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20 一人占めの偶像

「……で、用とは何だ」


 夜更けの森の奥、レーグネン達が焚いている炎が右手の遠くに見える。

 仄かな明かりに照らされて、緋色の女は頬を染めているようにも見えた。

 夜に紛れ、妙齢の美女に袖を引かれて2人きりになるなどというシチュエーション、男なら誰でも期待で胸が高鳴るんじゃないだろうか。


 ……が、そんな美味しい状況にも関わらず、オレの心は落ち着き払っている。

 何故ならば。


「――主様ぬしさまのことです」


 どんな状況であっても、興味のないふりをしていても、この女(リナリア)の頭にあるのは常に己の主人のことのみである、と既に認識していたからだ。

 それはもう、しっかりと。

 あいつと2人でいる間、ずっとこちらをちらちら見ているリナリアの視線は、オレですら気付く程にあるじの背中のみを追っているのだ。


「あんた、こないだからちょっとオレ達のこと気にしすぎじゃないか。幾ら主従関係とは言え、オレもレーグネンも、あんたからすれば所詮は他人だ。放っといてくれよ」

オレも(・・・)レーグネンも、とは大層な言い様ですこと。自分と主様を同列に語るとは、偉くなったものですね、愛玩動物の分際で」

「おい」

「ただの冗談です。わたくしだって愛玩動物とそう変わりはないもの」


 あっさりと返答してくる。

 が、その声に含まれた微量な毒と諦めに、ささくれだっていたオレの神経はますます苛立った。

 とりあえず言うことを聞いて話を聞いてやったのだからもうこれで、1人で勝手に気にしてろ、と言い置いて放置しても良いような気がしてきた。

 遠い篝火を見ながらそんなことを考えていると、まるで行く手を塞ぐが如くリナリアがオレの方へと歩み寄ってくる。


「……おや、ご不満ですか」

「まあな。あんたが愛玩動物なのかどうかは知らないが、オレはあんたの憂さ晴らしの道具じゃない。主様ヌシサマに相手にされないからとヤキモチ焼かれても構ってやれる程、暇じゃないんでね」

「あら、わたくしに対しては随分と饒舌ですのね。主様を相手にするときとは違って」


 鼻で嘲笑われて、積もった苛立ちが爆発した。


「おい……あんた、何が言いたい?」

「何故、問いたいことをそのまま問わぬのかと言っているだけですが」

「好きで黙ってるワケじゃない」

「では、口に出せばよろしいのでは」

「何を言えば良い。『貴様の妙な実験なぞ、付き合ってられん』とでも言えば良いのか?」

「本気でそうお思いなら、言ってみては?」


 別れを告げると等しいと知って、言えると思っているのか。

 答えようとして、その答えはこの場には適切じゃないと認識した。

 それを口に出すと言うのは……別れたくないと言っているのと同じじゃないか。


「あ、いや、そうじゃなくて……つまり、おかしなことを企むあいつに嫌気がさしたと言うか……」

「ならば、そうおっしゃればよろしい」

「あのな、何でもかんでもあんたみたいに言えるかよ! あんた、オレ達の間を引っ掻き回したいのか!? あいつのこと大好きだもんな、これで別れりゃ良いとでも思ってんだろうが」


 今度こそこちらから近づき、襟首を掴もうとしたがするりとかわされる。


「別れれば良いと思ってますよ、当然でしょう」


 こちらの反応より早く、横に回ったリナリアの囁く声が耳元に吹き込まれた。

 温かい息の感触に、慌てて身を引く。

 が、それを許さぬように、喉元に柔らかい両手が回ってきた。


「――当然でしょう? あなたのことを、愛してしまったのだから」

「んな――っ!?」


 咄嗟に振り払おうとしたが、密着した身体が柔らかそうに見えすぎて、触れることが出来ない。

 どこに手を置けば良いのか分からぬまま、とにかく足を下げた。

 リナリアが腰を寄せてくる。

 下がる。

 太腿が擦り付けられる。

 下がる。

 ボリュームのある胸元が寄ってきてオレの鎧との間で押し潰され――下が――ろうとしてつまずき、尻もちを突いた。


「がっ……!」


 胸板に緋色の女を乗せたまま、地面に座り込む。

 上から首元にしがみついて、唇が這い上がってきた。

 喉、顎、頬――そして、オレの鼻先で止まった赤い唇が、薄く開く。


「……お、おい――!」

「――と、いうだけのことなのに、あなた少し揺さぶられ過ぎでしょう。その年にしては、経験が足りなさ過ぎるのでは?」


 突き放されるように解放された。

 見下ろしてくる緋色の瞳は、いつもの通りの涼しさ。

 安堵で吐く息と共に力が抜け、オレはその場にへたり込む。


「……おい」

「傍から見ておりましたが、あなたも主様ぬしさまも肉体関係をがっつきがちな癖に、妙なところで自制心が強すぎるのです。主様の方も、齢千歳を数えて思春期とは甚だ嘆かわしいことですが、あなたの思考回路も幼くて困ります。好きな子には正直にモノが言えないなんて、初心うぶなねんねじゃあるまいし」


