ツバメと豆
ジェズがタン老師をKOしてしまった事態は、師範側にも指導の行き過ぎがあったこともあり、またジェズの立場が立場だけにうやむやとなった。
本来だったら学舎側に何かお咎めがあるような事態だし、ジェズの方もジャン家がらみで無事にすまなかったかもしれない。
何事もなかったことにしたい双方の間で妥協が成立し、タン老師が負傷治療のためお休みとなることで一件落着となった。
学校内中では一年級最強の座をあっさりと勝ち取った。師範を手玉に取るような化け物ぶりを見せられては誰にも異論はない、アタリマエの話だ。
2年級の者でも勝ち目はなかろうが、誰も挑戦しようなどと思わないので『学舎最強』とまでは言えない。本人もそこに興味はなさそうだ。
ともかく嫌われ者のタン老師を病院送りにしたことで、クラスに溶け込むのが早まるという2次的効果もあった。
ジェズとアモンは一件以来ダロン・リイファ・ガンゾの特別な仲間になったわけだが、結果としてこの5人が注目を集めることになる。
リイファなどは普段から仲間以外と口をきくことが少ないので(仲間ともそれほど多くはないが)、ジェズの個の一件以来今までより多くの学生と口をきくようになった。
「まあ面倒といえば面倒だが・・・別に煩わしいというほどではない。」
会話が増えたことに関して、リイファが語ったのはこの程度だった。
衝撃的な入学後、ひと月が経って、ジェズとアモンは文術・武術に一定の成果を上げていた。
少なくともジェズは師範たちが何をしゃべっているのか、アモンの助けなしに理解できるようにはなっていた。
アモンに至っては、その知識欲を満たすための行動力はすさまじく、毎日のように蔵書の閲覧予約を入れ、一人日が落ちるまで読みふけっている。
このペースで行けば、恐らく在学中に蔵書を読み終わる初めての生徒になるだろうという。
ジェズの剣術も進境著しい。
体術は当然無敵の状態であり、剣術においてはダロン以外に立合いをできる者はいない。
すでにダロンからも2本に1本は取る、互角の腕前になっている。
「なんかやる気なくすよなー。才能ってすごいねー。」
「ダロンが言ってもおまゆうっしょ。」
ダロンとガンゾは最近そんなことばかり言っている。
リイファも2人の存在から大きく刺激を受けていた。
学業に関してはジェズの事をとやかく言えないほど、昔から武術一本だった彼女は基礎知識に欠けている。ジェズがこのひと月で大きく進歩したことと、アモンの驚くべき知識欲には、文術と取り組む姿勢を考えさせられた。
5人に共通しているのは、この生活変化を気に入っており毎日楽しくなったということだ。
彼等はほぼ毎日食事を共にし、互いの興味ある話題や学舎の出来事について話し合った。
ジェズとアモンの話題は専ら可愛い女の子についてであり、その話題に出てきた女子をリイファが片っ端から本性暴くように批評していく。
これをダロンとガンゾで笑いながら見ているというのが、5人の暇つぶしの定番だった。
そうでなければ武術の型について、皆で語り合うことも多い。
リイファはこんな時間もお気に入りだった。
― 女同士だとこういう話にならないから、
この仲間でいることは彼女にとっても心地いい。
彼女は武術に、特に剣術において際立ったものを持っていた。
女子であるがゆえに大きな力の出力はないが、そのスピードにおいて力の不利局面を打開するほどの能力を持っている。
彼女は黒く長い髪と大きな瞳、小柄な体とその速さから『飛燕』と呼ばれていた。
この剣術というマイナーな武術を極めるため、リイファは多くの困難を乗り越えこの大同学舎までやってきたのだ。
最強の剣士となるまで、故郷に帰るつもりはなかった。
武術の授業時間、剣術の立合い時に彼女は男子を相手にすることが多い。
女子では彼女に対抗できる者はおらず、練習にはならないためである。
かといってむざむざ女子に負かされようという者も少なく、結果として彼女はガンゾとアモンに立合いを頼むことが多かった。
― 私も皆に負けてはおられぬ
仲間たちの学習意欲が、そのまま彼女への刺激になる。
「リイファさん・・・ちっと今日は気合入りすぎでないですか・・・」
アモンは既に20回ほど死んでいる気がする。
リイファはいつも通り、集中しているのか地の無口が出ているだけか、無駄口を叩くことはない。
「ガンゾてめえ、ちょっと代わってください・・・」
「いやいや、アモン少なくともあと30回は死んでよね。僕昨日はもっとやられたっしょ?」
