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乞う

作者: 三原すず

乾いた土地。

いつからか、雨が降らなくなった。

最初に倒れたのは、外で遊んでいた子供だった。

脱水症だった。

次は病弱な老人たち。

みな、雨を乞う。しかし、土地は枯れ、恵みは飢えていく。


「どうすれば…」

「神がお怒りなのだ」

「なら神をお鎮めしなければ」

「何をすればいい…」

「贄だ。神に乙女を捧げるのだ」


飢餓を憂いた者たちはひとりの乙女を神の贄にしようと考えた。

けれど乙女は自ら、贄となることを選ぶ。

御伽噺では、そこには龍神が住んでいるそうで、滅多に村人たちは洞窟に寄りつかなかった。

村人たちはせめてもと乙女を洞窟まで送り届けた。


これはもう一つの御伽噺。


***


「けほ、けほ…っ」


喉の奥が詰まって咳き込む。彼女は元から身体が弱かった。

ちょっとした気温差で体調を崩しやすい。

それに加えてこんな洞窟の中。悪化するのは目に見えている。


「なにが…カミサマよ」


そんなものいるわけない。信じるわけがない。

カミサマがいたら、きっと今彼女はひとりじゃなかった。


「どうして、雨が降らないんだろう……」

「私が降らせる気がないからだ」

「ひぇ!?」


突然かけられた声にビクッと竦み上がった。

声のした方を向き、ひゅっと息を呑んだ。


「龍……?ほんとうに?」

「昔の御伽噺など、信じないだろうな」

「……えっと、…はじめまして。フィナです」


なんて返事をすればいいかわからず、とりあえず名前を告げた。

龍は不機嫌そうで、けれどとても綺麗だった。

白銀の鱗を纏う身体は大きく、羽根までまである。金色の瞳は鋭く、しかし輝いていた。

暗い洞窟に灯りをつけたようだ。


「私に何か用か」

「えっと、わたしはいいんですけど、村のひとたちが困っているので、雨を降らせてもらえませんか?」

「何故」

「小さい子とか、お年寄りが倒れて…みんな、家族を喪いたくないそうです」

「おまえの家族もか」


龍は大きな身体でフィナを捕らえた。

鋭利な刃物のような金色の瞳が真正面にある。とてもとても、綺麗。


「い、いえ…わたしの家族は、もう死んだので……」

「……、いつ?」

「五年前…疫病で」


父と母、祖母、小さな弟まで疫病で死んだ。

今には劣るがあの頃も土地が枯れていた。もし、雨が降って作物が育っていたら、みんな生きていたかもしれない。


「そのときも、干ばつでした。もう少しでも、栄養のあるものを食べていれば、…生きてたかもしれないですね」


思い出しても辛いだけ。そうとはわかっている。

でも、そうやすやすと心に閉じ込められるものではない。


「………」

「…わたし、別に困ってないんです。もういつでも死んでいい」

「………」

「だから、ここに来たんです。元から身体は弱いし……こほっ、げほ…」


言ってる途中から咳込む。いつもより酷い。

洞窟の中は外より湿度が高いけど、突然の変化に身体はついていかない。


「……、乗れ」

「ごほっ……?」

「早くしろ」


苛ついたように命じる龍に大人しく従って彼の大きな背に乗った。

彼の鱗は艶やかで少し硬い。けれど温かかった。


「動くぞ」

「けほ……っはい」


静かな声で囁かれ、なるべく振動を与えないようにかゆっくりと歩き出す。


「……、寝ていろ」


そう言われたときにはすでにフィナの意識はそこになかった。


***


温かい。

包まれているようで、安心する。


「……ナ、」


起こさないで。

これが夢なら、目覚めたくないの。

だって久しぶりに温かいんだもの。

もう少しだけでいいからこの温もりを奪わないで。


「…怖くないのか」


それは龍のこと?

怖くないって言ったら嘘になるけど、とても綺麗だから気にならない。

それに乱暴されたりしてないし。


「……おまえの家族が死んだのは私のせいなのにか」


龍のせい?

