歴史と現実
戌の月(11月)も末日が迫り、学生たちもすっかり冬の装いである。
とはいっても庶民的な学舎のこと、裕福な家の子弟のような毛皮を着るものは少なく、もっぱら胴着の下に下着を重ねて暖を取る者が多い。
息を吐けば白く見えるほどの気温となった。
大同学舎の宿舎棟は、入口を入ると大宿舎と小宿舎に南北で分かれている。北側の小宿舎は女子学生用で、ここには学舎内で唯一、門番が常駐している。
南側は大宿舎、男子学生用である。
そして入口のすぐわきには談話室が用意されており、そこは男女共有のスペースでもある。
この季節は暖炉に火が入れられるため、朝からここに入り浸っている者も多い。
今日は月に5日ある休みの日とあって、談話室は朝から大変なにぎわいだった。
間もなくに迫った年末の文術試験に向けて、皆で学習会をしようという者たちだ。
学舎所蔵の木簡書を読む者も中にいるが、予約ですぐに一杯になる上、膨大な量すぎて試験前の学習には向いていない。
ノートなどない時代、各々が覚えた授業内容を持ちよって、各々の理解を補強しあう事が最も有効な試験勉強方法だ。
「さて今日は、残念な諸君に俺が試験対策をしてやろう。」
アモンが上から目線で場を仕切る。
「それって僕もはいるのー?」
心外だとダロンは苦情を言う。
「前回の試験結果から言えば、俺の能力が突出していたのは明らかだろ?」
「むうー、だからって残念組に入れられるのはなー。」
文術の試験は、生徒個別に口頭で出題される形式で行われる。
今月の小試験で全問正解のうえに、現在の社会問題への考察を語ったガンゾは、ダロンを抜き去って1年甲級の暫定主席となった。
最近では『小博』などという二ツ名まで拝命し、その才能を全学舎に知らしめている。
亥の月(12月)に入ればすぐに年末の試験となる。
この試験で合格できなかったものは、下期に学舎へ残ることができない。
アモンが来るまで主席だったダロンは問題ないとして、後の3名、特にリイファとジェズは残念組だ。
「残念組って言うな。」
憮然としてジェズがつぶやく。
「いやだから残念に終わらないよう、がんばって合格しようってことよ。」
「ジェズと一緒か・・・」
リイファは結構嬉しそうにしている。
「さて・・今回は知ってのとおりジョー王国史の『建国記』から出題される。要点を復習していくから、皆俺の質問に答えるように!」
コロコロに着ぶくれした縫いぐるみのようなアモンがそういうと、仲間たちはおーとやる気なく答えた。
アモンはジェズを落第させないため、必死の思いでサポートしている。
ここまで学習に集中できるのも、親友の弱点を補うためと思って頑張ってきたからだ。
「まずは基礎知識からな。」
アモンはそう言うと、ジェズに向かって質問する。
「ジョー王国連邦内の主要国の数と名称を、そのうち王と同姓の国を答えて。」
「うう・・それ歴史じゃねえじゃん。」
「これは基礎として理解しておかないと、今の世と建国時の繋がりが理解できないぞ。まず知ってる範囲で言ってみな。」
ジョー王国連邦は封建国家であり、建国時に功績のあった王族と忠臣が治めるいくつかの貴族領国家から成り立っている。
アモンの言うとおり、現在の国内状況と歴史の双方を理解しておかなければ学習する意味もない。
「くそう・・言うぞ。建国の開祖チャン・ジーと同じ姓を持つ国は5つ。西からジン公国、ウェイ侯国、ツァオ伯国、ルー侯国・・・あとどこだ?」
「ジェズ、私の故郷もそうだ。」
リイファが助け舟を出す。
「ああそうだ!ヂェン伯国も入れて5つ!どうだ!」
威張るほどもない常識である。
「うん続けて。」
「後の異姓主要国は・・・西からチーン公国、ソン公国、そして俺らのリュー公国だ!」
ジェズとしたら言えただけ随分進歩したと言えるだろう。
「そう、今の8国にジョー王国本体を加えた9か国が、現在の連邦主要国と言っていいね。では問題!」
「おい、今のは問題じゃねえのか?」
「基礎知識だといったろ?さて問題。貴族の最高位である公爵が、何で異姓国にばかり与えられているか?」
「いきなりムズくねえか?」
ジェズは問題が追加されて不満そうだ。
「仕方ないな・・じゃあガンゾ分かる?」
「それは多分・・・建国時の功績と亡国への配慮でしょ。」
ガンゾは坊主頭が寒いのか、毛皮の暖かそうな帽子を被っている。
「チーン公国は西の果ての未開国だったけど戦力が巨大で、イン王国との対戦に絶対必要な味方だった。我らがリュー公国は、開祖リューシャンが天才的軍事指揮の功績で賜った地位っしょ。ソン公国は滅びたイン王国の末裔に与えられたってことだよね。」
