極道日本昔話 -笠地蔵ー
一種のファンタジーです。
感想返しなどは、活動報告で行っております。
ある所に、一人の幼い少女がおりました。
雪の降る寒い夜。
少女は、薄暗い路地を一人で歩いています。
彼女が持つ赤い子供用の傘には、うっすらと雪が積もっていました。
彼女は父親にお使いを頼まれ、家へ帰る途中。
その帰り道で、少女はある物を発見しました。
それは一人のおじさんでした。
灰色のスーツを着たそのおじさんは雪の降る中、傘も差さずに座り込んでいます。
その体はかすかに震えていました。
おじさんの頭や肩には雪が積もり、右手をやった脇腹には赤い染みが広がっていました。
どうやら、おじさんは怪我をしているようです。
少女はそれが気になり、おじさんの前で立ち止まりました。
少女が眺めていると、彼はそんな少女に気付いて顔を上げました。
「なんや……? 見ててもなんもおもろい事ないやろ……」
おじさんが言います。
すると、少女は自分の持っていた傘をおじさんにかけてあげました。
怪我をして、寒さで震えているおじさんが少女には可哀想に思えたのです。
おじさんは意外そうな表情を作り、小さく驚きます。
その時、おじさんのお腹がぐぅと鳴りました。
少女はすかさず、ポケットから一個の梅おにぎりを取り出しました。
かかっていたフィルムを丁寧に取り去り、少女はおじさんにおにぎりを差し出します。
「はい」
「……くれるんか?」
少女が頷きます。
すると、今度は少女のお腹がぐぅと鳴りました。
「お前も腹へっとるんやないか。……お前が食えや」
おじさんはいいます。
が、少女はそれでも構わずおじさんにおにぎりを渡しました。
結局、おじさんはおにぎりを受け取りました。
「そうか、すまんなぁ」
そう言って、渡されたおにぎりを眺めるおじさんの顔が不意にくしゃりと歪みました。
そしておじさんは、一口一口を噛締めながらおにぎりを食べました。
「ありがとうな」
お礼を言うと、少女は笑顔を向けてくれました。
そして去ろうとする少女を見ていて、ある事に気付きます。
翻った服の袖。
そこから覗く少女の手には、無数の小さな火傷がありました。
その出来事の二日後です。
その日も、お使いを頼まれて帰ってきた少女を父親が出迎えます。
「おい。ちゃんと酒は買ってきたんだろうな?」
「あ……。……子供には、売っちゃダメ、だって……」
少女が言うと、父親は彼女の腹を蹴り上げました。
あまりの痛みに、少女が蹲ります。
そんな少女の襟を掴み、父親は容赦なく少女の顔を殴りました。
「言い訳してんじゃねぇぞ! 何があっても買って来いって言ってんだろうが! 店員に断わられたくらいで諦めてんじゃねぇよ! たくっ。使えねぇガキだなぁ」
少女を殴りながら怒鳴りつける父親。
その怒りは治まりませんでした。
「こいつは躾しておかねぇとな」
言って、父親は咥えていた煙草を口から離しました。
その言葉に、少女の体が強張ります。
そんな少女の腕を掴むと、父親は煙草の火を押し付けました。
じっと痛みに耐えていた少女でしたが、その痛みには思わず悲鳴を上げます。
その悲鳴が癇に障ったのでしょう。
父親はまた少女を殴りました。
しばらくして父親は少女を甚振る事に飽き、部屋の奥へと行きました。
一人残された彼女は、玄関からすぐ横にある台所の隅で一人蹲ります。
腕にできた火傷のじくじくとした痛みに耐えながら、少女は蹲り続けました。
無力な少女には、そうして気配を殺す事しかできません。
もし父親が彼女に気付けば、また気まぐれのように躾を施すかもしれないからです。
だから少女は、いつも家にいる時はそうしていました。
お腹が減り、細心の注意を払いながらおにぎりを取り出します。
これは、仕事で遅くなる母親が彼女の食事として置いていく唯一の食べ物でした。
これだけが飢えを凌ぐ唯一の糧です。
体の小さい少女とはいえ、当然足りるわけがありません。
だから少女は、いつもお腹を空かせていました。
彼女は一日にたった一度の食事を味わう余裕もなく、音を立てないように注意しながら食べました。
父親は、母親の新しい恋人でした。
少女は本当の父親を知りません。
少女にとっての親とは、母親だけです。
