21 一部分の目的
リナリアの冷たい視線を背中に感じながらも、結局は何も言い出せぬまま魔王城へ到着した。
ヤーレスツァイト王国の王都シュトラントにも王宮はあるが、魔王城はその佇まいからして異なっている。
見上げれば、その高さは王宮の3倍もありそうだった。
何で出来ているのか予測もつかない外壁は、艶のない金属板のように曖昧に光っている。近くで見ても継ぎ目がわからないので、金属ではないと思うが……では何かと言われれば見当がつかない。
壁を観察するオレの様子で、大体言いたいことが分かったのか、レーグネンが苦笑しながら寄ってきた。
「魔王城は、元は宇宙船だよ。虚空を飛ぶための」
「……あんたらが乗ってきたヤツってことか」
そう言われてみれば、船のような形をしている……ような気もしなくはない。いや、良くは分からないが。
「まだ土人……いや、土人達も現役だからな。飛ぼうと思えばいつでも飛べる。まあ、ようやく落ち着いたこの惑星を後にしてまた真空を彷徨いたいなどとは思わないが」
レーグネンは魔王城の外壁を撫でながら、苦笑した。
「先住民たるあなた方が『出ていけ』というならば、考えねばならぬだろうな」
「……オレは、別に」
出ていって欲しいなどとは思っていない。
だが、それを素直に伝えるのも憚られる。
黙り込んだオレを一瞥してから、レーグネンは無言のままその場を離れていった。
しばらく壁を回ったところで立ち止まり、声を張り上げる。
「ファールツォイク、扉を開けよ! 主の帰還だ」
一瞬の沈黙の後、どこか尖った男の声が壁の中から返ってくる。
「……いいえ。本船の主人は魔王陛下及び四神将軍であり、あなたに本船への命令権限はありません」
「……と、いうことだ」
くるりと振り返ったレーグネンが肩を竦めてアイゼンを見た。
アイゼンは眉を顰め、唸るように声を上げる。
「……声紋も網膜パターンも変わっているのか。だがそもそもそれでは、実験が失敗した後、魔王城からどうやって脱出したんだ?」
「出るのはあっと言う間だったぞ。ファールツォイクは登録されていないユーザーをまず外へ排出するように命令を受けているからな。今の『俺』はファールツォイクにとって、未登録ユーザーらしい」
「青龍将軍としても認識できないのか?」
「ダメだった。混ざった時にどちらでもないものになってしまったんだろうな。失敗の直後に、リナリアが俺を主様と認識してくれたのがありがたくて仕方ない」
「わたくしをファールツォイクと比較するおつもりでしたら、最悪な発言であると申し上げることとなりますが」
ひんやりと冷えたリナリアの反論に、アイゼンとレーグネンが同時に苦笑を返した。
「今のはレーグネンの冗談だよ、リナリア。今のレーグネンが元の魔王陛下と青龍将軍を混ぜたものだというのは、魔力の気配を感知出来る者なら理解出来るに違いない。私にだって、2人の魔力の気配がするのは分かる。連続性を持って考える我々はそこを判別できるのだろうが、不連続なファールツォイクにはこの判断が不可能なのだろうな……」
「『俺』の他に新規登録権限を持つのは四神将軍だけだ。青龍将軍のパスは効かず、朱雀将軍は今にも反旗を翻そうとしている――となれば、白虎将軍を迎えに行こうと考えた俺の考えは、分からなくもないだろう?」
「ちょっと! まだ私がいますけど? 何で素直に私にお願いしないんですか、あの時はまだ魔王城にいたのに! 魔王陛下が行方不明なんてことになるから、わざわざ私が探しに行くことになったんじゃないですか!」
2人の間に割り込むようにシャッテンが首を伸ばしたが、レーグネンとアイゼンは冷めた視線で見返すだけだ。
「そりゃあ、あなたに頼めば何を言われるか分からぬからだ。実際、ヴァイス伯爵領で行きあったとき、あなた最初実験が失敗したと聞いて、大爆笑しただろ。自分だって、人族の手に落ちて牢にとっ捕まってた癖に」