違うわ。だってしょうがなかった。

疫病で死んだひとはたくさん出た。あの村だけに限らずたくさんの村で死んだ。


でも悪いのは自分なの。


「おまえ、が?」


うん。

自分が虚弱体質だからって家族みんなに甘えてた。

だからみんなが倒れたときわたしは何もできなかった。

家族が死んだのはわたしのせいなの。

だからわたしは、誰かのために何かをしたい。


***


「………、ん」


きらきらと銀色が輝いている。真っ暗なはずなのに目映い光を放ってるようだ。


「…起きたか」

「ん……んぅ?」


そうだ。龍の背中に乗って、その途中で寝てしまったのだ。

そういえば龍は…。


「ひゃ、ぎゃ!」

「さっさと起きろ。重い」

「ひぁ!ご、ごめんなさい!」


龍の身体を枕にしていた。

慌てて起き上がると龍はフンと鼻を鳴らして立ち上がった。

フィナが起きるのを待っていてくれたのだろうか。

そうだとしたら、ちょっと嬉しい。


「……、来い」

「へ?」

「早くしろ」

「は、はい」


大きな背をふらつく足で急いで追いかけた。

裸足のフィナの足がぺたぺたと間抜けた足音を立てる。

でも龍の足音はまったく聞こえない。なぜだろうか。


「う…わぁ」


泉だ。しずくが反射して、きらきらと輝いている。

龍の鱗と同じ、銀色だ。


「飲め」

「え?」

「脱水なんだろう」


有無を言わさぬ口調で言われ、フィナは地面に座り込み水を手ですくった。

そのままでも輝いて見える水を喉へ流し込んだ。


冷たい。


美味しい。


きれい。


「…おいしい」


龍は何も言わず身体を丸めてフィナの傍にいた。


「あの、……わたしだけでなくみんなに与えてくれませんか?」


フィナが何を言っても龍は眠ったように動きもしなかった。

手持ち無沙汰になってフィナは龍の傍に寄って、いつの間にか眠ってしまっていた。


***


何日過ぎただろう。

不思議なことに龍の泉の水を飲んでいるだけなのに、フィナは衰弱していなかった。

人間は食べないと死ぬのではなかっただろうか、とフィナは首を傾げていた。


「龍。どうして雨を降らせてくれないんですか?」

「…………」

「狸寝入りは知ってます!」

「五月蝿い」


フィナが訊ねても龍は決して龍を話してくれない。頑なな態度にフィナは困惑しつつ、毎日訊ねている。


フィナには疑問が幾つかある。

その最たるのが、龍がなぜ雨を降らせないのか。なぜここにいるのか。

…龍の名前は何か。


「ねぇ龍。龍の名前は?」

「五月蝿い」

「教えてください。わたし、龍を知りたいんです!」

「…私を知って何になる。雨を降らせる気はない」

「龍は雨を降らせることしかできないんですか?」


あ、ピクってした。

フィナは心の中でにやにやしてしまう。挑発に乗ってもらえて嬉しいのだ。

よし、とさらに続ける。


「あ!記憶力が悪いから、自分のことを忘れたんですかっ?確かそれ……認知症って言うんですよね?」

「……そこまで言うなら話してやろう」


フィナは飛び上がるほどに喜んだ。

そんなフィナに龍は金の目を細め、そして語り始めた。


***


私はラウル。ここに閉じ込められたのは何年前だろうか。

正直覚えていない。

私には雨乞いの力と共に治癒の力を持っていた。

それを手に入れるために人間どもは私を崇め奉るが、勿論私にそんな気はなかった。

それに奴らは憤り、私をこの洞窟に封じた。ただの人間が私に何かできるはずがないと高を括ったのがいけなかった。

あの村に魔女さえ来なければ……。


ここにはおまえも見た通り泉があるのはわかるだろう。

私はそこに治癒の力を流し、すべて注いだ。時間がかかったが暇つぶしにはなった。

あぁ、雨乞いの力は持っているが、降らす気はない。

私は恨んでいる。奴らを。正義漢面した魔女も。


……あぁ。

おまえが倒れないのも泉の水を飲んだからだ。

今まで生きていられてのはただの偶然だ。外から隔離されていた環境に感謝するがいい。

こんなところで死んでもらっては腐臭がするだろう。少しは考える頭を持て。

この水は人間の持つ生命力を強めるものだ。おまえたちが言う栄養剤、といったところか。


頭を下げるな、鬱陶しい。面倒だから飲ませただけだ、他意はない。

……おまえはかわいらしいな。

穢れを知らず、素直で、澄んでいる。