ですが、母親は男がいなければ生きていけない性分でした。
むしろ新たな恋の足手まといになる少女を疎ましくすら思っています。
だから、今までの父親達が少女を乱暴に扱っても何も気にかける事はありませんでした。
彼女には、優しくされた記憶がありません。
それは母親と父親、どちらにもです。
彼女は優しさを知りません。
けれど、少女は痛みを知っています。
彼女があの日、おじさんへ優しさを示せたのは、寒さと痛み、空腹に耐える辛さを知っていたからです。
少女は、おじさんのそんな辛さを取り除いてあげたいと思ったのです。
そんな時でした。
玄関のドアが叩かれました。
「ちっ」
父親は悪態を吐きながら玄関へ向かいます。
「誰だよ!」
父親は、ドア越しに怒鳴りつけました。
「お宅のお嬢さんの事で、ちょっと用事があって来たもんですわ」
すると、返って来たのは堂々とした男の声です。
張りのある力強い声でした。
「児童相談所か? こっちに用はねぇって何度も言ってるだろ! もう二度と来るんじゃねぇ!」
父親はそう叫ぶと、威嚇するようにドアを叩きつけました。
しかし、ドアの外にいる男は動じた様子もなく言葉を続けます。
「まぁ、そう言わんと。こっちも、おいそれと帰るわけには行かんのですわ。どうしてもあかんっちゅうんでしたら、このドア蹴破ってでも入らせてもらいまっせ」
「はっ、そんな事できんのかよ? 公務員のくせによぉ!」
「ちゃいまっせ」
答える声があるのと同時に、ドアが蹴破られます。
すると外には、灰色のスーツを着た一人の男の姿がありました。
その男は、前に少女が傘とおにぎりをあげたおじさんでした。
「わしは堂和組の笠地 蔵之助、いうもんですわ」
「ど、堂和組だと? まさかあんた、ヤクザ!?」
父親は思いがけない相手に、腰を抜かしてその場に尻餅をつきました。
そんな父親を無視して男は少女を探し、台所の隅で蹲る少女を見つけました。
頬に痣を作った少女を前に、男は痛ましい顔をしました。
そんな少女の方へ、彼は近づきました。
「今日は、『お礼』しにきたんや」
優しい声で、男は囁くように言いました。
その声を聞くと、少女は不思議と安心しました。
「傘、くれたやろ。あれに住所が書いてたから、それ見て来たんや」
男は、少女の前で跪きます。
痣のある頬へ、そっと触れました。
「本当に、遅うなってしもたのう……」
初めて少女と会った時。
男は少女の手にある火傷が、煙草によるものだという事に気付きました。
あの後、舎弟に助けられた男は、病院での治療中もずっと少女の事が心配でなりませんでした。
そして、治療もそこそこに切り上げて少女の家へ訪れたのです。
優しく労わるように少女の頬を撫でると、男は立ち上がります。
そして再び、父親に向き直りました。
「な、何だよ!?」
その襟首を掴み、強引に立ち上がらせます。
「俺も、胸張ってええ大人とは名乗れんけどな……。おどれみたいな腐れよりはマシじゃ!」
顔を近づけて凄むと、父親の頬を殴りつけました。
殴り倒された父親は、その勢いのまま強かに壁へ体を打ちつけられ……。
そしてまた、尻餅をつきました。
父親は口から血を流しながら、怯えた顔で男を見上げます。
「兄貴」
玄関から呼ぶ声がありました。
見ると、そこにはスーツ姿の若者が二人います。
彼らは、男の舎弟でした。
「何じゃい?」
男が聞き返すと、舎弟は父親の腕を掴みながら答えます。
「やっぱりこいつ、前にうちから金借りて逃げた奴ですわ」
「ほう。そやったら、始めから気ぃ使う必要もなかったのう。連れてけや」
「へい」
男の一声で、舎弟達は父親を外へ引き摺り出していきます。
気付くと、少女が男の下へ歩み寄っていました。
その頭に、男は手をのせます。
「大丈夫や。もう、殴られる事はない。心配いらんからな」
そう言って頭を撫でる男。
彼の言葉は、少女の心に染み入りました。
少女はぽろぽろと涙を零します。
けれど、その表情は笑顔でした。
それから少女にはいろいろな事がありましたが……。
辛い思いをする事はありませんでした。
彼女のそばには一人の男がいたからです。
そして彼に見守られ、少女は幸せに暮らしましたとさ。