 すらすらと悪態をつきながら、リナリアが立ち上がった。

 その背中の向こうに、レーグネン達の焚いている篝火が微かに見えている。

 リナリアの表情は、完全に影になってしまい、下からは見ることが出来ない。

 影はオレから顔を背けると、影になった唇を動かして言葉を紡ぐ。


「わたくしは所詮……このせかいへ向かう宇宙船ふねの中で育てられた金魚草です。主様ぬしさまの魔力により言葉を得ましたが、金魚草たる身では龍族である主様と睦み合うことなど出来ません。だからこそ、あなたの存在は妬ましく羨ましい……」


 感情の欠片も感じられぬ声だが、その言葉が嘘であるとは、もう思わなかった。

 唇が震えているのが、その輪郭だけで分かってしまったから。

 だから、オレの言葉は、リナリアを傷付けるためのものじゃない。


「そう思うなら、あんただっていつだって言えば良い。愛してるって、お前が好きだって」


 しかし、リナリアの視線はこちらに向かぬままだ。


「勿論、わたくしはお伝えします。主様はご存知です。ただ……あなたのような不躾なおのこの見ている前ではそうと言わないだけで」

「オレの知らないとこで言ってたって?」

「当然でしょう。花の生命は短いのですから……わたくしが枯れ落ちて次の花が咲く前に、想いは伝えなくては」

「次の花って……」


 そう言えば、前のリナリア――あのレーグネンを溺愛していっときも離れなかったリナリアと、今のリナリアは別人だとレーグネンは言っていた。同じ種から生まれても、別の花だと。


「……しかし、記憶は共有してるんだろう?」

「記憶が同じでも、人格は同じではありません。ただ……子どもというものは生まれ落ちた時から、生みの親を愛するものなのでしょう? わたくし達が主様を愛するのも同じようなものです。愛しさと記憶だけが植え付けられた別の花」

「いや、だがあんた――」


 オレの制止の声を無視してくるりと背を向けると、柔らかい袖が辺りを撫でるように舞った。

 そっと空気をはらんで落ちた袖が、オレの顔の前を通り抜けて、静止する。


 ……が、その立ち位置はヤバイ。

 位置的に、緋色の衣が篝火の光に透けて、むっちりとした腰つきが柔らかいラインで顕に見えている。

 この辺りで、正直な話、リナリアの言葉が耳から奥に入ってこなくなった。


「主様が実験を試みていたことは紛れもない事実です。魔王城へ着けば分かる、玄武将軍の言っていることも本当でしょう――」


 触っているワケじゃないからシルエットでしか判断出来ないが、胸もあれ、かなりでかいと思う。

 触ったことのあるモノと比較するなら、レーグネン3人分はあるんじゃないだろか。


「――ですが、お願いです。どうかきちんと言葉を交わしてください。花の生命は短いもの。わたくしの残された生命だってあと僅かしかない。次のリナリアになる前に、主様の幸せなお姿をこの瞳に焼き付けておきたいのです――」


 待てよ――ということは、さっきの隙に触っておけばよかったのか。

 何で引いた、何でそこに思い至らなかった、自分よ……。


「――そんなのは本人に任せておけば良いとお思いでしょう。ですがだって、今のあなたではまるで、裏切られるのを恐れる子どものように頼りなく、て……?」


 妄想に没入している間、滔々(とうとう)と流れていた言葉が、ぴたりと止まった。

 声が聞こえなくなってようやく顔を上げたオレと、リナリアの緋色の視線が合う。


「……あの。聞いておりましたか?」

「え? あ、いや……おう。聞いてた。聞いてたよ。魔王城へ着けば分かるんだろ? 花は色々あるし、ほら焼き付けるものだし、瞳に」

「……? いやまあ、そういうことなのですが……」

「任せとけって。分かってる。焼き付けるよ」

「いや、あなたではなくて、焼き付けたいのはわたくし……」


 この暗がりに2人きり、もっと奥に誘いこみたい――が、さすがにそれをすれば、オレとレーグネンの間に決定的な破局が訪れることは理解していた。

 手が出せない。惜しい。

 ため息をついたリナリアが、黙って篝火の方へと向かっていく。

 オレはその背中を見ながら、ゆっくりと地面から起き上がった。

 肩越しにリナリアがそっと囁く。


「……いずれにせよ、わたくしはあなたに期待しているのです。主様ぬしさまを横で支えるモノが、どうかいて欲しいと思っておりますから」

「それは――」


 それは、向こうの考え次第だ。

 リナリアが何を考えていようが、レーグネンが求めているのはただの実験動物だとしたら……オレがそんなものになれるワケがない。


 リナリアに言われずとも、分かっていた。

 それは、問い質さねば分からぬたぐいのことだということくらいは。

 だが――同時に、もう1つ理解もしている。

 問えば、返ってくるのが嘘か真か、オレに本当に見分けることができるのだろうか?

 レーグネンが微笑むだけで、もうそれだけですべてを受け入れてしまいたくなる程に、心の弱い自分などが。

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