悪童と軍師①
8/11大同学舎の所在地を修正しました。
― 自分はどうもジェズに肩入れしすぎているようだ
カイファン・トイ卿は、馬車の中で一人そんなことを考えている。
公弟カイファン・トイはリュー公国の国主、シャオバイ・ジャンの異母弟である。
彼には兄が4人いた。父が亡くなると長子が国主となり、リュー公国を長期にわたる暗黒時代に陥れた。暗愚な長子は親族入り乱れた勢力争いを引き起こし、国政は10年以上も停滞した。
死なずに済んだ兄たちは皆他国へ亡命し、年少であったカイファンは長子に屈した。すなわち国主継承権を放棄し、分家のトイ家を相続して臣下へ下ったのだ。
長子と亡命した兄たちがお互いを殺し合い、シャオバイが国主となって長かった家督争いはようやく終わった。
リュー公となったシャオバイは希代の名宰相ジョン・ガンと共に、ジョー王国連邦の中で『覇者』の称号を得るまでに国力を強めたのだ。
カイファン・トイはシャオバイへも家臣としての忠誠を誓い、無様に生き延びている。
そんな彼が今望むのは、リュー公国のお家芸ともいえる後継者争いを起こさぬことだけだ。
側室を含め6人の妻を持つリュー公シャオバイ・ジャンは、5公子7公女を持つ子だくさんでもある。
争いの種を生まぬよう、自身は妻帯せず子供もいないトイ卿は、彼らを子供のころからとても可愛がってきた。
長子ウグイ・ジャンはそろそろ太子となってもおかしくない年齢だが、宮殿内にその雰囲気は高まっていない。第3妃との間に生まれた第4公子のシャオ・ジャンが、リュー公シャオバイの寵愛を一身に受けているのも原因の一つだ。
後継者が不確かな状態は、宮殿内に不安定な状況を作る。
トイ卿は常々兄に進言しているのだが、正妻とその子ウグイへの遠慮からか、後継を第4公子のシャオに決めることにためらいがあるようだ。
シャオバイがリュー公となれたのも、正妻の実家であるルー侯国が支援をくれたからであり、シャオバイは覇者となった今でも侯国に遠慮している節がある。
トイ卿は後継者争いの火種を断つため、派閥の芽を摘み陰謀を断ち切ることを自身の責務としている。そんな彼を世人は『ジャン家の番人』として尊敬しているのだ。
そんな彼にとしては、一人の公子にのみこんなに時間を割くのは珍しい事だ。
かつての彼と境遇を同じくする、末っ子のジェズ・ジャンである。
「馬鹿な子ほど可愛いとはよく言うが。」
トイ卿はひとりごちて破顔する。
50歳にはまだ届かぬ働き盛り、ジャン家の特徴的な鷲鼻が全体の容貌を鋭く見せている。ジェズもまた『ジャン家の鼻』を受け継いだ男の一人だ。
第5公子ジェズ・ジャンは、首都リンズの宮殿には住んでいない。その母であるティエル妃の身分が低いためだ。
彼女はジョー王国連邦の西方にある部族の長の娘で、リュー公国へ訪れたのもティエル族が製鉄技術に優れていたため、技術者を招聘した時に帯同されたのがきっかけである。その美しさにひかれたリュー公シャオバイにたまたま見初められた。部族としてはまさに狙い通りであったのだが。
宮殿に居住しているのは第4公子のシャオ・ジャンまでであり、ジェズのみが宮殿外に屋敷を与えられ住んでいる。これがまず同情してしまう理由だ。
さらにこの第5公子、簡単に言えば『クソガキ』である。
彼らの邸宅は、宮殿からほど近い第二環状路の北側に位置しているが、界隈では「二環北のジェズ」と呼ばれ、そのいたずらに住民たちは手を焼いている。もう13歳になるのに学舎へ通おうともせず、元服前なので宮殿に出仕するでもなく、近所の悪ガキと共に毎日遊び歩いている。
今日は二環西の上士の子弟とケンカしたと思えば、明日には南へ遠征するといった日々である。
腹が減ったと人様の庭の池で釣りをして、観賞用の鯉を焼いて食ってしまうなど平気なものだ。
先日など近所の飼い犬にワライダケを食わせて、
― 愛想がないから笑わせようと思った
と大真面目に言い放ったジェズの顔を思い出し、トイ卿は笑いを堪えることができない。
こんな出来損ないを、廟堂の3卿である多忙な自分が構ってやる必要などない。ないのだが-
どうにも捨てておけない、何か人を引き付ける魅力をジェズは持っていた。おまけに体は人並み以上に大きく、ケンカの腕っぷしは武将としての資質満点である。
― この子に教育を施せば、必ず将来この国を支える礎となる。
今日こそ学舎へ叩き込む、彼はそう決めていた。