おまえのような者は初めてだ。


フィナ、ひとつ言うが、おまえの命は残り僅かだ。

たとえこの泉の水すべてを飲んだとしても持って二十年だ。

おまえはきっと私に雨を降らせたいのだろうがそれに何の利点がある。

他人の心配をして、どうになる。結局おまえは、死ぬのだ。


さぁ、何か言ってみろ。


私を絶句させられたら、雨を降らせてやっても、いいかもしれないな。


***


「……ラウル?」

「…なんだ」

「雨、降らせてください」

「………」

「わたしが死ぬのなんて関係ない。元からわたしは死ぬつもりでここにきましたから」


そう、虚弱体質の自分に嫌気がさしてここにきたのだ。

今更寿命が短いと言われても驚かない。わかりきっていることだ。


「…ねえラウル、雨を降らせて。わたしみたいなもうすぐ死ぬ人間だけじゃなく、未来がある人間ばっかりなんだよ。わたしは生贄だから、わたしを食べてもいい。ねえラウル」

「五月蝿い。どうして____どうしておまえは、生きようとしないのだ」

「…あなたが言ったよ、私結局、死ぬって。生きようとしても結局死ぬんでしょ?」


ラウルの金の瞳が陰を帯びた。自分の発言に後悔してるのだろうか。

フィナはにこりとあどけない笑顔で続ける。


「ラウル。変な恨みなんてわたしは心ッ底どうでもいい。だって覚えていないくらい昔の話なんでしょ?今を生きてるわたしや村のひとたちにそんなこと言われたって困るだけ」

「どうでもいい、だと?」

「うん。本ッ当、どうでもいい。だってわたし、ラウルのことなんて御伽噺程度にしか思ってなかったもん。まずその御伽噺もここに来る途中、聞いたし」


ずっと家で引き篭もっていたからそんな御伽噺も知らなかった、なんて本当のことを言ったら、さすがに怒られるだろうなあ、とのんきに思う。


「………」

「怒る?」

「ふ、ははははっ!」

「っ!」


ずっと無表情だったラウルが笑い出し、フィナはびくっと肩を竦ませた。

ラウルがこんなに笑ってしまうことをしたのだろうか?

それとも気が触れてしまったのか、と少し失礼なことまで考えてしまう。


「ら、らうる?」

「はっ…気に入った。私を知らず、恐れず、どうでもいいと?惹かれないわけがなかろう」

「あ、雨降らせてくれる?」

「そうだな…おまえが何か報酬を出すなら」


報酬?とフィナは首を傾げた。

こんなところに着の身着のまま来たのだからフィナには何もない。


「…身体をあげればいいかな?」

「……簡単に言うのだな」

「じゃあ、…魂?」

「結局同じだろう。いらぬ」


身体も魂も必要ないと言われたらフィナはもう何も持ってない。

うんうんと悩んで、いらないだろうなと考えながら思いついたことを言った。


「…これからのわたしの人生を、ラウルにあげる」


病弱だから、ほんの数年。

だけどずっと独りだったのなら、一瞬でも誰かが傍にいれば幸せになれる。

独りの寂しさが紛れるのではないのだろうか?


「おまえは何を言ってるかわかってるのか?」

「うん、わかってるつもり」

「人生を差し出すということは私に囚われ続けるのだぞ。いいのか?」

「うん…いいよ」


躊躇うことはなかった。フィナの時間は少ないのだから、誰かのためにこの命を燃やしたいと思った。

人生を差し出して幸せになれるのはラウルだけでない。

それで雨を降らせてもらえれば村の人々も生きられる。

そしてフィナ自身も独りで死ぬことはなくなる。


「わたしは、ラウルと一緒にいるよ」


手を伸ばして、ラウルの鱗を撫でた。

金の瞳は細められ、フィナの手を大人しく受け止めている。


「…情けないことだな。人間に惹かれるなど」


ラウルはそう言って瞳を閉じた。

フィナは見えた。ラウルが涙しているところを。


外から、雨音が遠く聞こえた。


***


乙女は龍に雨を乞うた。

龍は乙女の人となりを見、その願いを叶える。

乙女は礼に龍の傍を離れることはなかった。龍に己を捧げたのだった。

どのようにし乙女は龍に雨を降らせたか、誰も知らない。


ただ、龍を封じた魔女がのちに気まぐれに洞窟を見に訪れるとそこには龍も乙女もおらず、泉の水すら、枯れていたそうだった。


乙女と龍の行方は誰も知らない。



fin.

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