俺と妹と11回目の好き
「なあハルカぁ」
モニターを見ながら、俺は肩を並べてゲームをしている妹に声をかけた。
「んー、何お兄ちゃん?」
たぶん妹も画面から目を離していないだろう。
んなことは声で分かるし、コントローラーがガチャガチャうるさいのでお察し。
「好きだぞ」
「そーね、私も好きだよ」
「あっ! こいつ! ゴール直前に赤甲羅は卑怯だろうが!?」
「うるさい馬鹿お兄ちゃん。勝てばいいんでしょうが。勝てば」
俺の操縦する愛すべきゴリラがスピンしている間に、妹のキャラが抜き去ってゴールしてしまう。
つまり今日も俺は負けてしまったことになる。
「ほらほら敗者は去れ。さっさと風呂掃除してきてよ。今日体育あったから汗で気持ち悪いんだって」
ハルカはしっしっと手を振る。
まるで犬でも追い払うような仕草だ。
まあ負け犬だから正しいっちゃ正しいのだが。実の兄に向かってひどくない? ここ俺の部屋だよ?
確かに俺は、ツンデレキャラがヒロインの妹系アニメ好きだったけど。これはなんか違う気がする。
ため息まじりによっこらしょと立ち上がると、「うわぁ……おっさん臭ぇ」という目で見られた。
俺だって大学受験を控えて学校と塾で忙しいのだ。このうえゲームに負けて風呂掃除と洗い物が待っている。
そりゃおっさん的吐息も出るというもの。
方やハルカはソロプレイでゲームを続行。
ベッドでうつ伏せになって右に左にと肩を揺らしている。そーゆータイプの人なのだ。
それはいいのだけれど、下着の上に俺からパクったTシャツを着ているだけなので、ゆらゆら動くたびに白と紺のボーダーおパンツが丸見えになっている。
つーか、ケツ丸出しである。
妹という生き物は羞恥心がないのだろうか。
こーゆーのは見え隠れしてるのが至高なのに、これでは台無しである。
「なあパンツ見えてるぞ」
「は? なにそれキモい。別にお兄ちゃんに見せてるわけじゃないし、見なきゃいいじゃん」
「いやふつー見るだろ?」
「ガチシスコンの変態を普通とは言わない。どこの世界線で生きてんのよ」
めっちゃ平坦な声が返ってきた。振り向きもしない。
それを見て俺は思ってしまった。
ーーそろそろ潮時なのかもしれないな
と。
俺とハルカは、そりゃーもー壮絶なあれやこれを乗り越えて、一年前から恋人同士となった兄妹である。
俺を想い続けてくれていた幼馴染みを撃退し、慕ってくれていた後輩たちを轟沈させ、他にも教育実習できた女子大生とかコンビニの店員とか、ふってふってふりまくって俺は妹と結ばれた。
そんな沢山の屍の上に俺は立っているのだ。
でもついたあだ名は撃墜王ではなく、ただの変態。
ちなみに言っているのは妹だけである。ねぇひどくない?
そんなこんなで一年が経過し、何となく思ってしまう。
あれ? これ失敗したんじゃね?
つーかさー、神様ももうちっとタイムテーブルを組んでほしい。
モテ期って一生に一度じゃないんだし、初回でメンバー総動員とかふざけてんのか。いやマジで。少年漫画のラストバトルじゃないんだから。
これが牛丼屋なら、昼間にフルメンバーぶっ込んだ挙句、夜はスタッフ0人体制で「ご自由にどうぞ」状態である。
なにその奉仕活動。神じゃん。
一年前までの妹はそりゃー可愛かった。
毒舌は今と同じだが、時折見せる可憐な仕草。何かを恥じらうような儚い笑顔。どこか陰りを含んだ大きな瞳。
少女と女をうまくブレンドしたような、言葉には言い表せられない、もどかしい美しさがあった。
それがこれですよー。
おパンツ丸出しでダラけてる姿は、すいもあまいも知り尽くしたオフィスレディーのようだ。
昔の俺を思い出す。ちょっと妹の下着がチラ見えしただけで、鼻息荒く大興奮していたのはなんだったのか。
変わらず身体を動かす妹を見る。
とゆーか下着を見る。そう。下着だ。
あれはもうおパンツではなくって、下着。
言うなればボーダー柄の布だ。
「なあ、好きだよ」
「あー、私も好きー」
一年前に結んだ二人の約束。
一日に十回好きということ。
今ので今日のノルマは終わりだ。
んーー違う。もう今日でノルマは終わりだ。
「そろそろ終わりにしね?」
「んー、風呂入るまでやる。あとタイムトライアルしてるから話しかけないでもらえる?」
「いや、そうじゃなくな。俺たちの関係、終わりにしね?」
いつかは言うだろうと思っていた言葉を、俺はやっと切り出した。
「なんで?」
ハルカの手元からコントローラーを操作する音が消えた。右往左往していた肩が、ビクッと驚いたように震えた気がした。
「ねえ、なんで?」
でも妹は振り向いてもくれない。
「今の俺たちの関係ってさ、なんか違くね? 恋人同士って言うか……」
「だよね。私も思ってた。これっていわゆる倦怠期?」
深呼吸のような大きなため息をついてから、やっと妹は俺の方へ身体を向けた。
くしゃくしゃになっている髪を撫でつけている姿は、珍しくしおらしく見える。
「倦怠期っつーと、慣れや飽きがきた恋人同士がドキドキがなくなると言うアレだな」