安定して平均点をキープする『普通の人』ガンゾの平均ぶりは揺るがない。
「いい回答だね!功績と配慮!その通り。」
アモンは賛辞を惜しまず、ガンゾはちょっと照れた。
「じゃあ旧王国のインについて。まず国政上の問題点を挙げて。リイファ?」
「それは・・・まずはイン王国の宗教国家的な側面だ。」
リイファも筋金入りの武闘派であり文術への自信はないが、ジェズとアモンに刺激されて最近の努力には目を見張るものがある。
「妖魔仙と呼ばれる異能力の者たちとの結びつきを強め、鬼神崇拝のために多くの人々を生贄とし、国内に不満が渦巻くようになった。こうして天命が離れていった。」
リイファは大きな瞳をくりくり動かし、必死に思い出しながら答える。
「もう一つは後期の王、特に暴虐王ショウ・ズウによる悪政によって国土が荒廃し、人心が王国から離れていった。宗教行事に飲酒をかかさぬ王たちが、朝から飲酒し国政をおざなりにしたという。」
「いいと思う。付け加えるならもう一つ。」
アモンが補足する。
「それは後年のイン王国に、妖獣が大量発生したことにある。原因はよくわかっていないが、王政の退廃に地神が怒りを表したものと言われる。こうして天・地・人すべての支えを失って、イン王国は滅びた。」
アモンの話にダロンが感想を言う。
「今も妖獣は大量発生していると言っていい状況だよね?これってやっぱり王国の国政が問題なのかな?」
「その辺は試験とは関係ないし、回答するときは触れないようにね。」
アモンが皆に注意を促す。
「まあダロンの話に一理あるけどね。」
「なあ試験終わったら、俺らで妖獣狩りに行かねえ?」
ジェズは脱線して、そろそろ肉が腹いっぱい食いたいしなあと皆をそそのかす。
草木の葉が枯れ落ちた今は、絶好の狩りシーズンだ。
「学舎の許可が必要だけどね・・・大人も同行してくれれば大丈夫と思う。」
ダロンも乗り気である。
「まずは試験を突破してからだな。」
輝いていたジェズの目が曇る。
「そんじゃあジェズ、建国記で描かれる『建国大戦』の経緯を簡単に説明して。」
「また俺か?うう・・いくぞ?開祖チャン・ジーは国王を凌ぐ人望があり、その人気をイン王ショウ・ズウに妬まれていた。そして謀略により、国家反逆の罪に問われてイン王国内に幽閉された。」
一息入れてさらに続ける。
「我らがリューシャンがチャン・ジーを救うため、イン王ショウ・ズウや佞臣たちに贈り物を届け、各国の国主にチャン・ジーの潔白を証言してもらうため奔走した。そうしてついに釈放を勝ち取った。」
その大功があって、リューシャンはジョー王国連邦(当時は公国)の中でも不動の地位を確立する。
「釈放の訴えを起こした国々は、そのままジョー王国の味方となり、反イン王国集団となった。そうしてイン王国年860年・・・」
「867年だ。」
「・・・867年に『ムーイェの戦い』が最終決戦となって、ジョー王国が勝利した。」
「おーし。『ムーイェの戦い』ではイン国側戦力が70万人、ジョー国側が40万人だった。数的に不利だったジョー国側が勝利できた要因は?」
「おめえふざけんなよ!さっきから俺ばっか答えてんじゃねえか!!」
ジェズはとうとうキレる。しかしアモンは平気な顔である。
「お前が一番切羽詰ってるからだろが。」
慣れない者なら迫力にビビるだろうが、むしろホレ早く答えろとからかうように催促する。
「ちくしょお・・ダロンさんオナシャス。」
早々にギブするジェズに苦笑いのダロンは、アモンに目配せしながらわかりやすく説明を試みる。
「この部分の記述は今では想像もつかないけど、神話的要素を多く含んでいて創作的要素が強い記述だと言われてるよね。」
前置きをしつつダロンは続ける。
「この戦いは人間界のみならず、仙界もかかわる史上初の大戦だったと記載されている。当時仙界で異端とされていた妖魔仙たちがイン国側に、天仙たちがジョー国側となって戦闘を繰り広げたと。」
この辺りは詳しい記述が残されておらず、妖魔仙とはなんだったのか、天仙たちがいかに戦ったのかなど詳細は伝わっていない。
「その戦いは山を更地に変え、海を干上がらせるほどの激しさだった。」
そして妖魔仙と呼ばれた者たちは、今の世に生き残っていない。
「質問の兵力差についてだけど、イン王国の戦力はその多くが巫術者で、純粋な戦闘力は半分程度だったと言われている。巫術者たちは妖魔仙たちに力を与えることが、主な任務だったんだね。開祖リューシャンはその道士としての力を以て、彼らの巫術を打ち破ったんだ。そうして力を失った妖魔仙たちを天仙が滅ぼし、地上戦はジョー国側の勝利に終わった。」
