クソッタレな戦場
塹壕の壁に背を預け、ゆらりゆらりと揺らめき消えてゆくタバコの煙を見ていた。
空は暗雲に支配され、今にも一雨きそうだ。
「なあ、おい。生きてるか、パドウィック」
同じように横に座っていた男が、脇を肘で突いてくる。そのうざったらしい肘を肘ではじき返す。
こいつは、俺の脇が弱いことを知っていてわざとしているのだ。
「なんとかな......。クライム、お前こそ大丈夫かよ」
クライムを横目で見やる。
我が戦友の左指のいくつかは途中から途切れていた。止血され包帯を巻かれてはいるが、その様は見ていて痛々しい。銃弾によって指が弾き飛ばされたのだ。
「ああ、このくらい余裕さ。......少なくとも、他の奴らよりな」
「それもそうか......」
視線を正面に戻す。
地面に横たわっているのは数人の負傷兵らだ。片腕がない者、両足がない者、顔が爛れている者、腹に鉛を撃ち込まれ血を流している者。どいつもこいつも無残な姿をしている。
そいつらの間を衛生兵があっちへこっちへ走り回っていた。
「俺たちはまだいいほうだなぁ......」
「特にお前はな」
幸いにも、俺の体は五体満足だ。自分でも、よく無事だと思っている。
失くしたのは、ケインとフィットとキールとエインとシュミルなどなどと、小銃の弾くらいだ。
ああ、吐き気がする。
「おい、大丈夫かよ」
「ああ、すまんすまん。ちょっと思い出しちまっただけだよ」
タバコを思いっきり吸い込み、白い煙を勢いよく吐き出す。
落ち着く。やはりタバコは最高の嗜好品だ。何より、格好がつくのがいい。
「これなきゃ俺、もう死んでるわ......」
きっと、自分で脳髄をぶちまけていたに違いない。持ってきておいて本当に良かった。
「タバコじゃなくて、ワインが欲しいね」
戦友は酒をお望みのようだ。その気持ちも分からなくはないが、どうにもできない。
アルコール類は消毒に使われるし、こんな場所で酔えば真っ先に死ぬ。
「......それは生きて帰ってから、だな」
「ふっ、生きてねぇ......」
クライムはどこか諦めたように空を見上げていた。俺も釣られて空を見る。
黒く分厚そうな雲は依然として空を覆い、青色はまったく見えない。
まるで、自分たちの未来を示唆しているように思えなくもなかった。
「......どうなるかなんて分からんが、まあ、頑張って生き残ろうぜ......。それに、お前を待っててくれる女がいただろ?」
戦地入りする前にクライムが散々自慢してきた女を思い出す。なかなかの美人だったので、死ぬほど羨んだ。
クライムは目を伏せ、鼻頭を指で挟む。
「ああ、そうだな......。あいつのためにも、頑張んないとな......」
「お前が死んだら、俺があの子を取っちゃうぞ?」
「ははっ、それは許さん」
拳をパキパキ鳴らしながら笑顔で見つめてくる。怖い怖い。
しかしまあ、少しは元気になったようでなによりだ。
「......ありがとな」
「なんだよ照れくさい。まあ、とりあえず水でも飲むか? 落ち着くぞ」
「ああ、もら」
ーー轟音が鳴り響き、地面が揺れる。
一瞬で気を引き締めて小銃を持ち塹壕こら相手側を伺う。
戦車と歩兵部隊がこちらに迫ってきていた。
「あいつら、いよいよ本格的に来たな!」
「ったく、もうちょい休ませてほしいなっ! と」
撃たれたので、すぐに身を屈める。戦車を盾にしながらとは、なんと対処しにくい面倒な歩兵なのか。
銃弾が頭上を通り過ぎていく音がしなくなってから、頭を出し銃を乱射する。
本来は、それなりにきちんと狙わなければいけなかったが、そんなこと関係なしに撃ちまくる。
「帰ったらよぉ!!」
「あぁっ!?」
クライムは撃ちながら笑っていた。
「タバコ吸って! 酒飲みまくって! 女抱きまくろうぜぇ!!」
「はははっ! そうだな!」
クライムにはあの子がいるので、女を抱きまくるわけにはいかないが、大賛成だ。
銃の反動と薬莢が飛び出るたびにアドレナリンがどばどば出てくるのが分かる。
性懲りもなく、俺たちは生きて帰ることが出来ると思った。
「うおっ!」
近くで大きな土煙が舞い、地面が揺れる。戦車が撃ってきたのだ。足を踏ん張っている間も銃弾の雨はやまない。
倒れながらクライムを押し倒して身を隠した。
「はぁ、はぁ、危なかったな......」
周囲の仲間も身をすくめている。戦車が進む音はかなり近くなっているような気がした。
「全員第三防衛ラインまで退くぞ!!」
この場で最も階級の高い大尉が怒鳴り散らすような声で撤退を指示した。
それに従って、それぞれ分隊を形成して塹壕の中を走ってゆく。
大尉と目があった。
「おい、なにをしている!? 早く退くぞ!!」
「了解! クライムいく」
言葉はそこで途切れた。
クライムの眉間に穴が開いている。目をかっと見開き死んでいた。
地面に血溜まりが広がっていく。
頭が真っ白になる。
「貴様! 早く立たんか! このままでは死ぬぞ!」
「は、い......」
ぼんやり遠くから聞こえてくる大尉の声になんとか返事をして立ち上がり、合流する。
ただひたすら、訓練通りに体を動かした。
何も考えられなかった。
気づくと、第三防衛ラインで座り込んでいた。目の前には、腕を撃たれた大尉が簡易的な治療を受けている。俺は負傷していない。
ふと下を見ると、土だらけだが使われていないタバコが一本落ちていた。
拾い、火を点け思いっきり吸い込む。
そして、未だに黒く覆われた空に、吐き出した。