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監獄の熾天使  作者: 鯖寿司
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第二話 第二の命

「待って、お姉ちゃん!待って!待ってよ!!」

お姉ちゃんの背中に追いつくべく懸命に足を動かす。あの温もりを、あの心が安らぐ笑顔を、あの優しさを全身で感じたい。ただただ、何も考えずに甘えたい。話を聞いて欲しい。よく頑張ったね、と褒めて欲しい。

しかし、そんな私の願いとは裏腹に、姉の背は更に遠のく。どれだけ脚を動かしても、どれだけ手を伸ばしても、私の手は空を切るばかりだった。

姉の背は次第に、林檎からコイン、コインから豆粒程へと小さくなった。それでも私は只管に地を蹴り、遠のく姉の背に手を伸ばす。しかし、足掻き続ける私を嗤うかのように、姉の背は闇に飲まれ、消えた。

「お姉ちゃん……」

闇に手を伸ばし、見えなくなった姉の背に縋るように声を絞り出す。視界がぼやけ、頬を熱いものが流れる。

「私を置いていかないで……お願い……」

気づけば私の足は止まっていた。手で顔を覆い、その場に崩れる。

一度蓋をしたはずの感情が、想いが、双眸と喉から涙と嗚咽となって溢れた。

姉との思い出が濁流のように私の頭の中を巡る。しかし、思い出の中の姉の顔は黒く塗り潰され、はっきりと思い出すことが出来なかった。代わりに思い出されるのは、あの冷徹で、不気味で、欲望に塗れた死神のにやけた顔ーー。

「ッ!!」

それはまるで、復讐を遂げられなかった私を嘲笑っているかのように思えた。姉の仇を討つことに多くの時間を費やし、結果惨めに殺された私を。

奴は私から姉を奪うだけでは飽き足らず、姉との思い出すら奪い、なんの価値もない紙くずのように潰そうとしているのか。身体だけでなく心すら殺し、一切の安寧も与えるつもりは無いのか。いや、そんなことはどうでも良い。奴は、奴は――。


 私の中から、もう一度姉を殺そうとしているのか。


 途端、それまでの深蒼色の感情は、心の底の底から湧き出た煮えたぎる激情に塗りつぶされた。

 憎い。憎い。奴が憎い。殺してやりたい。姉が味わった苦しみを億倍にして味わわせてやりたい。もしもまだ肉体があったなら、腕が千切れようと肺が潰れようと決して止まらず、あの男の喉を掻っ切ってやる。そして苦しむ男の指を折り、爪を剥がし、舌を抜き、陰茎を磨り潰し、腹を裂き、足を捥ぎ、眼球を穿り、殺す。

 私の心をヘドロのように覆うそれは際限なく広がり、私の中を満たしていく。感情が混ざり合い、融け合い、器を得てやがて形を成す。なんなのかも分からないそれを、私は救いだと認識し、安堵した。これで私の殺意は実を結ぶのだと。はきちんとあの男を殺せるのだと。腹の奥から喉へ喜びがせりあがり、吼え――。

 不意に、世界が開けた。

 眼を焼くような光に思わず眼を細め、気管を通る大量の空気にせき込み、耳になだれ込む音の洪水に顔をしかめる。それらの不快感から逃れようと身体を捩るが、なにかに拘束されているようで芋虫のようにもぞもぞと動くことしかできなかった。芋虫の真似をしながら五感を馴染ませる。

 (どういうことかわからない……。私は確かに死んだ。夢?これがあの世……?いや、とにかく情報を……)

 現状を整理しようとするも混乱した脳はまともに働かず、疑問だけが募っていく。幸いにも、思いのほか早く慣れ始めた五感をフルに使って情報の処理を行おうとしたその時。

 「やっと目覚めたか。気分はどうだ?」

声が聞こえた。唯一自由に動く首を傾け、声の主を探す。しかし、回復したとはいえ視界は未だ不明瞭で、おぼろげな像を結ぶのみだったが、声の主が男性でスーツらしき服を着ていることはわかった。何か知っているであろう人間を前にしてじっとしていられるほど辛抱強くない私は、拘束に対する不満の意も込めてできる限り手足に力を込める。

