仙人と道士
ゴズ・リーは学舎内の書庫室に1人腰掛け、書を読んでいた。
新年の学舎は、人の影もまばらでしんと静まり返っている。
昼頃まで学舎に預かっていたシン公国の従者達も、すっかり片付けを済ませて出て行った。
報せを受けて、まだ正月5日というのに何事かと来てみれば、彼らは口ぐちに礼を言いながら、ジェズに恩義を返すため、リュー公国を出ると言う。
ジェズが国を出るとなれば、後継者争いの末の亡命であろう。
いつのまにかそんな事態になっていたのか、ゴズは自身の不明さを嘆いた。
世間的には公子ウグイの立太子が遅いのは、ジャン公が公子シャオを後継者と考えているから、と噂されていた。また、その事が公にされていないのは、ジャン公が第1妃のルー妃と実家のルー侯国に配慮しているせいだとも。
それによって後継者争いが起きていたかといえば、そんな噂はついぞ聞かなかったし、高慢だが内向的な公子ウグイには、大それたことなどできぬというのが大方の見方だった。
ましてやジャン家大番頭のカイファン・トイ卿が、不審な動きに目を光らせている。
「まず私の眼が節穴だったという事だが。」
それにしても、あまりにも事が急激に動いたように思える。
これが仕組まれたものであったとしたら・・・
誰が何のために?
考えられるのは、隣国がリュー公国の混乱を意図した工作だろう。
公子シャオが後継となれば、現在リュー公国に影響力を持つルー侯国が黙っていない可能性はある。
「しかし今、ルー侯国が影響力を行使していると言えるだろうか?」
これは否定されていい。
では現状何も利益を得ていない、他国の国主の後ろ盾などに執着する者はおるまい。
「この感覚は・・・来たようだな。」
彼の結界に巨大な力が感知された。
もう1つの可能性、ダロンから聞かされていた人外の存在が。
書庫室の扉をやっと潜って、巨大な姿が目に入る。
燃えるような赤い髪の巨人。
仙界の最強武仙の1人、アルラン真人であった。
「初めてお目にかかる。当学舎の学長、ゴズ・リーだ。」
「アルラン・ヤンだ。」
巨人は囁くように名乗った。
書庫室の中を見回し、感心したようにため息をつく。
「中々の蔵書だ。王都の学者にも負けていない。」
「学問の都といえば、王都よりもリュー公国よ。」
ゴズはこともなげに言う。
椅子を進めるが、この巨人が腰掛けれるかは不確かだった。
アルランはちょっと椅子を見やって、素早く腰掛ける。
残像が目に残ったかという程の速さだったが、腰掛けた彼の姿はすっかり変化しており、小柄な若者といった風体だ。
「おお、世に名高いアルラン真人の擬態か。」
ゴズは興味深く観察する。
これといって特徴のない目鼻立に、薄い胸板と貧弱な腕。服の大きさまで変化しているのは、何かの魔具なのだろう。
「見事に化けるものだ。」
「この位は造作もない。リンズ城内でも何者も怪しまなかったのでな。」
声まで別人となってアルランは言った。
「なるほどリンズ城内に潜入していたか。となれば今回の騒動はおぬしの企みか。」
これはゴズにしてみれば最悪のシナリオだ。
「まあ企みと言われればそういう事だが、少々聞こえが悪い。狂った歯車を正しい動きに直すためと言っておこうか。」
小さい体躯で椅子の上に足を組む姿は、発言と対照的に微笑ましくすらある。
「私にそれを説明しに来てくれたのかね?」
「そういう訳でもない。知りたい事がいくつかあったのだ。だがそちらも知りたい事があると言うなら、教えてやるのも吝かではないぞ。」
ゴズは頷いて椅子に背を預ける。
「いくつか聞きたい事がある。それに答えていただければ、そちらの知りたい事を教えよう。」
アルランはチラリと窓を見る。
「よかろう。」
「おぬしのやった事は心当たりがつく。なぜそんな事をしたのか、そこから教えてくれるか。」
「ふむ、さすが大理仙 太白真君の一番弟子よ。我が動きをお見通しか。」
「何の、見通しておれば事前に阻止できたものを、おぬしの存在まで聞いていながら対応もできぬ愚物よ。」
ゴズの言葉には自嘲的な響きがある。
「私は昊天宮からの指令で、人間界に干渉する仙人の取り締まりに来た。」
アルランは語り始める。その話はダロンから聞いた情報と符合する。
「先ず手始めに王都で情報を集めた。するとリュー公国とチユ王国がキナ臭いという事だった。」
彼は遠くを見るような目をして、書庫の天井を見ている。
「リュー公国は巨大な力をつけ、間も無くジョー王国にとって変わろうとしている。これは陰陽五行説に符合しない動きだ。」
「なんだって?」
ゴズは突然出てきた陰陽五行説に、頭がついていかなかった。
「陰陽五行説は仙界で絶対的定説だ。その摂理と異なる動きがあれば、どこかの仙人が干渉していると疑わざるを得ない。そこで私は先ずリュー公国を調べることにした。」
