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母と息子

「ふむ、まあ一度流したくらいでは、匂いまで落とすというわけにはいかんな。」

カイファン・トイ卿は馬車の窓から流れ込む堆肥の臭気に、思わず顔をしかめる。

 

下履き以外はすべて脱がされ、悪ガキどもは我こそはと志願した町人たちに、桶で何十杯も水をぶっかけられるという罰を与えられた。それでもまだ匂いは落ち切っていない。

町人たちが最高の笑顔で水をぶっかける中、ダロン・リーとその仲間たちは家宰のウーズから手当てを受けた後(ダロンだけが1発殴られたのみだが)、笑顔で説教をされて不思議そうに帰って行った。


その後ガキどもは下履き姿のまま、二環北の屋敷まで馬車の横を走らされている。


思春期の少年には結構恥ずかしい仕置きだと思われるが、悪ガキどもは平気な顔で今日の勝戦の話に夢中だった。

しかしジェズ・ジャン本人は仏頂面で、最後尾をぺたぺたと走っている。

いつもとは様子が違っていた。


「ジェズ、お前をこれ以上放置しておくと、ジャン家にとってロクなことにならんのは明らかだ。」

トイ卿の言葉に、おしゃべりな子供たちが一斉に口をつぐんだ。


「今度という今度は勘弁ならん。どうあっても学舎に入ってもらうぞ。」

トイ卿は甥に声をかけつつ、彼の様子を注視する。

いつもならここで全力ダッシュの脱走を見せるところだ。逃げ出せば卿の従者は騎馬で追いかける手はずである。


しかし・・・今日はなぜか大人しくついてくる。響くのは車輪の音のみだ。

トイ卿は不気味に思った。


「叔父上、今日のケンカをどう思った。」

しばらくしてジェズが口を開く。

トイ卿は甥の意図を測りかねた。


またしばらくの間、車輪の音がガラガラと響く。

三環路に入って石畳に舗装された道となった。

東海に近いリンズの町は年中強い風が吹く。建物の壁には海で取れた貝殻をすりつぶした粉を、泥に混ぜて隙間を埋めるのに使う。その白い壁が続く街並みは、リンズの町人自慢の景観だ。


「ジェズどうしたんだ?俺たちは勝った。ダロンの野郎をブッ飛ばしたんだ。」

そうだそうだと仲間たちの声。

「だがアモン、本当の戦いだったら最初の罠で俺たちは全滅してた。」

ジェズはそう言い放ち、子供たちはまた沈黙する。


家宰はトイ卿の横でにやついている。

「思いのほか効いているようですなあ。」

分かったからその顔で近づくのをやめてほしい。


「叔父上、今日のケンカをどう思った?」

再びジェズが尋ねてくる。

背丈は大人並みだが、声には少年の色が残る。顔だちも周りに比べれば精悍なものだが、大人に比べれば可愛らしさが感じられる。打ちのめされた感覚があるのか、いつもより素直な少年らしさが見える。


「お前の思っている通りだろうよ。ケンカに勝ったが戦略では負けていた。それが今日起きたことの全てだ。」

「戦略ってどうやったら身につくんだ。」

「お前の歳で戦場に行くことはあるまい。だが理術を学べば戦略を学ぶことができる。」


横にいる家宰がわきわきして訴えかけてくるのがウザったい。

千載一遇の教育機会だ。無理もないのだが。


「理術を学ぶには書を読む能力、すなわち文字を学ぶことが必要になる。」

ジョー王国連邦の諸国の中で、リュー公国は学術レベルの極めて高い国である。これは開祖リューシャン公が仙術を極めた道士であったとされ、学術に対して国民の意識が高いことが大きい。文・武・理・工・医五術の基はすべて仙術の研究からもたらされたものだ。

 


