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僕のお姫様  作者: 七島さなり
四章 それぞれの一歩

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14/18

1.協力

 いつもより早い時間に家を出た堂抜咲麻は一ノ瀬大翔の自宅前にいた。

 一月の末はまだまだ冷える。ぶるりと体を震わせた堂抜は手に息を吐きかけ、乱暴にポケットへと突っ込んだ。

 しかしそれだけでは効果が薄かったようで、思いの外、大きなくしゃみが閑静な住宅街に響く。

「うぅ……」

 思わず低く唸って鼻をすする。

「近所迷惑よ」

 すると刺々しい声が前から聞こえた。

「ノセくん」

 そこには朝にも関わらずきっちりと身だしなみを整えた一ノ瀬の姿がある。

 眠気の残っていない鋭い眼差しがきつくこちらを睨み据えていた。

 ふと堂抜の脳裏に目が合ったら石になる怪物の伝説が過ぎる。

 しかしその想像を頭を振って払うとにへらと情けない笑みを浮かべた。

「おはよう」

 なるべくいつもの調子でそう声を掛ける。

 怒られるかもしれないと思ったが、一ノ瀬は僅かに顔をしかめただけだった。

「……おはよ」

 そして小さく息を吐いてから諦めたようにそう呟く。

 ちゃんと返事が返ってきた。そのことが嬉しく堂抜は思わず笑みを深めた。

「こんな時間に何の用?」

 すると一ノ瀬は居心地の悪そうな顔をして口早に言う。

「ノセくんと話がしたくて」

 堂抜は間髪入れずにそう答えた。

 一ノ瀬は面を食らったような顔をしてから小さく首を横に振る。

「その行動力をスズに対して発揮できればねえ……」

 ぼそりと漏れた呟きに堂抜は反論する事ができず口を噤んだ。

 それに気が晴れたのか。一ノ瀬はふっと口元を緩めると「行くわよ」と堂抜の背を押した。

 思わずよろけるが、立て直して並んで歩き出す。

「あの、昨日はごめんね」

 堂抜は横目で一ノ瀬の様子を伺いながらそう告げた。

 すると彼は僅かに唇を噛んで、改めて堂抜の方へ向き直る。

「昨日のことはさっくんが謝ることじゃないわ」

 そしてきっぱりとした口調でそう言い切った。

「でも……」

「でも、も何もない。あれはこっちが悪かった」

 言い募ろうとする堂抜を笑って止める。

 それだけで一ノ瀬の中でこの件の答えは出ていて、覆すことは難しいことがわかった。

 堂抜は僅かに顔を俯けるとすぐに正面を見据える。

「僕、昨日ノセくんに怒られてからずっと考えてて……。今のままはやっぱり嫌だと思ったんだ。だからちゃんと姫に告白しようと思う」

 そして決意を込めてそうはっきりと宣言した。

「そう……頑張りなさい」

 一ノ瀬は驚いたように目を剥いたが、それ以上は何も言わずに前に向き直る。

「うん」

 堂抜は安堵したような顔で頷いた。

 二人の間に、僅かに沈黙が下りる。

 しかしそれは決して気まずいものではない。 

「はあ、明日にはさっくんも彼女持ちなのね……」

 しばらくすると一ノ瀬が感慨深そうに呟いた。

「え!? い、いや、まだ上手くいくとは限らないし……それに流石に今日は……」

 ぎょっとしたような顔で堂抜は一ノ瀬を見る。わたわたと手を振ると鋭利な瞳が睨みつけてきた。

「何よ、決めたんでしょ? ならすぐに行動を起こさないと」

「それは、そうなんだけど……」

 あまりのプレッシャーに尻すごんでしまい、言い訳は全て口の中へと消える。

 その煮え切らない態度に何を察したのか。一ノ瀬はその整った眉をしかめた。

「何か隠してる?」

 低い声に堂抜はびくりと肩を震わせる。

「いや、その……」

 さらに口ごもると一ノ瀬はむっと唇を尖らせた。

「また宮間さん?」

「…………」

 いついかなる時も変わらない鋭さに堂抜はただ沈黙を返す。