「もともと地上戦力は、ジョー国側が有利だったって事っしょ?」
ガンゾが質問に割って入る。
「そういう事だよねー。しかし不思議な話でしょ?天仙が手こずるほどの妖魔仙の力を、リューシャンの能力で弱体化したっていうんだもんね。」
「リューシャンは天仙を超えるほどの仙力の使い手だったっていうじゃない?ジェズも子孫として誇らしいっしょ?」
ガンゾは歴史の一部としてのジャン家に興味津々という感じで、ジェズをペシペシと叩いている。
「ジェズ、私も頑張って学習する。一緒に合格しよう、」
リイファは励ますように言った。
以前であれば家族の事をこれほど話題にされるのは、確実にジェズの気に障ったものだ。
アモンは友人のこんな変化もうれしく思っている。
そして談話室に突然銀髪の美少女が入ってくると、その場の空気が変わったように見えた。
イェン・ズウは胴着の上に、妖魔孤の者らしき金色の毛皮をまとっている。
彼女の瞳が談話室をさまよっていたが、ジェズの姿を捉えてフッと微笑んだようだった。
「問題児が談話室で試験勉強?とてもいいことだけど、周囲の邪魔にならないようにね。」
珍しく彼女が話しかけてきたので、ジェズは有頂天になる。
「俺たちスゲエ真面目に学習してんだぜ!誰にも迷惑なんてかけてねえよ!!」
「そう?他の人はともかく、あなたの声は大きくて迷惑っぽいけど?」
言われてジェズは、そんな筈ないとあたりを見渡す。
興味本位にこちらを見ていたいくつかの集団も、彼と目が合わないように慌てて目をそらした。
「見ろ!誰も気にしてねえぞ。」
「うーん・・・それくらい鈍くないと、この国じゃあ公子は務まらないか。」
彼女は諦めたように笑った。
はたから見れば散々なイジられようだが、彼女と話せた嬉しさにジェズは益々舞い上がる。
「イェン・ズウもこっち来いよ。一緒に勉強しよう。」
「私は2年級だから、貴方たちとは試験範囲が違うの。私も勉強相手を探してたとこ。」
「そうだジェズ・・それこそ2年級の学習の邪魔はいけない。」
リイファが少しイラついたように注意してきてジェズは怯む。
「お、おうそうか。そんなら仕方ないな。」
「ええ、あの、でも少しくらい手伝ってあげてもいいの。だって私去年の主席だったわけだし。」
イェンは意外にも、その場を去りがたいように見えた。
友人思いのアモンはすぐに助け舟を出す。
「そうだよ去年の主席に教わればさあ・・・」
しかしその言葉は、鋭く飛ばされたリイファの殺気によって挫かれる。
ちょっと間が空き宙ぶらりんになったイェンの参加問題を、ダロンが引き取ってこう言った。
「イェン・ズウ、今回1年級の試験範囲は『建国史』なんだ・・・だからその・・・」
言い辛そうなダロンの言葉に、イェンははっと反応する。
「そう・・うん、ありがとうダロン。じゃあまた次回にでも一緒にね。」
あっけなく立ち去るイェン。
しばし呆然とする一同。
ややあって、
「なんだ今の?彼女建国史が苦手なの?」
何が起きたのか測りかねて問い詰めるアモン。
「あの女目障りだ・・・着飾って美人でおまけに気取らない当たりがさらに腹立つ。」
黒く毒づくリイファ。
「いやねー、別に秘密でもなんでもないんだけど。」
と言いながら、ちょっと内緒話の好きなオバちゃんのようなダロン。
「彼女の故郷はソン王国でしょ。しかも実家は公爵家で、彼女は現国主ジープ・ズウの次女なんだよね。」
は?と全員ピンとのずれた顔をする。
「つまりさ、彼女はソン公国の第2公女で、旧イン王国の末裔ってこと。」
そこでアモンがあーと声を上げる。
「そうだよなんで気が付かないんだよ!ズウなんて結構珍しい名前じゃん!」
「ああ!つまり・・えええええええ!!!!!暴虐王ショウ・ズウの子孫?」
滅多に取り乱さないリイファも意表を突かれている。
「ちょっとお!みんな!声大きいよ!」
鋭く小声で注意するダロンは、まだオバちゃんモードな顔をしている。
「つまり『建国史』は彼女の実家にとって『亡国史』なわけだよねー。だからあんまり語り合いたい話でもないでしょー。」
全員ウンウン頷く中、一人だけ分かってない男はニヤニヤ浮かれたままだ。
「公子と公女が庶民の学舎で出会う・・・なあなあこれって運命的?出会いってやつ?みんなどう思うよ?」
そのあとジェズは戦闘状態のリイファと、午後全ての時間を剣の立合いで過ごすことになったのだった。