国都リンズは、ジョー王国連邦の各国から道士たちが集まる、学術の中心的都市となっている。


「まず学舎にて基礎級の文術を学ぶ。これは文字と歴史を覚えることだな。これがすべての基礎となり、理術・医術・工術という『専門三術』へ進むことができる。」

「戦略とは武術ではないのか?武術では戦の事は学ばないのか?」


この子は筋道立ててものを考えることもできるようだ。トイ卿は意外に思う。


「武術で学ぶのは身体の鍛錬と格闘技術のみだ。これはこれで、極めれば仙力にまで達することができる重要な道筋だ。しかし戦略という(ことわり)は理術に属するのだ。」


ジェズが言葉を発しないので、トイ卿は説明を続ける。

ウーズが横から涙目でウルウル見つめるのが超ウザったい。

「理術とはこの世の(ことわり)を探求する、極めて重要な学術分野だ。それは天・地・政・戦・仁の五略学ぶ学術である。これを学ぶ道のりは極めて困難で遠い。」


トイ卿はここで一息つく。馬車の外を走るジェズと目が合う。

「それでも歩み始めねば、たどり着くこともない。」


「・・・ダロンは、奴はたどり着いているんだろうか?」

してやったりとトイ卿&ウーズはガッツポーズだ。しかし素知らぬ顔で話し続ける。


「ダロン君とてこの時期は『基礎二術』を始めたばかりだろうよ。」

なになにライバル視しちゃって~!・・・なんてことは言わない。

「しかし文術を学べば歴史を学ぶことになる。歴史を学べば戦を知ることになろう。そこにはいくつかの戦略が見て取れるはずだ。もともと理とは世にあまねく存在するもので、賢いものの中には学びの中から、自身の力で理を見出す者もいる。」


ジェズは再び黙り込んで、ただ走り続けた。

美しい白い壁が夕日に光るリンズの町を、堆肥くさい少年たちが黙々と走る。


トイ卿は屋敷に到着すると、親分を心配する悪童たちを追い帰し、従者に言いつけジェズを庭先へ控えさせた。ウーズにはティエル妃をお呼びするよう言いつけ、自身は庭の見える露台で腰かける。


ティエル妃は西部の大部族ティエルの名を取って、リュー公国の中でそう呼ばれている。『ティエルから嫁いだお妃さま』程度の意味で、本当の名をムーンという。

ティエル=ジャン家の屋敷は、公爵家のものとは思えぬ質素なものだ。

ティエル族は馬具および武器の生産技術が高い部族である。その技術を見込まれ招聘された技術者に、美しい族長の娘が同行してきた。族長の策略にまんまとはまったリュー公シャオバイ・ジャンが、ムーンを第6妃として迎え入れるのに、言い訳として用意されたのがこの質素な邸宅である。


ティエル=ジャン家は馬具と武器の家産があり、国内外に向けた管理も任されているので、その財産は正妻と比べて見劣りするものではない。それでもティエル妃は家屋を増築せず、与えられたままにしておいた。


これは他家からの批判をかわすため、生き残っていくための知恵というものだ。


その賢く美しいティエル妃が、露台へ続く一部屋に静かに入ってくる。

ティエル族の特徴である浅黒い肌は、彼女の一身に何の痕跡も残していない。むしろその肌は白く美しく、茶色くはかない髪の色や細く頼りなげな体躯も、息子との共通点を見出すのは難しい。


ジェズはジャン家とティエル双方のDNAを色濃く宿している。鷲鼻の黒髪、肌は浅黒い。

 

ジェズはこの母にやさしく従順であり、素行不良をとがめられることを最大に恐れている。

ならばもう少し孝行息子になればいいものを、とトイ卿はいつもおかしく思う。

しかし息子なんてそんなものかもしれない。いつだって失敗し、すぐにばれるのにそれを隠し、親を悲しませては後悔する。今日はせいぜい後悔してもらおう。


「カイファン・トイ卿、本日は愚息のためにお忙しい中、ご足労ありがとうございます。」

優雅に身をかがめるティエル妃、トイ卿は立ち上がって貴人への礼を取る。

「滅相もありません、ムーン様。一族の諸事を司るのは、このカイファンの責務にございますれば。」


「トイ卿の一族への忠節に感謝を。そしてその息子ですが・・・」

ティエル妃とトイ卿は庭先に目をやる。

ジェズはそっぽを向き跪いたまま返事をしない。


「ウーズ。この子が半裸で庭にいる理由を教えてちょうだい。自分では口に出せぬようですから。」


ジェズはあわてて喋りだす。

「母上!わ、私から申し上げます!」

見上げた顔は興奮から赤くなっている。

「私の親友であるアモンが、昨日市場においてゴズ・リー商会の小僧から辱めを受けたのです!」


「あら、マー家の長男ね。あの子もまだ学舎にも通わず、あなたと遊び歩いてるの?」

「・・・そのアモンが『学のない脳筋野郎』と・・・」


「事実ね。」

「事実ですな。」

母親と家宰に冷たく言い放たれ、ジェズは再び言葉に詰まり俯く。


「さて、あなたはその脳筋仲間の名誉のため、わざわざお越しいただいたカイファン・トイ叔父様をすっぽかし、本来守られるべき孤児たちに暴力をふるい、何故かここに服も着ずに座ってると。」