「あのね、何度も言うけど、さっくんとスズのことにあの子は関係ない……」

「ち、違うんだよっ」

 またいつものお小言が始まりそうになり、堂抜はようやくそう返した。

「確かに宮間さんなんだけど、そうじゃなくて、その……」

 固く拳を握りながら前を見る。

 そして辿々しくもしっかりと自分の思いを口に出した。

「宮間さんと姫を仲直りさせてあげたい。それからじゃないと、僕は姫に思いを伝えられない」

 一ノ瀬はそれを聞いてぽかんとする。

「なんでそうなるの?」

 心底理解出来ない物を見るような眼差しに堂抜は一瞬目を伏せて、苦虫を噛んだような顔をした。

 その表情のまま再び口を開く。

「そう、決めたから」

 まるで自分に言い聞かせるような声。

 それを聞いて一ノ瀬が小さく息を吐いた。

 怒られるような気がして横目で様子を伺う。

 すると呆れたようで、安堵したような、色んなものがない混ぜになった顔の彼と目が合った。

「情けなわね」

 途端に一ノ瀬は力なく笑う。そこには自虐が滲んでいた。

「今、すごくほっとしてる」

 そして静かにそう呟く。

 堂抜は思わず目を見開いた。

 いつも何でもお見通しの幼馴染。彼がそうして弱音を吐くのことは珍しいことだった。

「しょうがないでしょ。手を焼いてたのも事実なんだから」

 一ノ瀬はそう拗ねたように呟くとふと空を仰いだ。

 過去に思いを馳せるように僅かに瞳を細める。

「スズと宮間さんの問題を解決しようって最初に言い出したのは木更津先輩よ」

 木更津先輩というのは花楓より二代前の風紀委員長だ。

 宮間花楓を風紀委員に導いた当人であり、彼女の師匠に当たる。

「でも、あの人は自分の目的を達成したらさっさといなくなっちゃったの。まあ、元々アフターケアとかする人じゃなかったけど……。とにかく木更津先輩が卒業してから、宮間さんをどうするべきか全然わからなかった」

 木更津先輩は曰く、嵐のような人なのだという。

 関わった人間の価値観を変えるようなことを平然とやってのけるが、そうして変えられた人々に手を差し伸べる事はしない。

 だからその人達は自分の力で立ち上がるしかないのだ。

「宮間さんは自力で立ち上がれない人……いえ、側に居る“誰か”が居ないと立ち上がれない人よ。なのに、彼女は孤立する道を選んだ。それは宮間さんがその“誰か”を決めていたから」

 それが誰かは言わなくてもわかる。花楓はそこで姫野涼那を求めたのだ。

「その時の宮間さんがスズと対等になろうとしてたのはわかってた。けど、その頃はスズの方にまだ準備ができていなくて……二人を引き合わせることはできなかったわ」

 木更津先輩の卒業後となると、二年生の春頃。堂抜は噂で知るだけだが、その頃の凉那は“笑わないお姫様”とずっと揶揄されていた。

 笑わないだけでなく全ての感情が乏しい人形のようだったと。

「結局、宮間さんにはこれでもかってくらいに嫌われるし、きっかけは見つけられないしで手詰まりだったのよ」

 一ノ瀬はそうして今度は深く息を吐いた。

「だから、さっくんがそう言ってくれて、ほっとした」

 そして堂抜を見て微笑む姿はようやく肩の荷が下りたと言うようで。責任感の強い彼がそのことをどれだけ気に病んでいたかが伺い知れた。

「……ノセくんはさ、何でも一人でやろうとしすぎなんだよ。僕だって居るし、姫や生徒会の人達に助けを求めたって良いのに」

 堂抜が思った事を素直に告げると一ノ瀬は「そうね」と呟いて破顔した。

「今回はさっくんにお任せするわ。……でも、始めた人間の一人として最後まで見届けたい」

「……わかった。ありがとう、ノセくん」

 ふと見上げた空は快晴。今日は良い日になる。そんな予感がした。

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