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2 不本意なあだ名

「あんた方が、依頼を受けるのか?」


 不信と警戒が入り混じる下からの視線を、軽い頷きで受け流した。

 初老の男は、この館の使用人か何かだろう。

 じろじろと観察されて良い心地がするワケじゃないが、見られて減るものがある訳でもない。


 レーグネン曰く、今日の約束はこの街の領主とのものだったそうだ。

 昨晩、「口入れ屋から俺の魅力で依頼をもぎ取ってきたぞ!」などと言っていたが……さて、穏便に引き受けてきたのか、それとも本当にもぎ取ってきやがったか。

 とりあえず、時間についてはぎりぎり領主を待たせずに済んだらしい。


 隣では、レーグネンを守るように緋い女(リナリア)が衣を風に遊ばせながら立っている。

 豊かな胸部が腕組みの上に乗っかってて、零れ落ちそう。柔らか過ぎてこのまま流れていってしまうんじゃないだろうか、落ちる前に支えてやった方が良いんじゃ――などと、思うには思ったが――おっと……やばいやばい。隊長モード。


「ヴェレ、紹介状を」


 レーグネンの言葉に従って懐から差し出した紙を、目を丸くした男が受け取る。

 私の黒い髪と瞳を見て、納得いったように頷いた。


「ふん、北方人か……紹介状の中身は本物らしいな」

「うん、俺が口入れ屋から依頼を受けたレーグネン、我が忠実なる下僕リナリアと、この正面のデカイのはペットのヴェレだ」

「ペット……まあ、奴隷って言えばペットのようなものかね?」


 初老の男の不躾な視線に思うところもなくはないが、無言のまま正面から跳ね除けた。

 奴隷ならまだしも、少女のペットとなると怪しさが増すのは事実だろうが――非難するなら矛先が違う。

 オレ達、北の民が奴隷なのは王国民のせいだし、ペットなのはレーグネンのせいだ。


 まあ、どっちにしてもさしたる問題ではない。もう慣れた。

 最終的にオレが理想と抱く通りになれば、それで問題なんかないだろう。

 それより今は、隣のリナリアが腕の位置を――もう少し下に衣を巻き込んでくれれば、斜め上のオレの目からは色々と嬉しいものが覗けるんだけど――ってことの方が、切羽詰まって問題……あ、やばい。隊長モード戻ってこーい。

 視線の向きを誤魔化しながら押し黙っていると、何故か突然、背中にレーグネンが突撃してきた。


「――ぐ!?」

「おいどうした、ヴェレ! そんなに見つめるとさすがの俺も照れてしまう。あなたの視線は可憐な俺に釘付けだな。そうかそうか、そんなに俺が好きか愛しいか! 何だ、素直なヴェレは可愛いなぁ!」

「……特に釘付けではない」


 むしろ、貴様は見ていない――と、言おうかどうしようか迷って、結局は言わなかった。言っても無駄だ。


 基本的にレーグネンは己に都合の良い想像のみで物を言う。

 そして、その妄想の中では、万物が己を賛美していることになっているらしい。

 そもそも自分にしか興味がないんだ、多分。


 そういう適当さが初老の男にも理解できたようだ。

 ここまでのやり取りの全てを踏まえて、このまま依頼を受けさせるか迷う表情を見せたが、そもそも彼に決定権はないはずだ。

 しばらく黙った後に、自身の身体で塞いでいた入り口の扉を開け放ち、中へ、と呟いた。


「旦那様がお待ちだ」

「うん、遠慮なくお邪魔する。ヴェレ、来い」


 私へのお声がかかるより微妙に早く、レーグネンの背中を追ってリナリアの方が先に館へと踏み込んでいる。その緋色のドレスからむき出しになっている滑らかな背中を眺めながら、オレも後へ続いた。


「2階へ上がってくれ」

「うん、分かった」

「ヴェレ、先へ上がって頂戴」


 リナリアがオレを先へ通した。立ち位置から言えば、向こうが先を行く方が早い。

 どういうことかと首を捻りながらも、リナリアの横をすり抜ける。

 すり抜けながら、上に盛り上がった2つの柔らかそうな塊を一瞬だけちら見して、脳裏に焼き付けておいた。

 レーグネンが階段を上りながら、背中越しに忠告の言葉を投げてくる。


「ヴェレ。俺のこの若々しくも魅力的な尻の動きに夢中になって、段を踏み外すなよ」

「誰が」


 さすがにこれは反論した方が良いだろう。

 ついでに、何故、リナリアが前を歩かなかったのかにも気付いた。


 馬鹿馬鹿しい、と呆れるしかない。

 余計な心配だ。

 例え今みたく、つんと持ち上がった2つの丸みが目の前で交互に動いていたとしても、それに気を取られすぎて階段を踏み外したりするワケがない。

 そもそも、女性の肉体美に向けてよそ見をしてるのが男というイキモノの通常運行だろう?

 目の前で絶世の美女が着替える瞬間に出くわしたとしても、向かってくる敵がいれば容易に切り伏せて見せるさ。


 かつて『轟雷の』と呼ばれた腕は、ダテじゃない。

 ……『轟雷の』っていうのは、そういう意味を含んでない、という突っ込みはなしの方向で。


「んふ。こうして目の前で動いていると、触ってみたいんじゃないか? 可愛い俺のペットのたっての頼みと言うなら、考えてやらなくもない」

「……誰が」


 少しばかり反論が遅くなっちまったのは、レーグネンのローブの下で動く柔らかいものに気を取られていたからじゃない。単純に何と答えるべきか悩んだからだ。

 触ってみたい、と答えれば、触らせてくれるのか。本当に?

