。この攻撃力、漏れ出た殺気に反応できていなかったら私は今頃等分された肉の塊になっていた。全霊で警戒しながら攻撃の出所を探る。すると、再び攻撃の気配を感じた。左ステップで躱し、気配がした方を睨む。上だ。
周りには低いビルしかない。私の『能力』なら、一気に距離を詰められる。
目標を五階建ての雑居ビルに設定。足に力を込め、上方へ大きく跳ぶ。コンクリートの地面が割れるほどの速度でビルの屋上まで跳んだ私は、隣のビルに男が立っているのを視認した。男も私の姿を見るや否や、無造作に手を振る。再々度の攻撃の気配。大きく右に跳び、躱す。不可視の爪は私の肉ではなく硬いアスファルトを抉った。
「良く避けた!俺の『刃』を避けられた奴はアンタが初めてだ、嬉しいよ!」
男は嬉しそうに笑い、それを見て私は確信した。この男は、あくまで『狩り』のような感覚で『能力』を使っている。これが私欲のために『能力』を使うということか。
「なあ、アンタ俺らを狩っているってヤツだろ?いいねえ……最高だ。一緒に遊ぼうぜ!!」
「……私はあなたを倒す。あなたはここで死ぬ。あなたの遊びに付き合う気はないわ」
相変わらず楽しそうな男を冷たく見つめ、突き放す。しかし男は心底楽しそうにクールだね、と叫び、滅茶苦茶に腕を振った。肌を針で刺されるような気配。
幾本もの不可視の斬撃が私をミンチにしようと飛んでくる。それらを直感で、風の動きで、腕の振りで予測して避ける。躱す。同時に、身を捩り、跳び、屈み、滑って前へと進む。
男との距離が縮むにつれて、必然的に避ける難易度も比例して上がっていくが、紙一重で全てを躱していく。初めての能力戦にも拘わらず、頭の中はすっきりと冴えていた。やることは一つ。
「ははははは!!何だアンタバケモンかよ!!たの!!し!!いいいい!!!!」
自分の『能力』が悉く当たっていないのに笑い、叫び続ける男。振り続ける腕は酷使されたことによって血まみれで、肩も外れているように見える。空間全てが斬撃で埋め尽くされていると感じるほどに頭の中で警鐘が鳴り続ける。最早逃げ道などない。
ただ一つを除いて。
私は唯一の道である足元を潜り抜け、男の懐に飛び込む。冷静さを欠いたが故に生まれた隙。男が一際強く笑う。空気が揺れる。必殺の斬撃が私目掛けて殺到する。しかし、それらは既に私の目に映っていなかった。
ゆっくりと、しかし最短で、一切の無駄なく正拳を叩きこむ。運動エネルギーを纏い、『怪力』によって底上げされた力で放たれたそれは、音を裂いて男の腹を貫いた。
不可視の爪が私に届くことはなかった。男が血の塊を吐く。血や臓物の生暖かさを全身で感じながら、私は男に一つ問うた。
「あなたの名は何と云うの?」
永劫背負うことになるだろう名を知っておきたい。例えこの男が快楽目的で殺人を繰り返す屑であっても、私が既に男の名を知っていたとしても、彼の口から聞いておきたかった。
「ああ……。アンタ、最高だ……。俺の、女神……」
しかし、男は虚ろな目で、虚ろな言葉を吐く。一言絞り出す度に彼の身体が軽くなっていくような錯覚を覚える。まるで、魂が言葉として口から出ていっているかのようだ。
男の身体が徐々に崩れていく。もう死がすぐそこまで来ているのだろう。男は、私に身体を預けながら最後に一つか細く呟き、風に吹かれた。
彼が何と言ったかは定かではない。ただ、私はそれを聞かなくて正解だったろう。最期の瞬間に人が吐く言葉など、赤の他人が聞いて良いものではない。
私は血に塗れた手を見つめる。私は男の名を知っていた。彼の罪を知っていた。彼の弱さを知っていた。
しかし、男は私の名を知らなかった。私の業を知らなかった。私の弱さを知らなかった。
これが、私が新たに背負うことになる十字架。『人殺し』という、どれほど清らかであっても飲み下せば墜ちていく毒。私は、ゴルゴタの丘に着く前に一体いくつの十字架を背負うことになるのだろう。
「それでも、私はやらなければならないの。さようなら、一条九詩さん」
斃れた男の名を呟く。手向けの葉は、風に乗ってどこかへ流れていった。