自分と同じように家督争いを放棄させ、何なら分家を継がせよう。これも後継者争いのない国づくりのためだ、彼はそんな風に自分を納得させている。
だが本当の理由は自分でもわかっている。馬鹿な子ほど可愛いのだと。
「さてお前たち、準備はいいか?」
馬車から顔を覗かせ、トイ卿は騎馬の従者に声をかける。
2人の従者は若干うんざりした表情で、はあなどと言っている。従者たちは『二環北のジェズ』を学舎に引っ立てる役目を仰せつかったが、およそ愉快な仕事ではないと承知している。
トイ卿は馬車を降りると、ティエル=ジャン家の門へゆっくり歩み寄った。(ティエル族から嫁いだジャン家の一家は、世人に『ティエル=ジャン家』と呼ばれている。)
邸宅は門番もつけぬ粗末なもので、従者たちはいち早く玄関まで走り寄り、トイ卿の来訪を告げている。
ほどなく扉が開き、ティエル=ジャン家の家宰が従者と共に小走りに駆け戻ってきた。
「トイ卿直々のお骨折り、誠に痛み入ります。」
中肉中背の引き締まった体と、一目で異国人とわかる浅黒い肌。トイ卿よりも少し若いと思われる彼は、なまりのない言葉で慇懃な礼を取った。
「やあウーズ。公子をお迎えに来たよ。」
公国の重臣と思えぬ気さくな挨拶に、家宰はますます困ったように頭を下げる。
「お忙しい卿にお越しいただきましたのに・・・・」
「公子は不在か。」
予想の範囲内である。
「事前にお知らせいただいてましたので、朝からお部屋に軟禁し、入口には見張りもつけておりましたが・・・」
「扉でも破ったか。」
「明り取りから屋根をつたったようで・・・」
盗賊顔負けである。
「行先に心当たりは?」
すると家宰はその顔をあげ、きらりと目を光らせた。
「今愚息に後を追わせておりますので、じきに捜しあたりましょう。若の足跡を辿るなど、象の足跡を辿るが如しにございます。」
家宰が予言したとおり、公子の行方は1刻と経たぬうちに明らかになった。
― 四環北へ進め!ガリ勉ダロンをわんわん泣かせ!
と歌いながら行進する悪童軍団の目撃情報が、そこら中で収集できたためである。
「その気の毒なダロン君とやらは何者だね?」
トイ卿の質問に恐縮したウーズは答える。
「トイ卿は『ゴズ・リー学舎』をご存じで?」
二人は馬車に揺られながら、四環路北側へと向けてゆるゆる進んでいる。自分は歩いて行くと遠慮する家宰を、時間の無駄だからとトイ卿が無理に同乗させたのだ。
リュー公国の首都リンズは主要な道が碁盤の目のように整備されており、リュー公シャオバイ・ジャンの居城を中心に、一環路・二環路と環状道路が広がっている。二環路までは大夫・上士の、三環路までは下士の屋敷が集中し、そこから外は町人の住居が広がる。
南側は比較的裕福なものが住み、北側は下町といった風情である。
ゴズ・リーは四環北に『大同学舎』という学舎を経営し、下士や町人の子供たちを教えている。そのレベルは極めて高く、国外からも多くの学生が学びに来るほどだ。
「大同学舎だろう?もちろん知っているとも。学長のゴズ・リーは東岳の仙人から学んだ、水準の高い道士と聞く。おまけに孤児を引き取り孤児院も経営しているそうな。きっと立派な男なのだろう。」
「ダロン殿はその孤児の一人、学長ゴズ・リーの後継者として養子になったほどの俊英です。」
家宰の言葉を聞いて、トイ卿の顔が曇る。
「まずいな。」
「まずうございますか。」
「いや実にまずい。士分の子弟ならばともかく、町人の、しかも孤児を相手にケンカなど、公子にあるまじき行為だ。弱い者いじめの最たるものではないか。」
身分にものを言わせて一方的に暴力をふるうなど、公爵家の番人として断じて認めることはできない。
「いやそこは問題ございませんでしょう。」
ウーズの涼しげな返事に、トイ卿は怪訝な顔をする。
「なぜ問題ないと?その子はクソガ・・いや、公子の上を行く問題児なのか?」
「それどころか、当節めずらしき心優しい子供。」
「いや、ダメじゃんそれ。イジメちゃいかん奴じゃん。」
頭を抱えるトイ卿に、心配ご無用と家宰は再度言い切る。
「ダロン殿はケンカにおいてもその名を轟かせておいでです。下町の腕白どもは『軍師ダロン』などと呼んで恐れておるほどです。若は恐らくそんな話も承知の上で、一戦交えたかったのでしょうな。」
家宰はもうニッコニコである。
「このケンカどうやら・・若が初めてあの鼻っ柱をおられるやもしれませんぞ?」
唖然とするトイ卿を尻目に、ウーズはどちらの味方のつもりかにやにや笑いが止まらなかった。




