入学と立合い①
世間一般的に学舎への入学は、立秋の頃と決まっている。
ところがジェズ・ジャンの入学が、午の月(7月)から遅れに遅れたのは、本人が学舎に入るのをいやがり逃げ回っていたのが原因の一つ。
しかし中秋の節句が終わりダロン・リーとのケンカ騒ぎの後、さらにひと月ほども遅れてようやく入学の運びとなったのは、ジャン家の番頭であるカイファン・トイ卿が、ジェズの学舎を庶民が通う大同学舎と定めた事への反発が原因である。
一口に反発といっても暴れ者の事で、並大抵の反発ではない。
家宰のウーズを相手に通う通わぬの大ゲンカの後、体術での取っ組合いとなった。むろん大西部に勇者あり、とその力をたたえられていたウーズのこと、同世代では化け物レベルのジェズといえど、まともに立ち向かって勝てるはずもない。
丸3日ほど倒れては向かい、また倒れたのち組み付くという執念を見せたジェズは、手加減を完全に放棄したウーズにコテンパンに畳まれた。
参ったと言えば学舎への入学承諾を意味する。
承諾すれば貴族の端くれ、自身の名誉にかけて卒業までを全うせねばならない。
意識が朦朧となったところで降参したジェズは、入学承諾と相成ったわけだが、この戦いの体力回復を待たねばならず、結局申の月(9月)終わりに入学となった。
「ウーズの野郎ぜったい許さねえ・・・武術を極めたら真っ先に殺す・・」
寝床に臥せってうなり続ける呪詛の言葉に、
「はは・・あの執念が学術に向かってくれればのお。とりあえずワシ死んだな。絶対死んだ。」
13歳と思えぬ化け物じみた膂力に、半ば人生あきらめたウーズだった。
ジェズが学舎入学騒動でこうまで反発した理由は、幼少の頃から兄たちと差別され続けてきたジェズにとって、学舎まで差をつけられるのは新たな差別と受け取れたためである。
しかし彼は療養中つらつらと考えた。
何も兄たちに比較されるため、わざわざ同じ学舎へ通うこともないかと。
特に一つ違いの第4公子シャオ・ジャンとは、あまりに違う頭脳・容姿・性格が災いし、ことあるごとに引き立て役となっている。
カイファン・トイ卿の判断には、そんなところにも含みがあったのかもしれない。
何しろ幼いころから、この出来のいい兄と比較され続け、彼も周囲も比較すること自体にうんざりしているのだ。
「いいだろう、学舎なんぞどこでも同じことだ。誰にもバカにされぬ強者になってやる。」
ジェズもここにきてようやく入学を受け入れた。
周囲から遅れること3か月ほどである。
そうして秋深まったある日の朝、リンズの四環路に大きな荷車を曳いて歩く、ジェズとアモン・マーの姿があった。
道行く人の視線が集まる。
「俺までとばっちりだ。弟の方が出来がいいから、奴が学舎で勉強すりゃあいいのに、ジェズが通うからお前も行けとなっちまった。」
「文句言わねえでちゃんと押せよ!なんかさっきより重てえぞ!」
アモンは後ろから手抜きの押しを入れる。
平均的な同世代よりも小柄なアモンは、大きな荷車の後ろに回るとその癖毛頭まで完全に隠れてしまう。
「しかしジェズよ、自分で荷車おして学舎へ入学する公子ってのも前代未聞だろう?」
「仕方ねえだろう!あのクソ叔父貴がこれで行けって言いやがるんだ!」
荷車には2人分の生活用度が載せられている。
これを引いて入学なんて、確かに町人の子弟にもそんな者はいない。
しかし学舎で独立した生活を始めるにあたり、
― 身の回りのことは全て自力で解決せよ。
という叔父からの命が下った。
その結果彼に与えられたのが、大きな荷車1台だったというわけである。
2人は四環路の舗装されぬ道を、ひたすらガラガラと進む。
秋の日差しが町と2人を温める。
日差しは冬などまだ先のことだと気休めを言う。
ジェズはふと兄のシャオ・ジャンのことを思う。
神童だのお優しいだのと皆に言われる一つ上の兄は、伏竜学舎の1年級を主席で終え、今年2年級へ進んでいる。
― 比べられるのが迷惑だっただけだ。別に憎み合ってるわけじゃない。
幼い時はよく一緒に遊んだ。この日差しのようにやさしい兄だった。
― また普通に話ができる関係になるだろうか。
そんなことを少しだけ思った。
四環北の一角にある大同学舎は町人にも開放されており、敷地内には誰でも入ることができる。文武に鍛え上げられた子弟の集まる学舎内は、警備がなくとも街中より安全な場所だ。
ジェズとアモンは無人の門をくぐりぬける。
授業は終わっているのか、何人もの生徒と思しき若者が、敷地内を自由に歩いている。
アモンはここが友人にとって良い場所であればいいがと思いながら、しきりに敷地内を見回した。
世間からは乱暴者としてしか見られてないが、そしてそれは当たってるのだが、それでも友情に厚く弱者には優しいジェズを、アモンは幼いころから誰よりも信頼していた。
先日のケンカもきっかけはアモンが作ってしまった。
ジェズにとってはより評判を落とすだけの、何の得にもならぬケンカで、アモンはジェズを制止しようと試みたが無駄だった。
アモンの家は士分であるが、下士級のため俸給はわずかであり、一家はジェズの家産である武器生産に内職を受けて糊口をつないでいる。
一方ゴズ・リーは商会も経営しており、孤児院の子供たちの働き口としている。アモンは孤児院の丁稚たちと、接触する機会が多かったのだ。
問題の起きた日、材料の帳簿とアモンが持ち込んだ製品の数が合わない、と丁稚が言ってきた。
