メディカル幼女爆誕!
エロスは激怒した。
「えっ、題名に『ハーレム』って付いてんじゃん!? 何この作者、もう許せん……ッ!!」
俺が自室で読んでいたのはネット小説。エロそうな題名に釣られてクリックしたところ、後半はストーリー重ためでいわゆる作者の自己満だった。
欲しいのはそう言うのじゃない。
俺はただ純粋なエロスが見たかっただけなんだ。
「漢女の純情を弄びやがって!!」
「おい。うっせえぞバカ」
ドアから首をひょいと出し、妹が水をさしてくる。現役高校生の妹は生意気盛りで兄に対する尊敬を忘れてしまっているようなので仕方がない。本来なら直ぐにでも「理解らせて」やりたいところだが、今はグッと堪えていつか兄への敬愛の心が芽生える日を待とう。
「バカ、『家賃』の振り込みは済んだのか? 今月の分がまだだってパパが言ってんぞ」
家賃とは両親が俺に課したノルマである。今年から華々しく社畜デビューを飾るはずの俺だったが、相次ぐ内定取り消しによりそれは叶わぬ夢となってしまった。原因は皆々様もご存知のとおり、不景気だ。
めでたく子供部屋おじさんと化した俺に両親が課したのは、最低限の家賃の振り込みと、生活費を稼ぐこと。我が親ながら抜け目がない。
「フッフッフッ。今月の俺をみくびってもらっては困るぞ妹よ……見給え、この記事を!」
「あん?」
キャスター付きの椅子をくるりと反転させ、膝の上に置かれたPCの画面を見せる。
そこに映し出されていたのは「治験にご協力下さい」と書かれた某企業のエントリーシートだった。
「は、マジ? これで稼ぐつもり?」
「愚問。コスパを考えて最も合理的な賃金を選べば自ずと導き出される答えだろう。両親との約束を破れない以上、この身体を使って稼ぐほかにあるまい」
そう言いポンと腹を叩けば分厚い脂肪が返事をくれる。
「あっそ。まあどうでも良いけど、迷惑だけはかけないでね」
「おうとも、兄を信用しなさい」
最後まで聞かずに部屋へ引っ込むと、妹は何やら一人で喋り始めた。
「こんにちは、こんばんわーー!! みんなー、ルルミちゃんねる、始まるよーーっ!!」
そう。実はルルミこと妹の瑠美は、Vtuberとして活動している。目立ちたがり屋の妹は男遊びにもSNSに写真を投稿するのにも飽き、遂に事務所のオーディションに手を出した。素人ながら持ち前のコミュ力と愛嬌を全面に押し出し、限りなく狭き門戸の下を奴は見事潜り抜けてみせたのだ。
始めたばかりなのでチャンネル登録数はまだ少なく、収益化できるかどうかも定かでない状況だが、所属事務所が有名なだけあってそこそこファンも増えつつある。
治験ツアーが終わる頃には金も少しは貯まっている事だろう。滞りなく収益化が済めば、記念祝いにスパチャを恵んでやらんこともないぞ、妹よ。
「では、そろそろ行くか」
今日が通院タイプの治験の初日。
検査を受けたり毎回日誌をつけたりと面倒なこともあるが、全てはスパチャもとい給料のためだ。
「待っていたまえ」
配信マイクに声が乗らないように呟くと俺は自分の部屋を後にする。思えばこれが全ての始まりだった。
◇◇◇
「……ぃ、……ろよ、……カ!」
誰かに手を握られている。
返事をするのが億劫で疎ましい。
かと言って振り払おうとしても動けない。
「……きろ! 目……まして!?」
何だろう。違和感がある。段々と意識がはっきりしてくる毎にその感覚は増していき、あるときハッとして目が覚めた。
俺、寝かされてる?