暴君ジェズが母親の小言にへこむ姿を見て、後悔させてやるつもりだったトイ卿も少々かわいそうに思えてきた。


「ムーン様、『孤児たちに暴力をふるった』というのは、いささか事実と異なります。ジェズは抵抗もできぬ相手を好んでいたぶるような、恥知らずではありません。」

「トイ卿、お言葉はありがたいですが、あまり慰めにはなりませんね。『侮辱された』などという言い草も、はたしてどちらが後先であったかも疑わしいですし、今日はこの子たちが体格に物を言わせて負かしてしまったのでしょう?」


「奥さま、それが今日はちょっと違うのです。」

家宰の言葉にあらとティエル妃は振り返る。


「若たちは、ゴズ・リー学舎の秀才たちが仕掛けた罠に、大いに悩まされておりました。いいように転ばされ堆肥をかけられ、ほとんどの子供が戦う前に地面に這いつくばっておりました。若だけが化け物じみた体力と執念で、一矢報いただけでございます。」

ジェズがギロリとウーズを睨みつけ、ブルブルと怒りに震える。だがジェズの体術の師匠でもあるウーズは平気なものだ。


「それで・・半裸の有様というわけ。」

「左様で。」

ティエル妃は大きくため息をついた。


「トイ卿、この子には本当に手を焼いております。一人息子を甘やかした私に責任があるのはもちろんですが・・・」

トイ卿は大げさに頷いて、ジェズに突き刺さるように言い放つ。

「なるほど、確かにこのように親の恩も知らず、かえって恥ばかりをかかせるような子に、一人前の士大夫となる将来は期待できませぬ。」


ジェズは今や歯ぎしりしてトイ卿を睨みつけている。横に立つ従者は、すぐに取り押さえれるようジェズの肩に手をやって牽制する。

甥はその手を振り払い、忌々しそうにこちらを見やると尻を地につけ座り込んだ。

もうどうとでもしろと言いたげだ。


「このような反省もせぬ態度で・・・このたびの事もいかに処分すべきなのでしょう。」

ティエル妃は額に手をやり、またため息をつく。その姿は絵のように美しい。


トイ卿は考えている。

ジャン家の男として生まれながら、身分の低さのために日にあたる場所へは出れず、なのに後継者争いや下らぬ貴族のしがらみには巻き込まれる。

自分に重なるジェズの気持ちを、トイ卿は容易に想像することができた。

おまけに手段はともかく友を大事にし、母親を愛するこの子を何とかしてやりたい気持ちは強い。


ここが教育のしどころなのだ。

今を逃せば、この子はつまらぬ不良貴族になり下がりかねない。

 

「学舎へ通う義務も果たさず、怠けておる者にはそれ相応の未来しかございません。」

トイ卿はジェズを睨みつけつつ、ティエル妃へ進言する。

「ジェズは本日の罰として『大同学舎』で学ばせることといたします。」


「何を言いやがる!」

ジェズは怒り狂って飛び上がろうとする。

それを抑える2人の従者は、全力でなんとか彼の暴走を食い止めている。


ジェズが怒り狂うのも無理はない。『大同学舎』いわゆるゴズ・リー学舎は名門といっても下士・町人の学ぶ学舎であり、ジャン家の子弟は城南の『伏竜学舎』で学ぶのが常であったからだ。

ここでもまた身分差をつけられる。そんな思いがジェズを憤らせている。

おまけに大同学舎(そこ)は今日のケンカ相手が通う、完全アウェーの環境だ。


「黙れジェズ!これを全うできなければ、生涯ジャン家の保護を受けれると思うな!」

トイ卿は言い放つ。

国政を司る廟堂の三卿、その一人であり宰相ジョン・ガンに次ぐ地位の彼の声は、人があらがえぬ力を持つ。


思いがけぬきつい処分に、ジェズは怒りを忘れ呆然となった。

ジャン家の保護を受けれぬとは勘当にほかならず、身分財産を失うことを意味する。


「ジェズ、あなたは今日またしても公爵家の家名に泥を塗り、お骨折りいただいている叔父様に無礼を働く罪を犯しました。」

ややあってティエル妃が息子に言葉をかける。

「しかしながら寛大なトイ卿は、あなたに罰と称しながら就学の機会を与えてくださったのです。あなたはゴズ・リー学舎で学び、学術を修めなければなりません。学舎に終業を認められるまであなたの罪は消えず、万一途中で学業を放棄するならば、ジャン家の一員から外されると覚悟なさい。」


強く厳しく、親の愛がにじむ言葉であった。

これに逆らうようであればこの子に将来はあるまい、とトイ卿は思う。


「うう・・くそおおいやだ!いやだ!いやだあああ!!」

 

泣き叫び従者に取り押さえられるジェズ。

それを見てさらに頭を抱える大人3人だった。

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