公子と公女
亥の月(12月)に入って間もなくのある朝、ジェズは朝早く起きだすと木剣を片手に鍛錬場へ急いだ。
朝食までの間、剣の素振りをするためである。
年末の試験が近づき、昨日も夜遅くまでアモンから歴史の特訓を受けていた。
眠さの残る頭をすっきりさせようと、肌を刺す寒さの中、胴着一枚で体を動かす。
まだ暗い空の下、動き出しの体は思うように制御できない。それでも日が昇りだすころまでには寒さも退き、痺れていた頭も徐々に研ぎ澄まされていく。
武術において学習するのは大刀術と剣術、および体術である。
大刀は戦場において最もよく使われる武器で、長い木製の柄先に大型の刀が取り付けてある。
斬馬刀や三尖刀などのバリエーションも多い。
リーチは長いがバランスが悪いので、振り回すよりは打突による攻撃に重きを置く。
広い戦場では抜群の威力を発揮するが、障害物の多い市街戦ではその威力も半減する。
授業で教えられるのも型のみであり、立合いなどは行われない。一対一で技術を競うような武器ではないのだ。
ジェズはこの学舎にきて初めて習った剣術が気に入っている。
個人で技術を競いあう事も出来、立合いでは体術とも違う緊張感が味わえる。何と言っても入学時に手も足も出なかったダロンにも、今や互角以上の戦いができているのだ。
こうなってくると面白さが違う。
試験勉強の真っ最中ではあるが、朝が来るとじっとしておれず表に駆け出すのは、そんな成長の喜びのためである。
ジェズは練習場の脇にある大きな銀杏の幹を蹴飛ばして、色づき終わった葉を大量に降らす。
そうして無数に舞い落ちる黄金の葉を、呼吸を整え一気に剣で撃ち落とし始めた。
その間、絶えず立ち位置を変化させ、弧を描くように目まぐるしく動き、上下に重心を移動させながら上体のバランスは崩さない。
朝日の中で舞のようにくるくると動きながら、恐るべき速さで葉を切り結ぶジェズ。
あと数枚でというときに、風が舞い上がり数枚の葉が後ろへ吹き飛ばされる。
余裕をもって後ろへ振り向こうとしたジェズは、その瞬間にこれまでにない感覚を覚えた。
― 後ろへ散った葉の位置が分かる
振りかえりざまに目で位置も確認せず、感じた位置へ剣を振りぬくと、3枚の葉を瞬時に切りさった。
― 何だ今のは?
眼ではない何かで標的を捉えた感覚と、そのあとの限界を超えた速さの余韻を感じつつ、ジェズは残心を解く。
― 確かに今、剣が光ったような。
木でつくった剣が光るはずもない。我ながら可笑しくなって笑いがこぼれた。
宿舎の方から誰かがやってきたのを感じその方を見ると、見間違いようのない銀色の長髪が、朝日に輝きつつ近づいてきている。
ジェズの鼓動が速くなる。
「すごいのねジェズ・ジャン!まるで曲芸みたい!」
イェン・ズウは屈託ない様子で彼の技術を称賛した。
茶色よりも黄色に近い色を帯びた瞳は、銀杏の葉と張り合うように、朝日の中でまばゆく光り輝いている。
「この間の大風のとき素振りをしていたら、葉っぱがたくさん落ちてきたんだ。それが体さばきの訓練にちょうど良かった。」
この少年が珍しく照れていた、
「とっても素早く動いていて本当に感心した。これまでに剣術をやったことは?」
「いや、ここにきて初めて手にしたんだ。だから2か月くらい訓練したかな。」
イェンはあきれたように微笑んだ。
「今の動きを見れば、武術主任師範のゾウ老師でもかなわないかも。武術の才能は本当にすごいのね、歴史はダメだけど。」
最後にサゲるのは忘れない。
「歴史だって特訓中だ!必ず落第せずに残って見せる。」
ニカッと笑ってジェズは宣言する。
真っ直ぐな言葉を受けて、イェンは何となく赤くなって俯く。
「そうね、あなたなら武術の点数が高いから、多少は文術で点が取れなくても進級できると思う。」
「そうか?そうだよなあ!よし、楽勝だな!」
美少女からの励ましも受けて、勝ったも同然とジェズは調子に乗った。
「あ、でも、ちゃんと勉強しなさいよね!たとえ公子だろうが、最低点取れなければ容赦なく落とすからねこの学舎。」
「分かってる分かってる。」
どうにも分かっていなさそうな新入生を、イェンは少し心配そうに見つめた。
入学当初はあまりに気安く声をかけてくる、ずうずうしい後輩程度と思っていた。
その後武術の授業であの恐ろしいタン老師を瞬殺し、始めたばかりの剣術でもあのダロンを凌ぐほどであるという。
おまけにダロンの話では、身体強化術を使っていると!!
少しずつジェズが気になりだしたイェンは、接触する機会を増やしていた。先日談話室に行ったのも、今日早起きしてここに来たのもたまたまではない。
このところ彼が朝早くから木剣を持って外に出ているという事を、同じ学生代表を務める男子の友人から聞き出したのだ。
そうして今日、驚くべきものを目にした。
落下してくる銀杏の葉を、常人でない体さばきで切り落としていくあの動き。
そして最後に見せた電光のような斬撃。
まるで彼女の国の伝説に出てくる、雷撃王のような動きであった。
誰もその高みには上りえない伝説の剣士ではあるが、ジェズほどの才能があればもしやたどり着けるのではないか。
そうなれば彼は彼女の国にとっても、重要な人物になりえるのでは・・・そして・・・
「なあイェン、もしよかったらなんだけど。」
「え、なななに?」
思考の中に飛び込んできたジェズの声に、イェンは我に返って思わず小さく叫んだ。
「いや、もしよかったらだけど、試験が終わったら俺の仲間たちと一緒に狩りに行かないか?きっと楽しいぞ。」
「狩り?狩りって妖獣の?」
基礎級の学生同士が妖獣狩りをするのは、学舎の許可が必須である。
「ジェズは妖獣狩りをしたことがあるの?」
「もちろん!ウチじゃあ武具の試し切りもかねて、妖獣狩りは大事な仕事なんだ。」
元服前の女子であるイェンは当然妖獣狩りをしたことはない。
「学舎の許可をもらう際に、大人の同伴を求められると思うけど?」
「それなら任せておけよ!ウチの家宰が一人いれば、妖獣の大群が来ても問題ないぜ!」
その家宰というのが、うわさに聞くジェズの体術の師匠であるのだろう。ジェズを足腰立たぬほど叩きのめすほどの強者であるという。
イェンは実家では公女という立場もあり、妖獣狩りなどに行かせてもらえない。
これはめったにない機会であり、大いに興味をそそられた。
おまけにジェズと・・・
「うん、行く!ありがとう誘ってくれて。」
素直なイェンの礼を受けて、ジェズは照れた。
「すげえ、イェンが来てくれるなら本当に試験がんばんないと。落第したら行けないもんな。」
「ええー、そこまで落第しそうなの?勉強見てあげようか?」
2人は笑いながら、朝食の準備が整いつつある宿舎へと歩き出した。
イェンは普段と違う自分の様子に、自分の事ながら驚いていた。
こんなに誰かと親密に話をすることは、国を離れてから初めてだ。
何故かジェズには親しみを感じる。
さっきその理由が分かりかけていたように思うのだが・・
だがイェンは今日の嬉しさのあまり、そのことはどうでもよくなった。
「アモオオオン!俺はやるぞおお!!!」
― 何があった兄弟・・・
その日を境に、無駄に気合の入るジェズを持てあますアモンだった。