「面倒だから2人まとめて来い。」
ラスボスのようなリイファの言葉に、2人は絶望の淵に落とし込まれる。
「リイファ、今日は俺と立ち会わねえか?」
見かねたジェズが彼女に声をかける。
リイファは驚いたようにジェズを見つめていたが、やがて笑顔で頷いた。
アモンは安心のあまり倒れこんで動かない。
体格差も大きいので、お互いなんとなく立合いを避けていた。
初めてジェズと立ち会ってみて、リイファはやはり勝てる気がしない。
正面から打ち合えば力負けして守りは疎かになり、大きな隙を作ることになるだろう。
かといって遠い間合いから速さを生かして飛び込むにも、ジェズにも大変なスピードがある。
彼にじっくり見られてしまうと、どんなフェイントも通じそうにない。
さらにこの威圧感、これが身体強化をできる人間の違いなのだろうか。
この圧力にさらされながら、リイファは今自分に出来ることをすべて試してみた。
ジェズはさすがに全力で打撃をせず、寸止めに近い打撃を防具に入れてくる。
それでも弾き飛ばされるほどの衝撃が伝わる。
「そこまで!」
武術師範のシン老師が叫び、午後の授業も終わりとなった。
思わず地面に座り込むリイファ、ジェズは大きく息を吐いて水筒から水を飲む。
「お前すごい集中力だな。」
ニカっと笑う獰猛な笑顔、汗まみれな顔は手加減抜きで相手をした証拠だ。
「ジャズありがとう・・・本気で打ち合ってくれて。」
無表情ではあるがいつもの彼女を知っていれば、これが最大級の感謝であることが知れる。
「おお手加減なんかしてたらこっちがアブねえ。『飛燕』のリイファには速さじゃあかなわねえからな。」
「その名はあまり好きではない・・・」
「そっか・・・?」
言われてみれば、仲間内ではその名は使われていない。使わないからジェズもここまで意識したことがなかった。
リイファはそれ以上名について語らない。
ジェズは立ち上がって、水筒をリイファに手渡す。
彼女は受け取って一口水を飲んだ。
深まった秋空には、もうツバメの姿は見当たらない。
防具を外したジェズ達は、井戸の周りで体を拭いていた。間もなく冬になろうという季節だが、武術の鍛錬で汗を流した体には、冷たい井戸の水が心地いい。
さすがにこの時には、女子であるリイファは一緒にいない。
ジェズは先ほどのやり取りを皆に話して聞かせた。
「そうそう、甲級の仲間にそう呼ばれると、なんか怒ったみたいに黙るっしょ。まあ普段から黙ってるけどムッとしてる感じがするっていうか・・・」
ガンゾがそう言って、坊主頭から水をかぶる。
ダロンは黙って聞いていたが、やがて口を開いた。
「これはねー、言ってもいいかどうか・・彼女ヂェン伯国の上士の家柄なんだよね。」
3人はへ?という感じで薄く反応した。
「僕も詳しく知らないけれど、あの国ってリーダーや跡取りや・・何か人を選ぶときに、一対一の『決闘』で決めることが多いってゆーね。もちろんジョー王国連邦で禁止されているけど、昔からの伝統としてヂェン伯国内では執り行われているそうなんだ。」
「ってことはどーゆーこと?」
まだピンとこないジェズが言う。
「うん、たとえばここに入学するとき、大勢の中から選ばれてたりとか、そんな経緯があるとしたら・・」
「人を殺してるかもってことか。」
聡いアモンが先回りして言う。
「まさかっしょ?」
ガンゾが驚いて、手拭いをゆすぐ手を止める。
こんな時代であれば、戦争に参加して人を殺めるのは、いずれ避けて通れぬ道である。
それでも今の彼らには、仲間が人を殺しているという事が現実感なく感じられた。
「それと『飛燕』と何の関係が?」
アモンが尋ねると、
「そんなこと分からないよー。でも彼女が普段無口なのは、そんな過去と関係あるんじゃあって思っていたんだ。普段よりもっと黙り込むってゆーんなら、その呼び方も過去と関係あるのかもって・・・」
ダロンの話も憶測の域を出ない。
するとジェズは桶から馬車理と水を浴び、ゆっくり立ち上がって言った。
「まあ気にすんなよ。人殺してようと妖怪だろうとあいつは友達だ。言いたくなったら話す相手は俺たちしかいないさ。」
ダロンは顔を上げる。
「いやそこは・・・言いたくなんないじゃない?普通?」
ジェズは宿舎に帰る道すがら、鍛錬場に人影を見つけた。すぐそれがリイファであることに気付く。
そばによって見てみると、彼女は木の枝を片手に何やら地面へ描いていた。
しばらく様子を見ていたが、彼女はこちらを見ずともジェズに気付いているようだ。