「……あ! 目、開けた!!」
見れば瑠美が俺の手を握り、ベッド脇から覗き込んでいた。目には涙を浮かべている。
「なんだ……これ……」
見覚えのない細い手から無数の管が伸びていて、掻こうとしても瑠美に止められる。
「寝ぼけてんの? 倒れて運ばれたんだよ」
視線を巡らすと両親の姿があった。医者らしき人物と何やら話をしている。
「あー……」
大まかに事態を把握できた俺は現状について瑠美に尋ねた。何だかやけに声が上擦って恥ずかしい。
「どのくらい寝てた?」
「丸一日くらい。昨日の夜に倒れたきりだったから」
「マジかよ。給料は?」
「そんなこと言ってる場合か、バカ!」
「す……すいません」
確かにその通りだ。
家族には多分に心労をかけてしまった。
「なんか、痩せてる?」
瑠美に握られたままの手を見ると、まるで自分のではないかのように小さくてか細い。おまけに色白で丸っこく、長年連れ添ってきた憎らしくも愛らしい皮下脂肪ちゃんは一体どこへ消えてしまったのだろう。
「あー、それなんだけど……」
尋ねると瑠美は初めて言いづらそうに目を伏せた。落ち着いて聞いてね、なんて前置きされると逆に身構えてしまう。
「薬に未知の副作用が出たみたい」
「ウッソ、怖っ!」
「うん。それでその、見た目がね……」
え、何。
俺そんなヤバい外見になってんの。まさかネット小説みたく顔だけスライム化したりしてないといいけど。
「ほら鏡」
「待て、まだ心の準備が……!」
言う前に掲げられた鏡には瑠美の姿が映っていた。けれど今のではなく小さい頃の、そう、ちょうど小学校を卒業した辺りの瑠美の顔だ。
「これ今のバカ」
「…………!?!?」
あかん、どうした。まさか家族ぐるみでドッキリでも仕掛けてんのか。
「いや、マジだから」
「うっそぉおおおおん!?」
舌足らずな叫び声は我ながらとても可愛かったです。まる。
◇◇◇
検査後、医者から何やら科学的な説明を受けた。薬の影響でホルモンがどうとか自律神経がどうとかいろいろ言われた気がするが、ぶっちゃけ"長い三行で"と口走りたくなるほどに意味不明だった。
とにかく薬の副作用で身体が幼女化し、原因は調査中とのこと。当然治験はすぐに中止され、他の治験者に異常が出る前に食い止められたらしい。その点については良かった。
「あの、これ免許証とかは?」
「一応、変更の手配をしてあります。いつ戻れるか分かりませんが、念のため今のうちに手続きだけは済ませておいて下さい」
「分かりました」
面倒になる前に済ませた方がいいかも知れない。
その後も病院側から謝罪され、結構な額の補償金も出ると聞かされた。治験というのは事前に検査したうえで副作用が出ないと分かってから行うものなので、このような事態が起こるのは珍しいことなのだが、起こってしまったものは仕方ない。リスクを承知で書類にサインしたわけだし、病院側を責めることは出来ないだろう。
「あれ、そう言えばこの服は?」
「サイズが合わないから側の◯ニクロで買ってきた」
「な、生粋のしまラーの俺にユ◯クロだと……?」
近年は同業他社との戦いに明け暮れるし◯むら。一ファンとして頑張って欲しいものである。
「いいかげんダサい服装やめろよ」
「何!? し◯むらへの侮辱は許さんぞッ!!!」
「し◯むらじゃない。ダサいのはバカのセンスだから」
……何?
◇◇◇
身体が縮んだせいで靴すら合わなくなってしまった。ずっと愛用していたクロックスが今では靴を履いたまま履けそうなほどデカく感じる。
俺の洋服代を瑠美が出してくれるはずもなく、買う羽目になった子供用パーカーとダボっとしたズボンの代金は完全に自腹だ。
「お、お父様、不幸なワタクシめにお情けをくれたりは……?」
「甘ったれるな。瑠美はともかくお前は大人だろう」
「ふぇええ……しょんなぁ!」
道端で泣き真似を披露していたら、お巡りさんが近寄ってきて先を行く父さんの背中に声をかけた。
「パパにいじめられたーー!!!」
……ヒソヒソ。
「お父さん、ちょっと話があるんだがね」
「分かったから今すぐ嘘泣きをやめんか!」
「わーい、やったー!」
おかしい。やってることはいつもと全く同じなのに周囲の反応が違うぞ。
「パパー、給料ちょうだい!」
「くっ……今回だけだからな」
「うへへ、分かったでちゅ〜」
お巡りさんは微笑ましいものでも見たような顔で踵を返して去っていく。おかしいな。本当にいつもと同じことしてるだけなんだけどな。
「キモ……」
唯一瑠美だけはドン引きだった。
◇◇◇
家に着く頃には夜の帳が降りかけていた。マスクを取るなり瑠美がしんどそうに独りごちる。
「今日の分の配信しなきゃ……」
駆け出しの新人Vtuberにとって配信に穴を空けるのは最も避けるべき行為と言える。
知名度に影響し、ライバルに差をつけられてみるみるうちに没落してしまう危険性すらあるからだ。