19 一渡りの苦言
「……違う」
「何が違うものですか。元のあなたならそれくらい考えますよ、レーグネン。己以外の種族に負担をかける実験など、魔王陛下は決して許しはしないでしょうが」
ようやく絞り出されたレーグネンの声を、嘲笑うようにシャッテンは囁く。
飛竜騎士の副団長が、玄武の巨体を避けて砂浜の端に下りている。その背からようやく降りたリナリアが、こちらを怪訝そうに見ているのが視界の端に映った。
こちらに歩み寄ってくる緋色の瞳が、レーグネンを見た途端、表情を変える。
「――主様っ」
彼女がこちらに着くより早く、シャッテンがオレの背に歩み寄り、額を近付けてレーグネンの顔を覗き込んだ。
「グルートが今更暴走したのだってそのせいでしょう、レーグネン。あなたが実験を試みていることを知って、彼は自分の種を保ちたかった。あなたの魔手から人族達を守ろうとしたんじゃないですか」
レーグネンが身体を震わせたのは分かったが、オレに何が言えると言うのか。
駆け寄ってきたリナリアが、オレの後ろからシャッテンとレーグネンの間に立ち、その背にレーグネンを庇った。
「……玄武将軍。我が主に対するそれ以上の憶測による暴言はおよしください。何の証拠もなく、此度の戦乱の責を負わせるような発言は許せません」
冷ややかな声に拒絶されて、シャッテンは息を吐く。
ちょうど寄ってきたグリューンも、シャッテンの肩を叩いた。
「おい、いい加減にしとけよ、シャッテン。お前さんが何を言いたいのか知らんが、仲間同士だろう、もう少し言い方考えて……」
「私が何を言いたいか? そんなの決まってるでしょう。アレもコレも騙したまま話を終えられると思ったら大間違いだって、そう言いたいだけです。レーグネンが私の仲間だって言うなら、そもそもグルートだって私の仲間だったんですよ、こないだまでは。時々ガタガタすることがあっても、ね」
グリューンに肩を引かれるようにして、シャッテンはその場を一歩離れた。
最後に、レーグネンへ向けた冷たい一瞥を残して。
「私はね、多分あなたが思っているよりも、状況をよく理解していると思いますよ。あなたはかつてのレーグネンと同じ存在ではなく、また魔王陛下とも別の思考回路を持っている。正直な話、グルートやアイゼンがこういう結末を選んだのが、あなただけの責任だとも思ってません。ですが――しかし――だからこそ、その失敗からは是非とも学んで欲しい訳ですが……どうもあなたにはそのつもりはないようですねぇ。大好きな愛玩動物くんにまで適当なこと言って誤魔化してるようじゃ」
「……どこへ行く?」
背を向けて歩み去ろうとするシャッテンの背中に、レーグネンの弱々しい声が投げられた。
こちらを振り向かぬまま、答えだけが返ってくる。
「まだ魔王城を落としていないでしょう。あれを片付けねば、魔王領は安泰とは言えません。あなたがどういうつもりであろうと、私はまだ冥府へ赴く気はありません。敵はぶっ潰さなくては。私にだって自分の領地があって、そこには我が子どもたちが待ってるんですから」
「……俺も行く。少し待て」
「来るつもりがあるなら、さっさと自分の問題を片付けてくださいね。私、そんなに気が長い方じゃないので」
シャッテンとグリューンが遠ざかったところで、俺の背中から離れたレーグネンが「こちらを向け」とオレを呼んだ。
だが……オレの身体はさっきから固まったようになっていて、思うように動かない。
振り向かないオレの――私の様子に、レーグネンは少しだけ躊躇ってから、自分が正面に回る。
リナリアが表情の変わらぬ中にも心配げな様子を見せて、その脇に立つ。
並ぶ2人の姿にすら嫉妬しそうになる自分の感情が分からない。
「主様……」
「大丈夫だ、リナリア。……ヴェレ、あなたは信じぬかも知れないが――」
何を言うのかは分かっていた。
また誤魔化すつもりなのだろう。
絆される方が愚かだと、私は知っている。
「――シャッテンの言った実験とやらは、事実なのだな?」
返答はなかった。
沈黙が答えの全てだった。
「……貴様が何を目論んでいようが、私には何の関係もない。貴様との婚姻が我が一族の為になると言うならそれで良い。言っている意味が分かるか?」
レーグネンの紅い瞳が険しさを帯びる。
「俺が、魔王の座に戻ることが、交換条件になるということか?」
返答はしなかった。
こちらもまた、沈黙が答えの全てでしかない。
視線が逸れて、レーグネンは小さく頷いた。
「……あなたの気持ちは分かった。少し考えさせてくれ」
リナリアが鋭い視線をこちらに向けてくる。
だが、私には続ける言葉などなかった。
どうでも良い。馬鹿馬鹿しい。
口を開けば、先に裏切ったのはそっちだなんて、くだらない言葉が出てきそうだ。
自分が騙されているなんて最初から分かっていて、逆にそれを利用してやろうと思っていたのがオレだって言うのに。
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「あのー、私、仲直りしてから来いって言ったんですけどー? 何でこんなくらーい雰囲気なんですか? お通夜ですか?」
シャッテンの言葉に答える者はいなかった。
皆、自分の手元だけを見詰めている。
魔王城を目指すとは言っても、疲弊したままでは難しい。
海岸から踏み入った森の中、少し開けた場所で一旦休憩を取ることになった。
朱雀将軍に待ち伏せされているくらいだ。どうせ、ドラートも既に準備を整えているだろう。
レーグネンは、拙速よりも着実な侵攻を選んだ。
「あのー? 聞こえてます? グルートの弔いでもします? よくよく考えたら、玄武で踏み潰しちゃったりなんかしたんで、グルートの死体はもうゾンビにもスケルトンにも出来ないなぁって、私、今すごい反省して――もがっ」
「――ちょっとお前さん、黙ってろ」
グリューンが横から手を出して、シャッテンの口を塞いだ。
ありがたい。
グリューンの手から逃れたシャッテンが、ぼそぼそと文句を言う。
「……何するんですか、グリューン」
「そもそもお前さんが言い出したことが全ての原因なんだよ。何でそれを煽るんだ」
「私が言わなくても、あのまま行こうとしたらいつか破綻してましたって。だってこれから魔王城へ行くんですから……以前から聞いてた話だと、あそこにはレーグネンと魔王陛下の研究のあれこれが残ってるはずなんです。ま、こっそり隠すつもりだったのかもしれませんが、そうは問屋が下ろしま――痛っ!?」
無言のまま後ろからぶん殴ったのは、リナリアだった。
文句を言おうと立ち上がったシャッテンは、リナリアのこれ以上ない程冷えた視線と目が合うと、そのまま黙って再び座り込んだ。
ついでに口も閉じてくれたので、今度こそ反省――は、してないだろうが、とりあえず静かにはなった。良いことだ。
しかし、問題はリナリアの凍るような怒りが、そのままスライドして私にも向かっているように見えることだ。
さすがに何も言わない私に突然暴力を振るうようなことはしないが――
「――ヴェレ、ちょっと付き合って頂けますか?」
――前言撤回。殺されるかもしれない。
しかし、この状況で断るような勇気を持てる者もまた、いないだろう。
私は黙って立ち上がり、屠殺場に引かれる家畜の心持ちで、リナリアの背中を追う。
横をすり抜けた時、レーグネンが何か言いたげな顔をしていたような気がしたが――そこで交わす言葉などはなかった。




