プロローグ
熱い。
鯵の開きが如く縦に裂かれた傷口が疼く。生命の危機に脳がアドレナリンを大量に分泌し、痛みを和らげ、傷口が熱を持つ。
寒い。
身体から私を構成する液体が流れ出ていく。赤いそれは、一度私の身体から出たら酷く他人行儀に広がっていった。
そんな様子に、医学に明るくない私でも自分の命の灯火が消えかかっていることが容易に解った。
しかし、そんな状態の私にあるのは死への恐怖でも生への渇望でもなく、ただの二文字の感情だけだった。
憎悪。
熱を持った傷口が冷たく感じるほど熱く、マグマの様に煮え滾る憎しみ。
精一杯の殺意を込めて、私の腹の中をぐちゅぐちゅぴちゃぴちゃと弄繰り回している男を睨めつける。何かを感じ取ったのか、それとも単に作業が一段落したのか。男が私の顔を見、息を吐いた。
「…美しい」
男はそう言って血塗れの手で私の頬を撫ぜた。人のものとは思えないほど冷たいその手に嫌悪感を覚える。
「死の間際にそんな顔ができるとは。やはり私の判断は正しかったな」
黙れ。
そう言おうとした私の口から出たのは声ではなく、どこにそれだけ残っていたのかと疑う量の血だった。血の鉄っぽい臭いが、味が、口の中いっぱいに広がる。
(殺す。殺す殺す殺す死ね死ね死ね死ね死ねしねしねくずひとごろしのへんたいが…)
もう声を発するだけの余裕もない。
せめてもの抵抗として、眼前の男に心の中で呪詛を吐き続ける。命の源を失っていく私の現状とは反対に、黒い感情は際限なく膨れ上がって私の心を覆う。その間にも男は私の顔を愛おしそうに撫で続けていた。
しかし、いよいよ死神が私の肩を掴んだらしい。
目が霞む。思考が定まらない。冷たさも熱さも感じず、全身の感覚がなくなっていく。
(ぜ……ったい………こ……ろす……)
他の物は霞んで見えるのに、眼前の死神の顔はやけにはっきりと映る。死神は微笑み、「おやすみ」と言うと私の瞼を閉じた。
もう意識を保つのも難しい。私は、一つの強固な思いを抱えたまま意識を手放した。
(絶対に、殺してやる)
それは、憎悪と殺意の込められた呪詛。
それは、身を焦がす炎。
それは、敵を討つ刃。
少女は誓う。例えこの身がどうなろうとも、必ずあの死神をこの手で殺すことを。
その誓いは本来果たせぬもの。如何に堅く、強く誓おうとも藻屑となってすぐに消え去る、儚く脆い想い。
しかしそれを拾うものがいた。それに形を持たせるものがいた。それに力を持たせるものがいた。
ならば、少女は――――。