 「無理するな、蘇りたての奴はみんなそうなるんだ。むしろ俺の声が判別できてるだけ大したもんだ」

拘束されているにも拘わらずなんとか身体を動かそうとしている私に、スーツの男性は宥めるように声をかけてきた。あまりにもさりげない一言だったが、内容の異質さを私は見逃さなかった。

(蘇りたて……!?蘇るというのがそのままの意味だとしたら、私は……)

あの男を殺せる。肉体があるのなら、私の目的はまだ果たせる。ただ、そのためには知らなくてはいけないことがあまりにも多い。私は山ほどある疑問の尽くを彼にぶつけるべく声を出そうとした。

「……ッ…ァ……ゥ…………?」

しかし、私の口からは声ですらない小さな音しか出ず、それは何度やっても同じだった。まるで声の出し方を忘れてしまったかのように。そのことに恐怖も、声に未練もないが、復讐が果たせなくなる可能性が増すのは御免こうむる。必要な情報を不自由なく得るためには、声によるコミュニケーションは不可欠だ。

「ァ……ォォ…………ィ……」

「だから無理するな。今のお前は産まれたての赤子みたいなもんなんだ。少なくともあと一週間はそのままだぞ」

 なんとか声を出そうと四苦八苦している私を見兼ねたのか、呆れるような口調で男性が語りかけてくる。だが、その気遣いよりも、今の私には後半の内容の方がはるかに重要だった。

 (一週間…!!)

 一週間も満足に身体が動かず、声も出ない。それはすなわち、奴を殺すまでの期間が大きく伸びる可能性があるということだ。仮にこれが神の気まぐれか何かで完全に甦ったとしても、それだけでは足りない。襲撃した時の私で殺せなかったのならば、また研鑽を重ね、戦う術を学び、より万全な状態に仕上げなければならない。それにどれだけ時間がかかるか分からない以上、こんなことで止まるわけにはいかなかった。

「わ……た…し……どう…なっ……?ァ……なた、は………?」

 集中し、意識して声を作り出す。喋るとまではいかないが、声として認識されるには至ったようで、男性が驚いているのが気配でわかった。

 「これは……。あいつら正気か?こいつは化け物の類だぞ」

男性が唸るように呟く。私に聞こえるように言ったのかはわからないが、やや失礼なことを言われた気がしたので大きく咳払いをする。

 「ああ、すまない。つい本音が出てしまった。……諸々の詳しい話はあとでαが説明するだろうから、自己紹介くらいはしておこう。俺は鉄黒銃慈(てつぐろつつじ)。ここで働いてる」

私にはあまりそういうつもりはなかったが、彼にはそれが回答を急かしているように見えたようだ。わからない単語が混ざってはいるものの謝罪と回答を簡潔に述べた。ぎこちなくてもコミュニケーションを取れたことで少し安心した。これならば遅々としたペースではあるが、リハビリを兼ねて情報を聞き出せるだろう。

「ここ、は……?あ……いつ、は……」

「銃慈。女が目覚めたようだな」

 続いての私の質問は、突如部屋に入ってきた第三者によって遮られた。黒鉄さんの低くどこか温かみを感じる声とは対照的に、声質的には中性的だが人間味を感じさせない声。

「ああ、こいつは凄いぞ。もう肉体を制御し始めている。俺たち以上だ」

鉄黒さんがくるりと振り向き、乱入者に親しげに話しかける。

「だろうな。王が直々にこの女を選んだのだ。この程度は当然だ」

 それに対し、乱入者は一切の熱が排除されたような声で淡々と返す。復讐に全てを捧げた私でもここまで冷淡な態度はとらない。

 私が密かに下した評価が彼に伝わったのか、ようやく私に興味を持ったのかは不明だが、それまで鉄黒さんに向けられていた視線が唐突に私を捉えた。

「女。起きているのならいつまでも寝そべっているな。東京班の一員である自覚を持て。」

 彼には私の自由を奪っている全身の拘束具が見えていないらしい。しかし謂れのない罵倒を受けるのは心外なので、拘束具の存在をアピールするために思い切り右腕に力を込めて上下に激しく動かす。怒りの力は流石というべきか、先ほどまで私の全身を支配していた不快感と倦怠感は霧散し、右腕の拘束具も破壊された。