実は調べていた。そーかなー、そーなのかなーと思って色々とネットを検索したのだ。
「そう。それ。お兄ちゃんは私に飽きたの? 私の身体に飽きたの?」
「いやちょっと待て。まだキスしかしてねぇし。誤解を招くような発言はやめろ」
「うわ、まだとか言ってるし。したいの? えっちなこと。だからそんなこと言ってるんだ? うわっ引く。妹とえっちしたいとかマジ引くんですけどー」
俺を睨みながら、Tシャツの裾を引っ張って下着を隠す妹。
あれ? ちょっとえっちですねー。
あ、ちがう。
「ちげーよアホ。お前も下着丸出しとか、同棲何年目の彼女だよ? あと一年くらいしたら屁でもこくんじゃね?」
「こかないしっ! それに下着はっ……」
「なんだよ?」
「別になんでもないしー。それに妹が下着でいるのって、お兄ちゃんが好きなキモいアニメの定番じゃん。そんなの見てる人にとやかく言われたくないんですけどー。あーガチキモ」
「おい、俺をキモいって言うのは良いけど、妹系アニメをキモい言うのやめろ」
いいのかよ! 自分で言っちゃったよ。
「つーか、そうじゃなくて。俺が言いたいのは倦怠期じゃないんだよ」
「はぁ? 意味わかんないし。もういいから、さっさと風呂掃除してきてよ」
はい話は終わり。みたいに言って再びモニターに向き直る妹を見て、俺は確信した。
「これってさ、普通の兄妹なんじゃないか?」
これは倦怠期なんかじゃない。
普通の兄と妹の会話だ。俺たちはラブラブ期を終えて、なぜか再び兄妹に戻ってきたのだ。
下着を見られても何とも思わない妹。それは俺が肉親だからであって、長年付き合ってきた恋人だからじゃない。
そしてそれは俺も同じ。
パクられた俺のTシャツは首元もヨレヨレで、時折りむにっとした谷間とか見えたりするけど、なーんか違う。
パンツも見えるし谷間も見える。えっなにその天国? 天国って地上にあったの?
って普通は思うじゃん?
でも最近の俺は、なんでそんなヨレヨレTシャツいつも着てんだよと、なんかイラッとしたりする。
見せていると言うよりも、見られても別にどーでもいい、そんな妹の気持ちが透けて見えるのだ。
「いつのまにか普通の兄妹に戻ったんじゃないか?」
「そう……なのかな? あははっ。やっぱ倦怠期じゃない? あ、なんならちょっとおっぱい触る? 手の甲でならオッケーだよ。ハルカちゃん大奮発!」
「おいキャバ嬢みたいな発言はやめろ。俺がリーマンなら速攻で延長しちゃってるぞ」
いや、するのかよ……。
「わわわ私だって恥ずかしいんだよ。でも……刺激が欲しいなら、先に進むしかないじゃん」
「だからさ、そーゆー話じゃないんだっつーの」
予想外のハルカの反応に、俺は戸惑っている。
正直言って、
「あ、そ。んじゃ契約不履行で小遣い全部差し押さえだからね」
「ちょちょちょっと待ってください妹さま!?」
「慰謝料と養育費よ。文句あるわけないよね?」
「いや待てマジで待て。子供いねぇし。えっちもしてねぇし!! それ詐欺じゃないですかね!?」
くらいな感じに終わると思っていたのだ。
それなのに目の前の妹は、細い肩を落として今にも泣き出しそうな空気を出している。
顔はうつむいていて髪の毛でよく見えない。
もしかして泣いているのだろうか。
いやまさかな。一年前までのハルカなら考えられるけれど。
「だっていまさら普通の兄妹とか……」
「大丈夫だ。心配するな」
顔を上げたハルカの頬に、ひとずしの滴が流れた。それは丸い頬をつたい、顎で行き場を失う。
俺は妹の頬に指を這わせた。
罪悪感で死にそうだ。
勝手に惚れたくせに、勝手に別れの結論を出した自分を殺してしまいたい。
でもこのままでは、兄妹のままでは俺たちに先はない。
ーーだから
「俺たちはもうちゃんと兄妹だ。ずっとこのままでいい。ただ、恋人じゃなくなった、それだけだ」
「普通の兄妹かぁ……。素の私になっても、嫌いにならない?」
ハルカは自分の頬に添えられた俺の指を握って、まるで怯えるように俺を見上げた。
潤んだ大きな瞳に俺だけが映り込んでいる。
あれ? なんか懐かしい。
ハルカは口も悪いし、俺にだけはすぐに手も足も出す。でも一年前までの彼女は、そんなツンデレ的な中にも、どこか守りたくなるような儚さがあった。
久しぶりに俺の好きだった妹を見た気がした。
「嫌いになんかならねーよ。今も妹として嫌ってなんかねえよ」
「……そっか。うん。お兄ちゃんがそれでいいなら」
「うし! じゃあ今をもって恋人関係を終了しますっ。只今からは仲良し兄妹ってことで!」
「……ん」
コクリと頷くと、ハルカは「あっ」と声を上げた。そして下着を隠すようにTシャツを押さえながら部屋を出て行く。
気まずくなったのかもしれない。そんな風に俺は考えながらベッドへ倒れ込む。
やたら疲れたし、なんか痛い。
むしろ死にたい。
世の中のリア充って、恋愛のたびにこんな痛みを負っているのだろうか。だとしたら言いたい事がある。
お前らマゾか!?