そんなはずはないとアモンが言い返せば、学舎へも通わぬ貧乏下士に数がわかるのかと言い返される。勢いで相手をみなしご野郎呼ばわりしてしまったのも事実だ。
侮辱したと言えばお互い様だった。
「貧乏ゆえに学舎へ通えぬ。だが貧乏を恥とするような安い生き方はしていねえ。」
ジェズの言う『二環北軍団』の誇りは、取るに足りないちっぽけなものだ。
けれどこんな取るに足りない仲間の誇りのために、ジェズはいつでも立ち向かっていった。
「俺たちを見下す奴らは叩きのめす。」
子供っぽくて感情的だ。でも仲間はそんな彼と行動するのが誇りだった。
そして結局この間のケンカも止められなかった。
だからこんな自分をティエルの奥さまが呼び出して、ジェズと一緒に学舎へ通わせてくれるとおっしゃられた時には、天地がひっくり返ったほど驚いた。
「親友のあなたがジェズを支えてやってくれれば。」
とお優しくいっていただいたときは、ありがたくってかたじけなくって、涙があふれて止まらなかった。
「おおおぐざまあじがどうござえますうう、おでがんばりまずううう!!!」
涙でぐしゃぐしゃになって、何言ってんのか自分でもわからなかった。
こんな下らない自分をジェズの親友と言っていただいたのが、何にもましてアモンの心を動かした。
「奥さまのご恩を忘れるな。万一公子を守りきれねば、ワシがおのれを成敗してくれる。」
武骨な父が涙を流してそういったのを、アモンはまったく当然と思った。
けれど面と向かっては照れくさくて、『とばっちりだ』などと言ってしまう。
アモンとジェズはそんな風に、兄弟以上の中だった。
学生らしき若者に尋ねながら、2人は事務方の一室にたどり着く。
玄関は広く奥行きがあり、手前には紅木造りの椅子と卓が、奥には同じ素材の事務机が置かれている。
事務机には30歳ほどの女性が座っており、何やら木簡を読んでいるようだった。
「オバちゃんちょっといいか?」
「んっ?!あたしのこと?」
「ここにオバちゃんはお前しかいないだろ?新入生の宿舎にはどう行けばいい?」
「何その態度どっから目線・・・あんた何なの?苦力?」
ジェズはその体躯のせいで、歳をとって見られるのには慣れているが、苦力呼ばわりはあまりない。
荷車をみてそう言っているのだろうが・・・アモンは堪えきれずに笑い出した。
「俺は13歳の新入生だ。」
ジェズは怒ったように言う。
「・・・まさかと思いますが、あんた入学予定のジャン家のご子息?」
「ああ、ここがその辺の手続きをする場所か?」
「そうよねまさか・・・・ってえええ!!あなたが!?公子??」
驚愕する事務員を落ち着かせようと、アモンが交渉役に割って入る。
「そして俺が犠牲者アモン・マーだ。同い年が俺しかいないから、こいつに付き合って入学する。」
ちっこい体でずかずかと机の前までやってきた。
ジェズはむすっとして椅子に腰かけるが、アモンに任せるといった風だ。
事務員は子供らしい姿を目にしてやや落ち着きを取り戻したようだ。
「ええとちょっと待ってください・・・こ、公子が何で荷車引いて自力で学舎へ?」
「いや家庭の教育方針だ。そこは気にすんな。」
「いやめちゃ気になるんですが。」
「公爵家を児童虐待で通報する?」
「いえむしろ不審者の通報をしたい気持ちで一杯です・・・」
事務員はおたおたと木簡を引っ張り出したりしている。
「ええと、ご身分と当学舎の入学を証明できますか?」
ジェズはピクリと反応する。
「俺に身分を証明しろって?」
ジェズの機嫌が泡立ってくるのが感じ取れる。
まずいな、とアモンは思う。今日は随分機嫌が悪いようだ。沸点が低すぎる。
そう思った瞬間、ジェズは椅子を蹴って立ち上がった。
軽い紅木の椅子は壁まですっ飛び、派手な音を立てて壊れる。
「ひいっ!」
女性は思わず事務室の奥へ引き下がる。
「ちょっと待てジェズ!トイ卿からお預かりした竹簡があったから・・」
「俺が自分を証明するって?!おもしれえ!手始めにここからぶっ壊すか?!」
なんでそうなる。
アモンは正面に回ってジェズを止めようとするが、片手でひょいとのけられた。
奥の建物からばらばらと男性職員も出てきて、ビビリながらジェズを止めようとする。
「なんあだれ、モンスターペアレンツか?」
「もし、そこの方。何をそんなに騒いでおられるので・・・」
「うううるせええぇっ!!!」
吠えるジェズの声は壁をビリビリ震わせ、男たちはうわあと後ずさる。
これはいかん、収集つかないと焦るアモン。
入学前に退学処分などとなっては、またしても町人のいい笑いものになるだけだ。自分は奥方様に顔向けもできないし、何と言ってもその前に親父が成敗しにやって来る。
アモンは腹をくくって体を張る。
「やめるんだジェズ!やめろやめろやめろお!!」
「邪魔すんなアモン!てめえもうるせえぞ!」
カオスになっただけだった。
その時である。
「うるさいのは君だ。ウンコ公子。」
さわやかな声が響き、2人はぴたりと動きを止める。
誰が来たのかは分かっていた。ゆっくり後ろを振り返る。
「なんでこうなるんだ・・・」
アモンは頭を抱えた。
入口にいたのは、栗色の髪に灰色の目と整った顔立ちの少年。
ひょろりとした細身の体に白い胴着と黒い褲子を纏っている。
「ダアアロオン!!」
「だからうるさいって。」
両者ひと月ぶりの再会だった。