「……なっ!?」

 あまりの出来事に思考が止まる。今ほどまで私の自由を奪っていた拘束具が、ただ力任せに腕を上下に振っただけで真っ二つに割れている。私は右手をしばし見つめ、同じように左腕に力を込めた。すると今度は鈍い音とともに拘束具が砕け、破片が床に散らばって鋭い音を立てた。

 両脚の拘束具も同様に割り、首に被さっていたものを力いっぱい握りつぶし、最後に胴を締め付けていた金属のベルトを拳でへし折る。やっと自由になった身体を起こしてから辺りに散らばった金属片を眺め、ゆるりと二人の方へ視線をやる。

「これは、一体?」

 いつしかおぼろげな視界は明瞭になり、発声も容易になっていた。二人は戸惑う私をじっと見つめ、少しの沈黙の後、冷淡な男性が口を開いた。

「それがお前が蘇るにあたって払った対価であり、王から賜った報酬だ」

 男性がほんの僅かに口角を上げる。ぼやけた視界ではわからなかったけれど、それを見て男性が相当な美男子であることに気付く。年は二十代前半だろうか。肩に着かない程度の空色の髪は青い瞳と併せて爽やかな印象を見るものに与え、涼しげな目元とすっと通った鼻梁は顔全体の雰囲気と完全に調和しており、例え異性であっても妬む者が現れそうなほどに整った顔立ちをしていた。

 ただ、私からすればそんなことよりも男性が言い放ったことの方が重要だった。

 対価と報酬。報酬はこの肉体であると推測できるが、対価については心当たりもなければ見当もつかない。

 「王は生に対して未練がある者に新たな肉体と力を与え、それらを賜った者は王の刃となって戦う。シンプルでわかりやすい関係だろう?」

 男性はそう言うと意地が悪そうな笑みを浮かべた。

 つまり、私は一度死に、『王』とやらの手によって蘇った。それもただ生き返っただけでなく、先ほど発揮された怪力のような力を与えられての復活。その代わり、そのグレードアップした肉体を使って『王』のために戦わなければならない。断片的な情報だけではこの程度の推測しかできないが、概ね合っているだろう。 『王』は容易に戦力を得ることができ、私たちは制約があるとはいえ二度目の生を謳歌できる。両者にメリットがある良いアイデアだ。

 ただ、私からすれば二度目の生などどうでも良い。

 金属製の拘束具を容易く破壊する怪力。これと私の格闘技術を併せれば奴を八つ裂きにすることは造作もないはずだ。後は奴の情報を集めるのみだが、それに関してはすでに解決している。

(この男はさっき、王が直々に私を選んだ、と言っていた。ならば判断材料として私についてある程度の情報を持っていると考えて良いわ。それなら、あのクソ男について何も知らないはずがない)

 あの死神の影は常に私の人生に付きまとっていた。それこそ、私の死にまであの男は直接関与しているのだから。私について調べるということは同時に、あのゴミの軌跡を辿ると言い換えても過言ではない。

 「関係性は理解したわ。『王さま』とやらがご主人様で私たちは馬車馬。それについては一切異論はないし、私の身がすり減るまで使ってもらって構わない。ただ、その代わり……」

 「あの男について情報を寄越せ、か?」

 切れ長の眼を細めて私が言おうとしていたことを先取りする男性に、全てを見透かされているような錯覚を覚える。しかし、それでも私は怯まず強気に出る。

 「ええ。あなたたちから情報を貰えないなら私は単独で情報を集めるわ。効率は悪くても、必ず辿り着いて見せる。そうなればあなたたちは私を一切利用できず、私は目的を達成して終わり」

  私が彼らにとってどれだけ重要度が高いかはわかっていないが、少なくとも簡単に失う訳にはいかない程度の価値はあると踏んでの交渉だった。男性は相変わらず端正な顔の中に確かな冷たさを称えながら、こちらを値踏みするようにじっと見つめる。ただ、それもほんの数秒のことで、すぐに元の全てに興味を失ったような顔に戻った。

