表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
80/83

26 一枚岩の誘惑

 気付けば、何もない空間だった。


 上もない、下もない。

 誰もいない漆黒の中に、1人。

 ぼんやりと宙を見上げる。


 これが、我等が主神ヴォーダンの力に飲み込まれた状態か。

 グルートが言っていた「存在を統合する光」というものなのか?

 オレの――私の一族もまた、7代遡り消滅させられてしまったのだろうか。


 ならば……何もかも終わってしまったということか。

 テオやシェーレ達同胞に、告げた言葉を何も果たせぬまま。

 王子シャルムとの再会もせぬままに。


 ――ふと、脳内に紅い光がちらついた。

 銀の髪の下から覗く、紅の。

 真っ直ぐにオレを照らす双眸。

 膝を折りかけた心が、その灯火を思い出して止まった。

 共に帰ると、約したその言葉を。


 するすると糸を解くように何もかもが戻ってくる。

 握りしめた細い四肢の感触、指先に絡みつく白銀の髪。

 オレの手を受け止める――柔らかい、肉の弾力。

 小さく見えて、実はそこそこあるその――と、思い出した瞬間に、むくむくと生きる気力が戻ってきた。


 ――死ねない。死ねるものか。

 こんなところで、何だか分からないものに飲み込まれたまま。

 オレにはまだ、やりたいことがある。

 義務ではない、責務でもない。

 ただ欲望のままに、やりたいことが。

 そう望んだことで、ようやく頭が回り始めた。


 つまり――オレはまだオレ(・・)として何かを考えているということに気付いた。


 良くは分からないが、「統合」と言うからには、オレは何かと一緒くたになるはずなのだろう。

 だと言うのに、今ここにいるこのオレ(・・)は、誰も混ざってないただのオレ(・・)だ。

 恋人の身体を思い出してやる気が蘇ってくるなんてバカ野郎は、如何にもオレ(・・)でしかない。


 周囲を見回してみる。

 最初はただ真っ暗な闇にしか見えなかったが、よく見れば向こうの方に仄かに明るい。

 誰かがいるようだ。

 近づいて見たいが、どうすれば良いのだろう。


 地面の触感がないので走っているのかどうなのかも良く分からない。

 難しいが……とにかく、足を動かしてみる。


 動いていても、周囲の風景は変わらぬし、移動しているという実感はない。

 しかし、人影が段々大きくなっているので、どうも近付いているらしい。

 途中まで寄ったところで、光のそばにいるのが見知った人物だと気付いた。


「――アイゼン!」


 呼びかけたが、返答はない。

 小さく身体を丸めてうずくまる白虎将軍は膝頭をぼんやりと見つめていた。


「……何故、置いていったのだろう。何故、私に言わずに」

「アイゼン?」


 ようやく近付いたと言うのに、アイゼンの方はとんとオレを見ていない。

 こちらに気付かぬまま、立ち上がる。


「戻れるのだろうか。共にいたあの頃に。また、傍らにいられるのだろうか。すべてが1つになれば、別れなどなくなるのだろうか」


 左右に身体を揺らしながら、遠ざかっていく。

 独白のように唇から漏れる言葉が、少しずつ小さくなる。


「1人は孤独だ。顧みられないのは苦しい。本当の私など誰も知らない。勝手に期待をかけて、勝手に失望し、勝手に去っていく。だが、もし喪ったものが戻るなら……」


 取り残されたアイゼンの嘆きは、どこか、オレにも覚えのあるものだった。

 誰もオレの真実など求めていない。

 ただ、オレの立場を、上っ面を求めているだけだ。

 ――そんな風に、思っていたこともあったから。


「――ふざけんなよ、てめぇ!」


 ふわふわと頼りない足元を踏みしめ、アイゼンの背中に駆け寄る。

 その肩を掴んで、大声で引き戻した。


「誰に何を求められようが、オレはオレだ! 言うも言わぬも信じるも信じられぬも、装うも装わぬも全てオレが決める! 何かと混ざって1つになったからって、手に入ると思うなよ! そんなヤツに、妹を――フルートをやれるか!」


 はっとこちらを向いた金色の瞳が、オレの顔に焦点を合わせた。


「……ヴェレ?」


 確かにオレを呼んだ声の確かさに、一瞬ほっとする。

 答えようとした瞬間に――ぐらり、と視界が揺れた。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 円滑な統合のためには個の主張を出来る限り抑え、受け入れさせることが必要である。吸収されてしまえば、もう己の抱える苦しみに悶えることはない。そも、この惑星せかいはすべてが1つで、1つであったときには何も苦しみなどはなかったのだ。お互いに捕食し、捕食されることはエネルギーの位置移動であり、それ以上の理由などはない。それだというのに――


