第三話 先輩
「ここから先はスタッフや俺たち戦闘員の個室が並んでいる。ドアにネームプレートが貼ってあるから、用があるならちゃんと名前を確認してからノックした方が良い」
「個室郡から反対方向の通路を直進すると食堂に出る。朝昼晩の食事はここで摂ることになるな。味はいいから期待して良いぞ」
「食堂を突っ切ると図書館やトレーニングルームがある。特にトレーニングルームは少し特殊な仕様になっているから注意しろ」
あの後、まだ仕事があると言って足早に部屋を後にしたαを見送り、私は鉄黒さんに東京班が使用する『東京基地』を案内してもらっていた。基地内は相当広い上に、基地内に存在する各施設はどこも最新の設備を取り入れており、私たちが在籍している組織の組織力の高さが窺えた。
「そういえば、敵も私たちと同じく特殊な能力を使うと聞いたのだけど、そもそも敵とはどういった存在なの?」
てくてくと通路を歩きながら、先程訊けずにいたことを尋ねる。探索中であっても、情報は得られるときに得ておきたい。
「端的に言えば、俺たちとは違って生きていながら特異な能力に目覚め、それを悪用する者たちのことだ。俺たちは奴らを、欲に囚われた者という意味で『囚人』と呼んでいる」
生きていながら能力に目覚め、悪用する者。彼らが私たちの敵であり、彼らを倒すことが私たちの存在意義。生者と死者の戦いということだろうが、生者が死者に裁かれるというのも中々皮肉な話だ。
敵が何かは分かった。しかし問題点として、私はまだ能力の使い方すらわかっていない。囚人と戦う以前の問題であるのは明らかで、だからこそ早く戦う術を手に入れたい。
「ねえ、鉄黒さん。私はもうこんなに元気だから、能力とやらの使い方を早く教えてほしいのだけど」
その場でぴょんと跳ね、好調であることをアピールする。苦手な笑顔を浮かべ、無理矢理明るく振舞う。演技は完璧だったはずだが、鉄黒さんはそれを一瞥すると先にスタスタと歩いて行ってしまった。
「鉄黒さん?話はまだ終わっていないわ。私は早く強くなって、戦わなければいけないの。そのためには鉄黒さんの力が必要不可欠なのよ?」
早歩きで追いかけ、追いついた彼の腕を引っ張りながら語り掛ける。それでも鉄黒さんはびくともせず、私を引きずって進んでいく。全力で引っ張っているのにそれを何でもないかのように歩き続け、その足はある扉の前で止まった。扉の上部に目をやると、『談話室』と書かれた白いプレートが張り付いている。
「……談話室?ここに用はないでしょう?」
「先を急ぎ過ぎだ。ちゃんと用はあるさ」
腕に引っ付いたまま訝しげに言う私に、鉄黒さんは一言返すと軽く扉を押し、中へと入っていく。私は彼の腕から手を離し、渋々ながら後に続いた。
部屋の中をぐるりと見渡す。学校の体育館程度はあるだろうか、室内はかなり広い。白を基調とした壁と床は一目見ただけで分かるほど奇麗に手入れされており、数は少ないが整然と並べられたアンティーク風な椅子と机も相まって、まるで高級ホテルの一室かのようだ。左右の壁には2mはありそうな本棚が連なり、部屋の中央にはドリンクバーらしきものまで鎮座している。
そして、部屋の出入り口から程近いテーブルに先客が二名。ここの職員だろうか。それにしては随分とくつろいでいる。
「頸桐。統心。新人だ、仲良くしてやれよ」
先客の元へと真っすぐ向かった鉄黒さんはそう言うと、やや遅れてついてきた私を親指で指した。鉄黒さんの様子からしてスタッフではなさそうだ。
「鉄黒さん!……新人って、この子っすか!?」
「へぇ、可愛い子だね。私は統心紫雨。よろしくね、新人ちゃん」
突然名を呼ばれた二人は、鉄黒さんの来襲を予測していたかのように一切驚く素振りを見せず、私を見てそれぞれの反応をする。だが、私はそれに気のない返事をするしかなかった。それは私が人見知りというわけではなく、こちらを見た二人から無視できない圧を感じたからだ。過去に何度か味わった圧。見上げる外ないほどの強さ。修羅場を潜ってきた者しか出せない匂い。そして、それらに裏付けされた、揺らがない自信。