いや俺はもうごめんだよ。もう恋なんてしないし、たぶんできないだろう。
「お兄ちゃん……」
どうやって死のうか悩んで、たどり着いた答えが老衰だったちょうどその時、控えめな声で妹が俺を呼んだ。
顔を上げると、おずおずという感じで入ってくる。
ボーダーのおパンツは、ちょっと短めのショートパンツで隠されている。
下着姿の時には視線もいかなかった足は、太すぎず細すぎない肉感で、なぜか視線をはずせない。
トップもビッグシルエットのパーカーに変わっている。
今年流行のペールトーンカラーが、女の子って感じでとても可愛らしいと思った。
「あの、これ……」
「あ、Tシャツ?」
「ん、そう。ずっと今までありがとう」
綺麗に畳まれたTシャツを僕は受け取った。ほんのりと妹の体温と、甘い香りがした気がする。
「えっ? いまさらかよ」
俺は声を上げて笑った。
笑ったが、内心は違和感で頭が真っ白になりつつあった。
ハルカの様子がおかしい。
さっきまでのツンデレという名の、『ただただ兄にきっつい妹』の姿が見当たらない。
「ごめんね。んと、あの、お兄ちゃんのTシャツ着てたら、なんか安心できた……から」
恐る恐ると言った感じの上目遣い。
たどたどしい口調。
みけんシワは世界の果てに消え去り、ほんわりと頬を染める妹。
「……ハルカどうした? 熱でもあるのか?」
「え? 熱? ないと思う……よ?」
「いやだって、キャラ違くね?」
俺が言った瞬間に、ハルカは自分の頬に両手を当てて真っ赤になった。
「だってだって、お兄ちゃんってさ、あーゆーのがタイプなんでしょ? だから頑張ってなりきってたの」
「は!? 演技!? つーかさっきのが? めっちゃ超自然だったけど。ええっ!? じゃあパンツ丸出しなのも?」
表情は手のひらで覆われて見えない。でも艶やかな髪の毛からちょこんと覗く小さな耳は、熟れたリンゴよりも赤い。
「……すっごい恥ずかしかったんだからねっ」
「え!? 恥ずかしながら見せてくれてたの!?」と思った瞬間に、俺の中で何か熱いものがムクムクと起き上がるが、性的な意味じゃないからな。いやほんと。ほんと……だよ?
方や今や妹は羞恥のためか、膝を抱え込んでしゃがみ込んでいる。
これ、さっきまでの妹? うそ誰これ。誰と入れ替わったの? ずっと入れ替わったままでいてくれませんかね。
儚く可憐で、触れたら壊れてしまいそう。まさに俺のタイプだ。
一年前までのハルカには、確かにこんな片鱗は見え隠れしていたのを思い出す。
俺が好きだったハルカをさらに純粋培養したのが、まさに今目の前にいる美少女だった。
「最初は恥ずかしかったけど、やっと慣れてきたと思ったの。すごい頑張ったのに、でもお兄ちゃんにフラれたぁぁ。うわああああん!」
大号泣だった。
「いやだって、あれ? なんでアレが俺のタイプ?」
「……アニメ。お兄ちゃんの好きな」
「お前あれ全部見たの?」
「んーん。最初の方だけ。だってお兄ちゃんと妹の恋愛だよ? そんなの自分の気持ちを考えたらさ、恥ずかしくって見れないよ」
最初って……ただただ妹がキッツイだけの部分ですよ、あなた。そっかーそれでかー。
「私、お兄ちゃんが好きな妹じゃないけど、嫌いにならないでいてくれる?」
その言葉を聞いた瞬間。気づくと俺は意図せずハルカを抱きしめていた。
驚いたハルカの吐息が俺の耳元を温かく撫でる。
なあ、もう恋なんてしないんじゃなかったのか?
なあ、フっておいて身勝手過ぎやしないか?
普通の兄妹に戻るんじゃなかったか?
そうだな。その通りだけれど、俺は一年前の恋人に再会したんだ。
正論は、ちょっと今は遠慮してくれないか?
「嫌いになんかならない。だって俺はーーー
ーーそれは、はじめての11回目の好き
ひどい主人公ですみません。