『――高度に発達した北の民が、自我を持ったことで、全ては変わり始めた』


 延々と頭の中を流れていた意味不明な言葉が、ようやく音声であると認識できた。

 男とも女ともつかぬ平坦な声が、頭上から降っている。

 ふと気付けば、オレ達の前に立ったシャッテンが、魔術で起こした土壁でグルートの炎を遮っていた。


「あーもう、面倒くさい! ヴェレは起きましたか!? ちょ、はよ替わってくださいよ、レーグネン!」


 悪態をついているが、額に汗が流れているところを見ると、事実としてかなり厳しい状況らしい。

 その足元で土壁に背をもたせかけ、軽く頭を振っているのはグリューンだった。

 目が合うと、笑いかけられる。


「お前さんも起きたか? どうもそんなに時間は経ってなさそうだが……うっかり引きずり込まれるかと思ったぜ。たまにはシャッテンも役に立つもんだな」

「あなた方の役に立つためにいる訳じゃないんですけどね!」


 どうやら、ヴォーダンの光に取り込まれたオレ達を、咄嗟に動いたシャッテンが救ってくれたらしい。

 グリューンの言うとおり、最後まで壁際に潜んで手を出さないヤツというのも、時には役に立つものだ。


 シャッテンに声をかけられた当のレーグネンは、オレの真上にいた。


「……ヴェレ!」


 グリューンとのやり取りでオレの目が開いていることに気付いて、抱き付いていた身体を引き剥がし、ほっとした表情で顔を上げる。

 気を失ったオレを心配してくれていたようだ。オレと一緒に光を浴びたはずなのだが、先に目覚めていたのだろうか?

 その紅の瞳に微笑み返そうとして――その背の向こうに、1人の男が立っているのに気付いた。


 漆黒の瞳と髪を持つその男の顔に、見覚えはない。

 だが、何故かどことなく懐かしいような。


『北の民は我ら惑星の意識体から外れ、独自の道を歩み始めた。本来は『我』という概念すら不要なものであったというのに、『我ら』とは別の存在がそこに有ってしまえば、彼我を分割する概念を持たざるを得ない。この状態は『我ら』が存在を始めてから初めて観測された状況で、極めて不安定なものである。よって――』


 どうやら、この平坦な声と意味の分からぬ説明は、この男の口から流れているらしい。

 表情の変わらぬまま、声だけを落とすその存在に――ふと、思い当たった。

 この男の顔は、オレの親父や祖父に良く似ている。

 まるで、今までのオレの祖先を皆集めて、均等に割ったような――。

 この場に立ち、北の民の姿を借り、惑星せかいの成り立ちを語る者――その名前を、オレは知っていた。直接姿を見たことはなかったが、かつて儀式(・・)の折に交わした声と、この声は良く似ていた。


 レーグネンの横にひざまずいているフルートが、その姿を見上げて声を上げた。


「まさかあなたが、主神ヴォーダンさま、なのですか?」


 その声で目が覚めたのだろう。

 フルートの陰から、アイゼンが頭を振りながら起き上がってくる。

 男は――ヴォーダンはフルートの問いに答えもせず、言葉を続ける。


『――よって、再び1つになることを目的として、『我ら』は北の民(そなたら)に力を貸すことにした。『我ら』に差し出された触媒を通じて、『我ら』と共に歩む道を開くことを』


 それは、生贄。

 主神ヴォーダンに捧げ、それによって、北の民の敵を壊滅させる術。

 いや、ここまでのヴォーダンの話を総合するに――本来は、そういうことではなかった……のか?


『触媒の知識を取り込むことにより、我らは惑星外生命体まものの存在を知った。そして、外宇宙とつくにの概念を。今や、この惑星せかいはかつての大いなるいちではなく、『我ら』と北の民(そなたら)は完全に分断され、見知らぬ異星人まれびとに食い荒らされている。大いなるいちへの希求を抱える我らの存在と目的に、最も早く気付いたのは、惑星外生命体の1つ、人族であった』


 ――では、それが、王弟ドラートだということなのだろうか。

 ヴォーダンの実在に気付いたからこそ、オレを――長の子を思うままに操ろうとしていたのか。

 もしくは順序が逆で、オレの使う『穢れ』の力を見たから、ヴォーダンのちからに気付いたのか。


 今までヴォーダンを無視していたレーグネンが、ゆっくりと立ち上がる。


「……この植民船ファールツォイクの長として、あなた方が住まっていた地を奪った非礼は詫びる。我らもまた生けるもの故に、己の生命を救うために最善と思われたことをした。あれ以上の宇宙空間での生存は不可能であり、また――あなた方は、あの時、我らの呼びかけには答えなかった」

『呼びかけに答える声を持たなかったが故に。『我ら』は北の民より言葉を手に入れた。北の民は異星人まれびとより言葉を覚えた。『我ら』と異星人まれびとの間に意思疎通の基盤が芽生えたのは近年のことである。更に、こうして対峙するという方法を見知ったのは、たった今受肉したことによるものだ。あの暁に異星人まれびとに答え得る手段などはなかった』

「だとしても、だ。あなた方は1つになることを望んでいる。そうだな?」

『そうだ。『我ら』は変わらず、大いなるいちに戻ることを希求する』

「例え我らがこの惑星せかいを去ったとしても、元の通り北の民を――ヴェレを取り込むつもりなのだな?」


 レーグネンの手がこっそりと背中に回る。

 何かを求めて開いたその手のひらに、オレは自分の手を載せた。

 下からぎゅっと、痛いほどに強く握ってくる手を、オレもまた握り返した。


「……ヴェレを、あなた方に差し上げる訳にはいかない。これは俺のものだ――!」


 宣言に対峙しても、ヴォーダンは顔色1つ変えなかった。

 いや、この存在に、顔色(・・)という概念があるのかどうか、そのことすら明確には分からない。


異星人まれびとの長よ。汝らはもはやこの惑星の民である』


 優しくすら聞こえるその言葉は――だが。


『汝らもまた、大いなるいちの一部である。共にあれかし』


 即ち――外宇宙とつくにに逃すことなどせぬ、というヴォーダンの意志のあらわれだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