入学と立合い②
ダロン・リーが公子ジェズ・ジャンの入学を聞かされたのは、ほんの2日前のことだ。
彼は大同学舎の宿舎で寝泊まりしており、食事は宿舎の中で学友たちと食べている。この日は義父から特に呼ばれて、久々に夕食を共にした。その席での通知である。もはや学舎の決定事項という事だった。
「義父さん、その公子は・・・」
「お前と何やら諍いがあったとは聞いている。」
義父は澄ました顔で食後の茶を啜った。
「しかしそれについてはジャン家の方々が一切問題視していないと、あのカイファン・トイ卿が断言しておられる。仮にも廟堂の第2位におわす方だ。安心していいだろう。」
ゴズ・リーは巨大な禿頭を摩りつつ、にやにや笑っている。不思議な色に輝く『魔眼』が、興味深げにダロンを見据える。
「それともお前の方に受け入れがたい因縁があるか?」
この前の一件については、その場でジャン家の家宰から説教のような事を言われ・・・一応決着ついているはずだ。その家宰本人も『子供のケンカに大人が口出すは愚の上塗りにて、この件もこれにて手打ち』と言い切っていた。
仲間たちも何の叱責もないことに唖然としていた。公子さまにウンコかけて、無罪放免とはならない覚悟であったのが、まさかのお咎めなしだったのだ。
むしろこちらには思うことがなくても、公子本人にはあるだろう。
そのあたりを告げると、そこも心配無用だと義父は言う。
「トイ卿の話では、素行に問題あればいつでも退学させてくれて構わぬという。退学となればジャン家から勘当と本人には申しつけてあるそうな。いやいやさすが公爵家、子供のしつけにも厳しさが違う。」
そんな厳しいしつけの中で、あんな問題公子が育っていること自体が問題と思うが、義父にはそのことはさほど不思議でもないらしい。
「師範たちとも協議して、この入学を受け入れることにした。ニン師範も承知したことだ。1年甲級に編入するぞ。」
「義父さん!」
ダロンと同じ組への編入となる。いくらなんでもそれは不味くないか。
「あの公子には『波動』が使えている。となれば他の組へ入れるわけにもいくまい。」
「本当ですか・・・あの公子が?」
ゴズ・リーの大きな眼がぎょろりと動き、瞳の中でいくつもの色が蠢く。彼の『魔眼』には人体の起こす波動と、それによって龍脈から人体へ流れ込む『仙精』の流れが見える。
この力があればこそ、ゴズ・リーはあえて仙人とならず教育者の道を選んだのだ。
「波動の兆候ではなく、すでに使っていると?僕と同じ年で・・・」
「間違いない、驚くべき速さだな。先日の堆肥遊びは私も見たがね。あの子は仙精を取り入れて、身体強化ができるレベルにある。」
義父に例のケンカを見られていたこともショックだが、公子ジェズ・ジャンが波動の素質があって、既に自分よりも上のレベルにあることの方が衝撃が大きい。
「そこまで進んでいるとなれば、仙力の発動だってもう間もなく・・・」
「まさか、そこまでのことはあるまいよ。」
ゴズ・リーは笑う。
仙力は人によっては数十年の修業を経て、初めて使うことのできる強大な力だ。
「お前も彼と存分にぶつかり合って切磋琢磨しなさい。またとない研鑽の相手となるだろう。」
最後に義父は微妙なことを言った。
この翌日、つまりジェズの編入となる前日に、ダロンは二人の友人へ義父の話を告げた。
もちろん『波動』の件はぼかしている。この件は公式には学生たちに明らかにされていない。
彼らも『波動』の兆候あり、として入学を許された生徒たちである。
しかし一般的に『波動』が使えるようになるのは、15歳よりも上の年齢になってからなので、ゴズ・リーには見えても本人たちに自覚はないのだ。
おまけに千人に一人ともいわれる『波動』の才能については、世間一般にほとんど知られていない。仙人になって仙力が使えるようになるのは『仙骨』を持って生まれた人間のみ、という古い言い伝えが今も世間では信じられている。
なるべく安心できるように告げたのだが、『波動』の部分を省略すると、なぜあの公子が甲級に編入されるのかうまく説明がつかない。
結局友人たちは混乱した。
「・・・ダロン、奴は何のつもりでこの学舎へ?私は権力者の理不尽な暴力に晒されて、ぐちゃぐちゃの目に遭い性奴隷とされるのか?」
「あああだからウンコはやめようって言ったっしょお!ダロン!!めちゃ怖いっしょお!!」
リイファは暗い目を伏せやや暴走気味な妄想を繰り広げ、ガンゾは黄色い坊主頭を抱えて責任転嫁をし始めた。
― うーん。まあそうなるよねー。
ダロンも若干持て余し気味だ。
公子ジェズ・ジャンとの身分差を考えれば、無礼打ちにされてもおかしくはない。
子供同士のケンカという範囲に収めておけばこそ、大人も見逃すし対等な立場にも立てる。しかし学舎という社会的施設の中で、身分の差を意識するなといってもそれは無理な話だ。
― だいたいあいつって変な奴だよね?
