武道士と結界
「意外と進むのが速いようだな。今日中に追いつくと思っていたが。」
ジョンアル・ジーは草原の先を遥かにみて呟いた。
リュー公国の追っ手を振り払い、すぐに先発の公子シャオの本隊を追いかけ出した公子ジェズの別部隊だが、本隊の進み方が思ったより速いのか、日が暮れるまでには追い付きそうになかった。
「まあ心配することもないだろう。2000の兵が護衛しているんだ。」
ジェズは落ち着いた様子で言葉を返す。
「イヤイヤ主殿よ、可愛い女を一人にしておくなど、心穏やかではなかろう?」
「うるせえ。」
先程来、ジョンアルの部下たちが、入れ替わり立ち替わりひやかしに来るので、ジェズの反応も随分と塩っぽい。
「そういやジョンアル殿、俺はもう家主では無いのだから、いつまでも『あるじどの』では都合が悪い。ジェズと呼んでくれ。」
「そうか?ワシはこのままでいいと思うがな。親しみがあって良くないか?」
「歳も身分もあんたが上だ。このままでは気持ちが悪い。」
「そうかい。まあ気が向いたらな。主殿よ。」
ジェズはため息をついて馬を降りた。
夜の移動は避け、ジェズの別隊はここで野営することになった。
夕陽が西の丘に沈んでいく。
東の空は早くも闇の色と融けあい、星たちを浮かび上がらせている。
身を隠すなら森の中がいいのは知れたことだが、森の中では魔獣から身を守る事が難しくなる。少々目立つが見通しのいい場所で、火を消さぬのが一番安全と言える。
追っ手より大型の魔獣が遥かに厄介だ。
火の準備が着々と進むのを横目に、いっちょうメシでもとっ捕まえようぜというジェン・センに誘われ、ジェズは彼と2人で森に入る。
「あんたと一緒だと感覚が狂う。」
ジェズは首を振りながらジェン・センの後に続く。
「夜に人里離れた森に入るなんて、自殺行為だと教わったんだが。」
「逆に考えるんだ。つまり獲物は取り放題ってことさ。主殿よ。」
夜のことなので足跡や糞などで、魔獣の足跡をたどることもできない。
オマケに夜行性の魔獣といえば、ヤバイやつと相場が決まっている。
2人とも剣を構え、前後に気を配りながらゆっくりと進む。
「主殿、ここで1つ仙力の極意を授けよう。」
ジェン・センがおどけたように言う。
「体に取り込んだ仙精で、球体を作るようなイメージを描いてみろ。」
「球体?」
「結界という仙力の極意よ。そこに入ってくるものは、何処から来ようが感知できるのさ。」
ジェズは学舎の庭で、銀杏の葉を切っていた時のことを思い出した。
「ああ、なんか分かるぞそれ。」
「マジか・・・何処までもデタラメなヤツだな・・・。」
呆れるジェン・センを尻目に、ジェズは目を閉じて球体の縁をイメージする。
少し時間がかかったが、ジェン・センができたぞ!と短く叫んだのを聞きゆっくりと目を開けた。
自身が透明に輝く球体に包まれているのに気づいて、ジェズは驚愕する。
「何だこれ!光ってるぞ!」
「それが『結界』だ。本当にやりやがった・・・・。俺もう修行すんのやめよっかな・・・。」
ジェン・センはかなり複雑な気持ちだった。
教え子と言っていいジェズが、高難度の要求を苦もなくこなしていくのは、教えがいもある反面、自らの血の滲むような修行が馬鹿馬鹿しくも思える。
ー しかもこの色・・・・
「いやこれ実は以前に、偶然出来た事があったんだ。」
「もう聞きたくねえ。あんたと居ると、自分の才能の無さに切なくなってくる。」
ジェン・センもそう言いながら結界を張る。
面白いことにジェズとは少し色味が違うように見える。
「なんか俺とあんたで色が違わねえか?」
「それ気付いたか。あんたには『五行相』が出てる。間違いねえ。」
ジェズはハッと彼を見つめた。
「その様子だと、前にも言われた事があるんじゃねえか?」
「いや・・・まあ・・・。」
ジェン・センはウンウンと頷き、シゲシゲと銀色に輝くジェズの結界を眺める。
自分の光に比べ、ジェズのそれは金属の光のようにも見える。
「こんだけハッキリ出てりゃあそうだろうな。明らかな金行相だ。」
ジェン・センは気を取り直し、結界の講義を続けた。
「いいか?このまま結界の辺縁を意識しながら、範囲を拡大していくんだ。」
「な、何?ドユコト?」
「まあつまり球体をデカくするってこった。見てな。」
言葉を切ったジェン・センは、意識を集中させ薄く光る球体を、スルスルと大きくしていった。それはジェズの結界も飲み込み、木々の向こうへ広がっていく。
「スゲエ!よし、やってみるぞ。」
ジェズも再び目を閉じて、結界の辺縁に意識を集中させる。
その銀色の輝きは、ジェン・セン程ではないが、ゆっくりと拡大していった。
結界の中の物体が、意識の中に飛び込んでくる感覚。