 いやいや待て、そもそも自分はアレを触りたいか? ぷりんぷりんと揺れる小さな塊。予想だが、触感的には多分、柔らかいだけでなくけっこうな弾力が――。

 とか、自問自答で悩んでいる間に、横を追い抜かした初老の男が階段の上からこちらを見下ろした。


「こっちだ」


 示される通りに廊下を進み男の背中を追うレーグネンの、後をオレも追う。

 廊下の突き当りにある扉を、男が叩いた。


「……ご主人、約束の方が来ました」

「お入りください」


 扉の奥から聞こえた若い男の声に応えて、扉の中に入り込む。室内では、柔らかそうなソファの中央に、青年が1人座っていた。悪くない身なり、館の装飾も余裕のある生活ぶりを垣間見せる。

 青年の正面にちょこちょこと近付いたレーグネンが、芝居がかった調子で片手を振った。


「ご依頼があると聞き、参上した。こちらはリナリアとヴェレ、その主人たる俺の名はレーグネン。荒事ならばお任せあれ」


 古めかしい口調で、愛らしくローブの裾を摘んでお辞儀をする。

 このちぐはぐさを、ここにいる2人の男達は、ただ少女が大人ぶって振る舞っているとしか見なかったようだ。


「何と可愛らしいお嬢さんが、あのような依頼を片付けてくれるとおっしゃるのですか」


 青年は笑顔で握手を求め、手を差し出してくる。

 その手をちらりと見たレーグネンが、こちらに目で合図を送ってきた。

 ため息をついて、オレはレーグネンの前に出て青年の手を握る。


「……よろしく」

「あ……はあ、よろしくお願いします」


 あからさまに「お前じゃねぇ」という顔をされたが、オレだって好きでやってる訳じゃない。男同士で手を握りたい男がどこにいるか。

 微妙な雰囲気の漂う男2人に対し、満面の笑みでレーグネンは話を促す。


「さあ、挨拶も終わったし、詳細を教えてくれ」


 軽いため息の後に続く、若い男の話は簡単だった。

 郊外にはぐれ魔物が出ると言う。街の中へ入ってくる前に退治して欲しいと言う。

 報酬も含め、事前に口入れ屋から聞いていた話とさして違いもない。


 オレはこの街の位置を頭の中の地図で確認する。

 魔王領に接する、王国領西方ヘルブスト地方でも、国境からはだいぶ離れた街。

 この距離で魔物が出るなどと、他の街で聞いたことがあったろうか?

 王国守護軍の現在の展開状況と重ね合わせたところで、ふと別のことを考えたが――口には出さなかった。

 オレが黙り込んでる間に、この依頼はレーグネンが2つ返事で受諾した。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



「……良いのか」


 館を辞して、その足で街を出て魔物が出ると噂の場所――森の入り口へと向かう道中、背後から声をかけてみたが、足取り軽く跳ねる少女は振り向きもしない。


「何を指して尋ねている?」


 その声がどこか楽しげで腹が立つ。

 が、苛立ちを声にまじえないように、隊長モードを保ったまま説明してやった。


「魔物ならば貴様の同胞ではないのか、と尋ねているのだ」


 ついに笑いを我慢しきれなくなったらしく、んふ、と鼻にかかった笑い声が聞こえてきた。

 横を歩いていたリナリアが、レーグネンの代わりに嘲りを含んで答える。


「馬鹿なことを。魔王領全域に10億はいる魔物の1体1体と、主様がいちいち顔見知りなワケがないでしょう」

「顔見知りでなくとも――」


 言いかけたところで、足を止めた。

 不思議そうな表情でこちらを見上げたリナリアも、一瞬おいてその気配に気付いたようだ。すぐに前方のレーグネンを引き止めて、背後へ庇った。


「――それに、どうやらそもそもの前提が間違っているわ。魔物退治に来たはずが、魔物ではない殺気が漂うのはどういうことかしら」


 こちらが足を止めたことで、向こうも肝を据えたらしい。

 がさり、と茂みが揺れて人影が出てきた。


 男が3人。殺気を感じながら――ふと。その内の1人の顔に見覚えがあるような気がした。

 相手も同じように感じたのだろう、しばし無言でオレを睨みつけ、思い出した瞬間に顔をゆがめる。


「あんた――隊長! むっつり隊長じゃねぇか!」

「むっつりだぁ!?」

「むっつりって?」

「むっつりとは……?」


 向こう側の男たちと、リナリア、レーグネンの声が重なった。

 特に嬉しくもないあだ名だが、その言葉でようやくオレも男の顔に思い至った。

 2ヶ月前の――王国守護軍西部隊長を務めていた頃の部下、確かゴルトと言ったか。どうやら生きていたらしい。


「隊長、あんた生きてたのか……! てっきり死んだんだと――」


 向こうも同じような感想を抱いているようだった。

 その引き攣った頬は、思いがけず生き残った戦友を迎える笑顔に、似ていなくはない。

 だが――。


「――死んだと思ってたのに。北方人ってのは、どうも命汚ぇ。こりゃ、ちゃんと息の根止めねぇとな」


 剣を抜いて構えるゴルトに合わせて、無言を貫いたまま、オレも腰の剣の柄に手をかける。

 のんびりとレーグネンが笑う声だけが、虚しく響いた。


「顔見知りでない同胞など、ま、所詮こんなものだな――」

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