ダロンは物心ついたとき、すでに孤児院の中で育っていた。当然両親の顔など知らない。
誰よりも頭がよかった彼は、初めてやることでも難なくこなすことができた。
世間の大人は皆彼を、神童だ天才だとほめそやす。
― いやこんなこと、一回見ればできるでしょ。
本人はその程度にしか思ってない。
そんな彼にとって、同世代の子供たちは組しやすい相手でしかなかった。時には大人たちですら、自分のめぐらす考えについてくることができない。
結果として彼には人間への興味がない。
どんな奴だって底が見えてしまう。彼にとっては共に語るに足りない、考えの浅い相手でしかない。
学舎に入って師範や友人もできた。それらの人たちは、今まで出会った人よりは大分マシだったが、興味を引かれるような人物には出会わなかった。
なによりも彼より優れた学生がいない。
相変わらず何をやらせても、ダロンは組の中で最も早く仕組みを理解し、最もうまくそれをやってのけた。
そんな彼でもまだ身についていない『波動』を、あの公子は使いこなしているという。
― 僕にもできないことを、教わりもせずできているなんて。
信じられない。
おまけにそれが『二環北のジェズ』と呼ばれる、貴族のワガママ子弟なのだ。
― 貴族ってもっと威張りくさって、何もやらない奴らなんじゃないの。
この前の戦いで、あの公子は堆肥の中を這いつくばって進み、思いもよらないところから出てきてダロンを吹き飛ばした。最後の馬鹿力はなるほど身体強化のおかげであったとしてもだ。
― 威張りくさった男に出来ることじゃない。
そもそも行きがかりはあったとしても、仲間のために戦ったのだというし。
おまけに今度は敵の真ん中に飛び込んでくる。普通の神経じゃない。
ダロンはこれまで見たことのない型破りな男を見て、生まれて初めて他人に興味を感じた。
― うーん、底の知れない奴だよねー。
まさか親親戚に怒られて、罰として大同学舎に入学することになったとは知る由もない。
次はどう戦うべきなのか。
義父にこの件を告げられてからというもの、彼の頭から離れないのはその事である。
切磋琢磨せいというくらいだから、多少の揉め事は見逃されるだろう。
よしやってやるとダロンは思う。
― だがまともに体術でぶつかれば必ず負ける。
それでも学舎内で立合いとなれば、一対一の戦い以外ありえない。
丸2日間そのことを考え続けた。
そうして迎えたジェズの編入当日、ガラガラと門から入ってくるジェズがいる。
- 相変わらず意表を突くやつ。
なぜ自ら荷車を引いているんだ。可笑しくなってダロンは笑いが止まらない。
急いで宿舎に戻り、木剣をひっつかんでまた飛び出す。
何やら騒ぎの起きている事務棟の方へ。
― 君のことが知りたい。
この退屈で底の浅い世界で、今僕が知りたいのはそれだけだ。
「うるさいのは君だ。このウンコ公子。」
ひと月ぶりの再会だった。