第四話 能力
教えを請う。それ自体はこの十年間で何度もしてきたことだった。近所に高名な武道家がいると聞けば即座に弟子入りを願い出た。遠征や交流会などで武術の指南役が来ると聞けば、予定を調整して現地に赴いた。無論アポすら取れないこともざらだったし、アポが取れたとしても複数の武道を習っていると知って態度が急変する武道家もいた。それは仕方がないことだ。名高い武道家なら、会う約束を取り付けてくれるだけありがたいことなのだから。
だからこそ、私が今まで会った中でも最高位の強者が、鉄黒さんの口添えがあったとはいえ私への指南を快諾したことに面食らったのだ。
「いやー、前回が銃慈サンで前々回が僕だったんで今回は統心サン辺りかと予想してたんデスよねー。……あ、別に指導役やりたくない訳じゃないっスよ!?」
「……そう」
「それにしても、入るのが確定シてる新人サンなんて久シぶりっス。どういう経緯で?一発スカウトっスか?」
「……まあ、そうね」
「へー、凄いっスね!中々いないんデスよ、ここに最初から配属サレル人!」
「……そうなの」
故に、頸桐さんが振ってくれた話題に気のない返事しかできなくても仕方ない。……はずだ。
あの後、頸桐さんに指導してもらえるという僥倖に固まる私を余所に話は進み、とりあえず今日は軽く身体を動かすだけという条件付きでトレーニングルームの使用を許可された私たちは二人と別れ、トレーニングルームへと向かうことになった。それは良いのだけど、道中で頸桐さんがとにかく喋る。喋り倒す。興奮が冷めず素っ気ない返事しかできない私に対してひたすら話題を振ってくる。
ここで一つ二つくらいは気の利いた相槌を打って好感度を上げておきたいところではあるが、元より私は『談笑』というスキルを持ち得ていない。まさか十年間を学ぶことだけに費やした弊害が今になって現れるとは思わなかった。自分の不甲斐なさに徐々に視線が床へと落ちていく。
そうやってほぼ一方通行な会話をしながら歩いていると、頸桐さんが不意に足を止めた。
「着いたっスよ。まだちょっと混乱シてるかもしれまセんが、ここで身体を動かセば少シは気晴らシになると思いマス」
彼はそう言うと扉を開けて中へ入っていった。頸桐さんが扉を抑えてくれていたので私もそれに続く。
トレーニングルーム内は広々としており、思っていたよりも簡素な造りだった。壁際にロッカーが複数個、ベンチが二つ。反対側の壁には本棚が備え付けられており、本が雑多に収まっている。そして、部屋の奥には人が一人納まるくらいの棺のようなものがいくつか設置されていた。トレーニング用の器具は一切存在せず、どちらかといえばジムの更衣室のようだ。
頸桐さんは私が入室したのを確認すると、謎の棺に近づいて勝手知ったる様子でなにやら弄り始めた。どうやら何かの機械のようで、彼が指を動かすたびに小さな電子音が鳴る。
「そういえば軽い運動だけって言ってまシたけど、なにかやりたいことありマス?」
棺を弄る指を止め、私の方へ半身だけ振り返る。正直を言えば普段の鍛錬に加えて、実践訓練や立ち合いまで所望したいが、流石に許可されないだろう。
「そう、ね。今はどちらかと言えば運動よりも貰った『能力』に興味があって……。試運転、したいなあって……」
軽く頬を染めながらちらちらと彼を見る。さらに遠慮がちに「あ、もちろんダメって言うなら従うわ。仕方ないものね……」と繋げ、要望が通りやすくなるよう演じる。激しい運動が許可されないのならこっちだ。
「能力っスか。まあ全開で飛ばサなければ多分オッケーデス。じゃあこうして……。こうかな」
演技の甲斐あってかあっさりとオーダーが通り、頸桐さんが更に二、三回指を動かす。すると棺の前面に嵌められたガラスが下にスライドし、棺の内部が発光した。
「じゃ、設定終わったんでこの中に入ってもらえマスか?あ、僕も入るんで心配無用っスよ!」
彼はそう言うと棺の中に入り、身体を横たえる。良く分からないが、とりあえず私も彼に倣って頸桐さんが指定した棺の中に横たわった。身体を完全に棺の中に入れると、先ほどスライドしたガラスが音もなく元のように閉まる。棺の中は思っていたよりも広く、閉塞感や圧迫感などの不快な感覚はない。むしろリラックスさえしていた。
(でも、これがトレーニング?健康診断か何かではなく?)