頬を一筋の汗が流れる。間違いなく、この二人もここの主戦力だ。
確信と同時に笑みが零れる。私はここにいれば格段に強くなれる。『王さま』にはこれだけの猛者がいる環境にいられることへの感謝をしなければならない。
「おい、いつまでにやけてる」
喜びからずっと笑みを浮かべていると鉄黒さんに肘でつつかれた。初対面で生返事のみなのは印象が悪いのは流石に私でも解るため、渾身の笑顔と共に軽く自己紹介をする。
「はじめまして、私の名は赤燎円火。これから色々とお世話になるわ。よろしく、頸桐さん、統心さん」
渾身の笑顔が功を奏したのかそれまで感じていた圧が和らぐ。恐らく私がどういうタイプか計っていたのだろうが、これは最低限の信頼が得られたと解釈して良さそうだ。なるべく早く打ち解けるために会話を続けるべく話題を提供する。
「ところで、お二人はここで何を?談話室なのだから兵棋演習とかかしら?それとも戦術について論じていたとか?」
私の質問に二人が顔を見合わせ、それから私の顔をじっと見る。質問としてはかなりベターなところだったと思うのだが、私が何かおかしなことを言ったような雰囲気になってしまった。
ただ、静寂はほんの数秒程度で、先ほど頸桐と呼ばれた丸眼鏡をかけた男性がへにゃりと笑って口を開いた。
「いや、僕たち暇だったんでこうやってお喋りしてたんスよ。丁度良かった、時間あったらお二人も参加しまセん?円火ちゃんのことも良く知りたいですシ」
「お喋り……?」
一応その単語の意味は知っているが、まさかこんなところで耳にすることがあるとは思わず、ついフクロウのように首を傾げてしまった。一般人ならともかく、これほどの猛者が二人、額を突き合わせてしていたことがただの雑談なはずがない。私がうんうん唸りながら彼の発言の意図を探っていると、鉄黒さんが私の頭に手を乗せて思考を遮ってきた。
「この僅かなやり取りのどこに頭を悩ませる要素があるんだ?」
私は頭に乗せられた手をどかしながら答える。
「私は今きっと試されているのよ。これだけの猛者が同じ空間に居て、ただの雑談に興じているはずがないのだから」
すると、統心さんが驚いたように「このコ、どういうコなの?」と鉄黒さんに訊き、それに対して鉄黒さんは頭を掻きながら「こういう子らしい」と返した。
「なかなかイカした子だっていうのは分かりまシたけど、まさか新人ちゃんとの顔合わせだけが目的じゃないでスよね。今回はどっちスか?」
分かるか、と鉄黒さんが苦笑し、銃慈さん暇じゃないでショ、と頸桐さんが笑う。
幸せ空間に舞い上がって失念していたが、そういえば鉄黒さんはここに用事があると言っていた。先輩たちとの顔合わせが主な目的とも思えない口ぶりだったが違うようだ。私は数瞬逡巡し、ハッとある可能性を思いついた。
(もしかして、私の実力を測るために頸桐さんたちが手合わせしてくれるんじゃ……!!︎)
この組織が対囚人に特化した戦闘集団なのは説明された通りで、それならば新参者である私の実力がどの程度なのかを把握しておく必要があるのは当然のことだ。戦うことに慣れている先輩方が、試験官の役割を務めるのも不自然ではない。
(これはチャンスよ。戦法、考え方、戦うことへの姿勢、技術……。彼らが相手なら、どこを切り取っても大きな学びを得れる)
ここまでを二秒程度で思考し、鉄黒さんの口から出る言葉を待つ。「こいつは入ってきたばかりでどれだけの実力があるかわからないから、手合わせしてやってくれ」と。私は凡そそんな言葉を予想していたが、実際に彼の口から突いて出たのは、
「頸桐。赤燎の教官役になってやってくれ」
という、予想よりも遥かに魅力的な提案だった。固まる私を余所に、頸桐さんはたはーっと笑う。
「今回は僕っスか!了解っス、予想外れたなぁー」
彼はそう言うと、私の方に手を差し出す。
「頸桐双デス。しばらくの間よろしくっス、円火 ちゃん」
思考がしばし止まった私には、人の良さそうな笑顔を浮かべる彼の手を取って「よろしくお願いするわ」と言葉を絞りだすのが精一杯だった。