 「別に構わないが、今のお前程度では傷一つ付けられないのは確かだな。復讐の絶好の機会を棒に振りたいのなら今すぐ教えてやろう」

彼の表情から心情を読み取ることは出来ないが、少なくともこれが嘲りや侮辱の類いでは無いことは彼の雰囲気から察することができた。あくまで忠告といった様子であるものの、それでも傷一つ付けられない、という一言に何か違和感を覚える。

 「これだけ身体能力が高ければ一矢報いることくらいはできるはずよ。いくらアレが強いといっても、相手は生身でこっちはこの肉体なんだから」

あの男とは生前一度だけ戦ったことがある。その殺し合いに敗れて私は死んだのだが、その時は少なくとも彼我の力量の差はそれほど大きかったようには思えなかった。

 「お前はそもそも大きな思い違いをしている。王から授かった力とは、腕力や脚力といった類のものではない。人智を越えた、特異な能力のことを指し……。そしてそれは、我々の敵である連中も使用する」

 彼は理解できるか、と言ったふうに片眉を上げる。

 非現実的であることを除いて考えれば、話の内容は理解できる。私たち『王さま』陣営の人間は蘇った際に特異な能力が目覚め、それを使って敵と戦う。対して、敵陣営も同じように特異な能力を使うわけだ。私の場合『規格外の怪力』が特殊能力として目覚めたのだろう。そして、話の流れから察するに、『王さま』陣営と敵対する組織にあのクソ男が在籍していると見て良さそうだ。

  「……あの男はどれだけ強いの? 口振りからして知っているのでしょう」

特異な能力。死者の蘇生。謎の存在である『王』。私が籍を置くであろうこの組織。疑問やにわかには信じ難いことばかりではあるが、今私が知りたいのは一貫してあのゴミのことだった。

私の問いに、彼は躊躇うことなく答える。

「敵方の『王』が保有する最高戦力『游刻』。そのうちの一人だ」

「何……?」

彼の一言にまず反応したのは私ではなく、それまで私と男性のやり取りを眺めていた鉄黒さんだった。反応こそ静かではあるがその眼は見開かれ、その驚きようが窺える。

「・……俺ですらまともに戦ったことはないが、強さだけで見るなら桁外れの化け物共だ。『王』を除けば、間違いなく奴らの頂点に君臨する存在……」

鉄黒さんがそれでもやるのか、とでも言いたげな眼で私を見る。ただ、私はそれを聞いてもなお、私の中の殺意と決意は揺らがなかった。あの男がどれだけ強くても私が越え、アイツを殺す。頭の中はそのことでいっぱいだった。

「私はあの男を殺すためだけに命を使う。そのためにどれだけ苦痛を伴うとしても、何を失ってでも私は強くなるわ」

それはかつて、自分と最愛の姉に立てた誓い。敗北し一度は破られたけれど、何の因果か再び誓いを果たす機会が巡ってきた。ならば、今度こそ。

「鉄黒さん、私に戦い方を教えて。私が知らないことを貴方はたくさん知っている。私を強くして欲しいの」

鉄黒さんの方へ向き直り、三十㎝は高い位置にある眼を真っ直ぐ見つめる。鉄黒さんは困惑して逡巡した様子を見せたが、それもほんの数秒で、彼の漆黒の瞳は私の眼をしっかりと見据えた。

「……まずはお前がどれだけ使えるかを見極めてからだ」

どちらが先に差し出すでもなくそれぞれ片手を前に出し、しかと相手の手を握る。師弟関係を結んだ私たちを眺めていた冷淡な男性が口を挟む。

「さて、一通り話が終わったところで一応名乗っておこう。私の名はα。お前がこれから籍を置く『収監施設』東京班の最高責任者だ。私たちはお前を歓迎する」

冷淡な男性、もといαはそう言うと微かに笑って見せた。これから何が起こるか全く分からないのにも拘わらず、私の胸は期待で膨らんでいた。

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