ここで一息入れたアルランは、
「白湯でももらえないか?」
とゴズに所望する。
「あいにく今日は正月ゆえ人はいない。天仙が白湯など所望するのは面白いな。」
「なに、ちょっと地上暮らしが長くなりすぎてな。」
事もなげに言ってアルランは続ける。
「驚くべきことにリュー公国には仙人が干渉していなかった。おぬしの存在も疑ったが・・・・」
「そんな愚かな真似を誰がしようか。」
「ふむ、しかしリュー公国の隆盛は陰陽五行説に符合しない。従って修正しなくてはならなかった。」
「なんだと?!」
噛み合わぬ話のやりとりに、ゴズの言葉は少々荒くなってくる。
「当然のことだ。ジョー王国は火の徳を持ち、リュー公国は木の徳を持つ。火の次には水が来るべきであり、リュー公国が天下を治めることは摂理に反する。」
想像を超えた話の噛み合わなさに、ゴズは苛立ちを隠せない。
「高々出来て100年ばかりの学説に符合せぬからと、天仙が人間界に干渉して許されると思うのか!」
「陰陽五行説は至高だ。これに反すれば秩序が乱れる。」
アルランは意にも解さない。
「ただし私が手を下した事は少ないぞ?私がしたのは、王都の悪徳役人から勤王に凝り固まった公子に、沢山の使いを出させた事だ。奴を焚きつけその重たい尻を上げさせるためにな。」
うんうんと頷きながら彼は話し続ける。
「ああしかしジャン公を弑したのは私の使い魔だ。勿論あのぐうたら公子の同意あってのことだがな。後継の証がどうしても欲しいとぬかしたから、金印をくれてやったのも私だ。このくらいのことは干渉というまい?愚かな公子の願いをかなえてやったに過ぎぬ。」
ゴズは真正面からアルランを見据えて言う。
「おぬしの行動はよく分かった。それを話した以上、私を生かしておく気もなかろうな。」
「無論のことだ。だがおぬしはまだ約束を果たして居らぬ。そもそも質問は私から申し込んだものだ。」
「約束は違えぬ。最後に聞いてやろう。」
「おぬしあれ程に才ある子供たちを集め、一体何を企んでいた?国家転覆でも考えていたなら、私と手を組む余地があったのだが。」
フンと鼻から息を吐きながらアルランは言った。
「見当違いも甚だしい事よ。国家有用の人材を育て、人の世をよくする事が学舎の在り方であり、全ての学術の使命よ。武仙の頭では理解できまい。」
「話はここまでだな。」
アルランは立ち上がる。
するとその姿は元通り10尺の巨人となり、その身には仙精が漲っていた。
「我が結界の中で、その馬鹿力が通用すると思うなよ。」
ゴズはそう言うと、結界内の仙精を『逆流』の理に組み替える。
「ぬ・・・先程から何やら組んでいたのはこの理か・・・」
「ふっ、おぬしが柄にもなく白湯など所望するから、気がついているとは思ったがな。分かっておってもどうにも出来まい!」
「くっ、何を下らぬ。この程度の理で天仙の力を防げると思うな・・・・」
アルランは『火炎球』を両手に作り出すと、ゴズへ叩きつける。
しかしその攻撃も結界の『逆流』に飲み込まれ、ほんの数歩先のゴズまでに届かない。
「何だこの結界は・・・・くそっ!」
アルランは三尖刀を取り出し、ゴズへ斬りかかった。
『抓住!』
ゴズも更に結界を展開していく。
アルランの上に出来上がった結界の筒が、スッポリと巨体を包む空間を作る。
「キサマ・・・」
身動きとれぬアルランは、道士に向かって毒をづいた。
「無行相の道士ごときに・・・このアルラン真人が倒せると思うなよ!」
「ふっふ〜♪なんと言おうがおぬし、そのままおると逆流で体から全仙精が抜け落ちるぞ?」
「くっ・・・」
「今のうちに反省とお詫びが必要じゃないか〜?」
しかしニヤリと笑うアルラン。
「流石はゴズ・リー、理術の力を侮っておった。次は同じ下手は打たぬ。」
「何を負け惜しみを。次があると思って、うぉおおおおおお!!!?」
その時全てを突き破って、巨大な金色の魔狼が突入してきた。
その結界突破の能力は、自身の体を犠牲にしながらも、あらゆる結界を突き破る。
哮天犬は血だらけになりながらも、主人をその体に乗せて天井を結界ごと突き破り、屋根の上へ飛び上がる。
あまりの衝撃と速さに、
ゴズは床へ吹き飛ばされ為すすべもなかった。
「もうこの国に用はない。おぬしとの戦いも暫く預けておこう。」
言ったアルランは、大きな振動と共に哮天犬と気配を消した。
「ぐっは〜。すっかりやられてしまった・・・。あれは反則よな。」
起き上がったゴズは苦笑いする。
「あんな化け物相手では、今回の一件もやむを得ないか・・・・。それにしても・・・」
ゴズは天井の穴を見つめて呟く。
「仙界で何が起きている?」