「そのときはあなたがレーグネンだと思ってたからですよ! 半分は魔王陛下だということさえ知っていれば……!」
「知っていれば、再登録の手間の代わりに何を要求しただろうな。君ならまあ……身体とかそういう短絡的な方向にはいかないと思うが、だからこそ恐ろしい」
「は? 再登録なんて手伝いませんよ。私がずっと横にいれば、登録する必要性なんかないでしょう。ふふふふふ……そうすれば私は親愛なる魔王陛下と四六時中一緒……一緒にいざるを得ませんよね? ね?」
「結局あなたに頼むという選択肢はないということだな」
会話の中、ところどころ分からない内容はあるが、どうやら魔王城の扉の開閉には「登録」という行為が必要になるらしい。それが出来るのは魔王と四神将軍のみ。最も頼りになる白虎将軍が王国領に囚われていたために、助け出さねばならなかった、というのが事の顛末なのだろう。
「……おい。あんた、オレには、王国と和平をとか言ってなかったか?」
「それはそれで真実だ。グルートが暗躍していたのは薄々勘付いていたのだから、王国と手を組むに越したことはあるまい。そもそもあなたに『ユーザ登録するためにはアイゼンを助けねば』とか言ったところで分からぬだろ?」
ほら、これだ。
嘘ではない。
だが、すべてを語るワケではない。
レーグネンとはこういうヤツだ。
それなのに何となく信じたくなってしまう自分がイヤなのだ。
「……だろ?」と問いかけられると、咄嗟に頷きたくなる自分が。
「まあ、君の再登録なんていう重要任務があるのだから、私があそこで死ななかった甲斐もあるな」
苦笑したアイゼンの背中に、今まで口を挟まなかったフルートが後ろから抱き付いた。
抱き締められたアイゼンは一瞬目を丸くしてから、口の中だけで「すまない」と謝る。
「ルーよ、私は君を随分傷付けたのだな……」
「そんなのどうでも良いよ。でも、死なないことに役目なんて必要ないじゃない。わたしにとっては、アイちゃんがここにいることが全部だから」
「ルー……」
そっと手のひらを重ねる2人。
何となくレーグネンは見守る体勢に入っているし、リナリアはそもそも口数が多い方じゃない。
シャッテンはアイゼンにもフルートにも興味がないし、グリューンはむしろ積極的に頷いている。
飛竜騎士達は食事中……ということで、現時点でこの2人を止める要員はオレしかいなかった。
ため息をついて、フルートの肩を後ろに引く。
はっと目を開いた妹は、肩越しにオレを見上げてきた。
邪魔されたアイゼンもどことなく険のある眼差しでオレを見る。
が、オレだって荒ぶる戦士達を取りまとめていた経験がるのだ。そんな視線の威嚇に負けたりはしない。
黙って顎で魔王城を指してやると、ようやく己のやるべきことを思い出したアイゼンが踵を返した。
「ではレーグネン、再登録を始めようか」
「うむ。助かる」
「登録名はどうするんだ? 魔王にするか? それとも青龍か……」
レーグネンはオレをちらりと見て、すぐに視線を戻した。
「俺の名前はレーグネンだ。魔王でも青龍将軍でもない今の俺には、その名前しかない」
そのことがむしろ誇らしいとでも言うかのように、紅い唇が楽しげに歪んだ。
……ほら見ろ。
オレは、その真っ直ぐな答えに、心を侵されそうになって息を吐く。
レーグネン――かつてオレを助けてくれた誰とも知れぬ少女に、その名を与えたのはオレだ。
そんなことを……ただ、ふと過ぎった名前を口に出しただけのことを、こうして胸の奥から大切そうに取り出してくる。
まるでそこに、何か――愛に似た何かがあるかのようじゃないか。
そんな生き物ではないと分かっているのに、そうだと思いたくて仕方ない自分の弱さを恨んだ。