その全ての動きが捕捉され、あまりの情報量の多さにジェズは混乱した。
「ジェン・セン殿!これはチョット訳がわからん!頭がゴチャゴチャになる!」
「ハッハッハッ!初めは誰でもそう感じるものよ。まあそこは流石に修行が必要だな。」
ジェン・センはジェズが戸惑っているのを見て、ようやく少し安心した。
何でも初見でこなされてはたまらない。
やがて彼の結界が、魔獣の姿を捉えた。
「主殿!左後方20歩(約28m)のところに、条紋鹿がいるぞ!」
条紋鹿は縞柄の巨大鹿である。
家族単位で動く事が多く、多くてもその数は4〜5頭程度だ。
馬より大きい巨体でツノは鋭く、鹿と呼んでいるが肉食である。
魔熊と並んで、森で遭いたくない魔獣NO.1だ。
「こっちを餌と認識してるな・・・3頭だ。」
ジェズはその方向を見るが、当然眼には入らない。
「2頭が左右から先に来る。遅れて真ん中から1頭だ。左のやつを頼んだ。」
「あ、ああ。見えたらな。」
「見えてからじゃあ奴らに喰われる。結界を出来るだけ大きく張って、視覚以外で捉えろ!」
「やってみる。」
ジェズは素直に結界を再度構築する。
そうして意識の混乱が起きない程度に、ソロソロと大きく広げていく。
ジェン・センとぶつからない程度の、3歩(約4m)の結界ができた。
目を閉じ、結界からの情報に意識を集中する。
不確定な要素がかなり減っていき、だいぶマシな状態になったようだ。
「来たぜ!」
ジェン・センから声がかかる。
しかしジェズの結界はまだ、魔獣の姿を捉えていない。
上段に構えたジェン・センの剣が光り始める。
ー 風斬か。
眼で一瞬横を捉えながら、感覚は結界に集中する。
この距離では捉えてすぐ動いても、条紋鹿の動きに付いていけるかギリギリのところだ。
ジェズはイェンの剣筋を思い出し、下段へ構えを取る。
ー 来た!
次の瞬間剣が走る。
木の間から飛び出してきた巨体は、下段から切上げた刃に首を失ったが、勢いはそのままにジェズに突っ込んでくる。
「ぐはあ!」
3mはある肉の塊は、血を吹き出しながらジェズを押し潰した。
他方ジェン・センは余裕の体捌きで1頭目を寸断すると、中央から突進してきた最大の獲物を、ジェズと同じ要領で下段からの切上げた。
ドザザと条紋鹿の巨体は草むらに滑り、転がったままのジェズにぶつかってようやく止まる。
「おし!ご苦労だった主殿!」
「ゔるぜえい・・・・」
満面笑顔のジェン・センと、全身血だらけのジェズ。
200名の夕食の足しにと、鹿を引きずり野営地へ戻っていった。
草原の夜に十数箇所もあるかという火が燃える中、各人が集めてきた食料で夕食が作られる。
条紋鹿の肉は大きめに切り取られ、ジョンアル達が持っていた塩で簡単に味がつけられている。
ポタポタと脂が落ちるところを、器で受け止め饅頭につけるだけでご馳走となる。
数百斤ある条紋鹿の肉は、300名の胃袋へあっという間に片付けられた。
湯を沸かして啜りながら、ジェン・センとジェズは今日の狩について話している。
焚き火の灯りが、それぞれの顔に陰影をつけて揺らめいている。
「結界ってのは、今日みたいな使い方の他にも、戦場を俯瞰するような使い方もできる。」
「なるほどね・・・相当慣れないと使いこなせないな。」
「安心したぜ、あんたにもできない事が少しはあった方がいい。」
ジェン・センは笑ってしゃべり続ける。
「もっと高度な使い手になると、相手の攻撃を防ぐ事もできるようになる。俺ごときじゃあ無理だがな。」
「あんたにもできないのか。それは反則だな・・・。」
この男ができない事を、到底自分が出来る気がしない。
「五行相について教えてくれて。」
ジェズは前から気になっていた、自分にあると言う能力について尋ねる。
「いや、俺も詳しくは知らねえよ。前に数回五行相持ちの結界を見た事があるくらいで、後は何色が何の力か知ってる程度さ。」
「その程度で構わない。金行相っていうのは、どんな力があるんだ?」
うーんと唸ってジェン・センは困った顔をする。
「何が出来るかって話だと、やっぱりそれほど役に立たねえなあ。まあ使えるようになりゃあ相当強えってのは間違いない。」
全く要領を得ない。
「けどアレだ、幸い今から行くのはソン公国だ。着いてからきっと説明できるやつに会える。」
ジェン・センは確信したようにそんな事を言う。
「ソン公国ってのは五行相に詳しい奴が多いのか?」
「いやそうじゃねえよ。知らねえのか?」
ジェン・センはニヤリとして言った。
「旧イン王国の最後の王、暴虐王ショウ・ズウこそ史上最強の金行相持ちだってことさ。」
焚き木がぱちりと爆ぜて、崩れた光が景色を変えた。