私がそう思って棺の内部を手でまさぐろうとした時、不意に身体が強く下に引っ張られた。それはまるで崖から飛び降りたような、もしくは深い穴に引きずり込まれたような、とにかく本能が拒絶するレベルの落下感が数秒続き、その間叫び続け、落下が収まったと思ったら私は荒野に立っていた。
「え?え?何これ?」
頭の中が疑問符で埋まる。私は今の今までトレーニングルームにあった棺の中にいたはずだ。まさかまた死んだわけでもない、と思う。とは言っても、私の目の前に広がる景色は明らかにリアルの風景だ。今踏みしめている地面も、頬を撫ぜる生ぬるい風も、ところどころに存在する岩や遠くに見える山々も、その全てが本物にしか見えない。
「おっ、来たっスか。凄いデショ、これ全部能力で創られてるんデスよ」
困惑する私とは対照的に、落ち着き払った声で背後から頸桐さんが声を掛けてきた。しかし、その発言に私は耳を疑った。
「これ、全部?能力……!?」
慌てて周囲を見渡す。ただ、照りつける太陽に乾燥した大地、そして砂の一粒に至るまでが贋作とは思えないほどの質感を持っている。信じられず頸桐さんの顔を凝視するが、彼はなぜか照れたような表情を見せた。
「まあ普通の『執行人』じゃここまで出来ないっス。ここは『王』の『親衛隊』であるξさんの力作デスから」
また分からない単語が出てきた。ただ、頸桐さんもそれに気づいたようで、私が訊くより早く説明を挟む。
「あー、『執行人』っていうのは僕らのことっス。通称というか、僕が勝手に言い出シたのが広まったものというか……。ソレで、ξさんっていうのは『王』の直接の部下の一人デスね。『空間生成』系統の能力を持ってマス。……伝わりマスか?」
大体理解できたので頷いて意思を示す。『能力』には系統がある、ということは初めて聞いたが、話を聞く限り『ξ』とやらはその『空間生成』系統の中でもトップクラスの実力者なのだろう。それにしても……。
「能力っていうのは、思っていたよりも色々な種類があるのね。戦うための力しか与えられないのかと思っていたのだけれど」
私の『能力』は『怪力』。戦うのにぴったりだが、『ξ』の『空間生成』は便利ではあっても直接手を下せる力ではない。敵を閉じ込めたり、危険な空間を創れば戦闘に使えるとはいえ、それがメインの『能力』ではないはずだ。
「そっスねえ。『ξ』さんのような『空間生成』系統の能力はちょっと特殊デスから一括りにはできないスけど、被りやすい能力はあっても全く同じ能力はありマセン。多様性ってやつっスね」
少しズレた例えのような気がするが、やはり『能力』の種類と幅はかなり広いようだ。私の『能力』はかなりシンプルな方だろう。複雑すぎても使いこなせないだろうから丁度良い。
「そうそう、僕の能力も結構被りやすい部類に入りマスよ。見マス?」
「!ええ、是非!」
さらりと口から出た彼の言葉に、今日一番の反応速度を見せる。見ない選択など何があっても採ることはない。目を輝かせながら彼の一挙手一投足を見張る。
「そんな注目サレルと照れるっスね……。じゃ、ヨイショっと」
彼は先ほどと同じように照れ臭そうにしながら、ノーモーションでどこからか刃物を取り出して自身の手首に刃を突き立てた。肉が裂ける音とともに血が噴き出す。宙を舞った血液は、頸桐さんの顔や服を汚し、残りは地面へと吸い込まれていく――。
様に、見えた。しかし、実際は舞った血液が地面に落ちることも頸桐さんの身体を伝うこともなかった。頸桐さんの肉体から離れた血液はその一切が空中で静止したのだ。
目の前で起きていることの非現実っぷりに言葉を失う。「覆水盆に返らず」。こぼした水はコップに戻ることはないのが世の理だ。だが、そんなことは関係ないと言わんばかりの事象が目の前で起きている。
「どうっスか?これが僕の能力、『血操術』っス。自分の血液を操れるっていうシンプルなものデスけど、これが中々凄いんデスよ、ほら!」
絶句している私に追い打ちをかけるように、空中で静止していた血液が突然高速で動き出し、合わさっては離れてと空中で形を成していく。それはナイフ、槍、剣といった武器から、ネズミや鳥などの動物など多岐にわたってその形を次々に変えていった。
その様子を見て私は『能力』に対する認識を改めた。
私の『怪力』は、まだ人間ができることの域をギリギリとはいえ出ていなかった。『ξ』の『空間生成』は、規模が大きすぎていまいちピンと来ていなかった。
ただ、目の前で観測してしまえば認めざるを得なくなる。『世の理に反していて』、『人間にできるはずがなく』、『それでも現実に起きている』。「不可能」を「可能」に。「不可逆」を「可逆」にする。世界に幾らでも存在する、当たり前の『理』を破ることができる超常の力。それこそが、私たちに与えられた『能力』なのだと。