やがて彼に聞かせるように、ポツッとつぶやく。
「これ、ダロン。」
見るとそこには何体かの剣士が、連続する動きで描かれている。
こっちがジェズだよと言われそちらも見ると、なるほど彼の動きを絵で再現してある。
「おお、俺たちの違いを描いたのか。」
直線的な動きで体を使うジェズに対し、腕と足さばきの回転で描かれるダロンの動きは複雑な構図で捉えられていた。
「なるほどうめえな、お前にはこういう風に見えるんだな。」
ジェズはすっかり感心してそう言った。自分には気付かぬ2人の違い、これをここまで簡単に描くことも才能の一つだ。
それからしばらく2人は動きの違いについて話し込んだ。ジェズは気付かされることが多かった。
今度ダロンとの立合いで試してみようと思ったりする。
「いいことを教わったぜ。お前は大したもんだリイファ。師範に教わるよりわかりやすい。」
するとリイファは嬉しそうに言った。
「絵は小さいころ兄に教わったのだ。兄はよく一緒に絵をかいて遊んでくれた。」
「ふん兄か。俺の兄貴たちは女の話しかせぬ馬鹿者ぞろいだ。リイファの兄上とは随分違う。」
「えええ・・・ジェズがそれ言っちゃうのか・・・」
リイファは笑う。
笑えば可愛いのにと思ったが、今兄たちの女遊びを非難したばかりで、そんな話題はどうかと思い自重した。
「兄上は国で修業中か?仲良しなら離れて暮らすのは・・・」
そう言いかけて、ダロンの話を思い起こす。
― ここに入学するときに、大勢の中から選ばれているとすれば・・・
奴は何と言ってたか。
そんなことがあっていいはずはない。
ジェスは言葉が続けられない。
リイファは黙ったまま彼の言葉を待っていたが、不意に彼から目を離すとつぶやいた。
「ツバメはな、わざと小さい巣を作るのだ。」
そう言って足をがさがさと動かし、地面に描いた絵を消していく。
「そして多くの卵を産む。卵が孵った時には、巣にはもう隙間がない。」
絵を消しながら、リイファはだんだんジェズから離れていく。
「雛が成長するためには、巣はもう小さすぎる。」
声がだんだんか細く弱く消えていく。
「弱い雛から蹴落とされる。落ちた雛は死んでいく。」
嗚咽が混じった声。もうしゃべるな。
「そうやって強い個体が生き残る。」
鍛錬場には暗がりが迫っていた。
少し離れた彼女の表情は、ジェズから見ることができない。
「私は・・・ツバメなどになりたくはなかった・・・」
ジェズは戸惑いながら彼女に近寄り、その頭を抱きかかえた。
こんな時にどうしたらいいのか、たかが13歳の少年の彼には分からないことが多すぎた。
リイファは彼の胸にくらいついて、声にならない叫びを上げる。
ひどく力強くジェズの胸に押し付けられた彼女の口からは、かすかな音しか漏れてこなかった。
なのに彼に伝わる振動からは、世界に絶望する彼女の怨念が響いてきた。
ジェズは考える。
自分の身にも起こるかもしれない、兄弟同士の殺し合いだ。
その証拠に親父であるリュー公の身にも起こり、取るに足りないツバメの身にも起こるほど世の中にあふれているのだ。
そうして自分の小さな友人に、抱えきれぬほどの大きな傷をつけている。
そのことに我慢のならないほどの怒りを感じている。
どうしていいのか13歳の、頭の悪い自分には分からない。
けれどもこの国で1番頭のいいジョン・ガンにだってわかってない。
アイツだって親父の兄弟殺しの片棒を担いでいるんだ。
「こんなこと間違えている。俺が絶対ぶっ壊す。」
ジェズはそれだけ言って、リイファを抱きしめていた。
頭の悪い俺でも、こんなこと間違いであることに気付く。
ならばこの世を仕切る大人たちは、この俺以上の大ばか者ではないか。
いつも怒鳴り散らしている彼だが、ここまで腹が立ったのは生まれて初めてだった。
そうしてこれまで感じてきた、世の中に対しての漠然とした怒りの正体が、何となくわかったような気がした。
リイファはしばらく嗚咽を漏らしていたが、一刻ほどしてようやく落ち着きを取り戻した。
「ありがとうジェズ。あ、あの・・」
「何も言わなくていい。俺も誰にも何も言わない。さあ、メシ食いに行こう。」
ジェズはそういうとゆっくり歩きだす。
すっかり暗くなった鍛錬場で、彼女の顔は全く見えない。
「豆の煮込みは嫌いなんだ・・・」
甘えたようにつぶやく声だけが聞こえた。
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