16 一枚落の反撃
吹っ飛ばされながら、腕の中のレーグネンを抱き締めた。
落ちる途中で、朱雀の羽に身を巻きつけ諸共に海へと向かう青龍が目の端に見えた――が、自分も墜落しているせいで、その結果を見ぬ内に目の前が暗くなっていく。
真横を掠めて上へと遠ざかっていった飛竜の1頭が何かを叫んだ気もしたが、うまく聞き取れなかった。
掠めた後で慌てて手を伸ばしてみたが、当然ながら指先は鱗にすら引っかからず、ひたすら落下が続いていく。
気圧の変化が急すぎて、いつの間にやら気が遠くなり――
「――っがはっ!?」
突然、背中に何かが衝突し、肺に残っていた空気が勢いで口から吹き出した。
オレの真下の何かは衝撃に耐えきれず、オレの背中に押し潰されるように諸共に落ち始める。
その、落ちている途中に真上に向かって伸ばされた爪が、羽毛を撒き散らしているのが見えた――これ、人面鳥兵かよ!
間もなく同じような衝撃の後に、再び落下が始まる。
最初にぶつかった人面鳥兵が、更に下にいた人面鳥兵にぶつかったらしい。
「……どうだ! 俺の計算は完璧だろう!」
落ちながら、腕の中でもごもごうごいた身体が、ほとんど悲鳴じみた声色で声を上げる。
そこでようやくレーグネンが考えていることを理解したオレは、一族の子ども達が遊ぶ玩具を思い出し、頬を引き攣らせた。
散らばった小石に向けて、手元から別の石を放り投げる。
手石のぶつかった小石がまた次の小石にぶつかり、小石がかち合う。こうして石を取り合っていく遊びなのだが――もしかして、今、オレ達はそんな状態になってるんじゃないだろうか。
力加減やぶつける向き、回転の掛け方などで石の飛び方が違うのは知っているが、まさか同じ要領で、自分達の身体の飛んでいく方向まで計算して敵を巻き込もうとするバカがいるとは知らなかった。
どんなに人面鳥兵が密集している方へ向けて跳んだとしても、丁度良い落下距離の間に人面鳥兵がいなければ、次の人面鳥兵にぶつかった時には、墜落の衝撃で内蔵が潰れるところだ。少しズレただけでも致命的になる。
理解したことで、ようやく現実の恐怖が追いついてきて背筋が冷えた。
オレ達の真下――先に落ちた朱雀と青龍が、絡まりあったま海面へと落下する。海を割るような大波が上がり、吹き上がった海水が真下から身体を叩く。
しぶきの中、また背中の下で人面鳥兵がぶつかった。
もう何度目かの激突の感覚を覚えた直後、ついに、オレの身体は海面へと突っ込んだ。
海水の柔らかい腕に抱き込まれるように、腕の中のレーグネンも一緒に落ちた人面鳥兵も、諸共に水底へと突っ込んでいく。
どちらが上で、どちらが下か。
割れた海面が水しぶきの中に見えなくなった後は、息を詰めたままただ揺れるだけになった。
身体を取り巻く温い水の中で、レーグネンの身体だけが、確かな存在に思える。
足掻こうにも、何度も受けた衝突の勢いで、手も足も思ったようには動かない。
身を捩るように海面を探すオレの腰を――誰かが、引いた。
海水の間を縫って上を目指すその力に、オレは抗わなかった。
頭が海上に出た――と思った瞬間、止まっていた呼吸が引き戻されるように勝手に肺の中に空気を吸い込もうとする。
何もかもが光っているように眩しく見えた。
「……ヴェレ! ヴェレ、目を覚ませ! 聞こえるか!?」
低い声がオレの肩を抱き、名を呼びながら揺さぶってくる。
オレを引き上げたのは、青龍将軍の姿をしたレーグネンらしい。上手いことオレの腕の中におさまっていたのだろう、オレと違ってどうやらぴんぴんしている。
海面に立ち泳ぎで浮かんだまま、勢い良く揺さぶってくる。
腹立たしい思いで呻き声を上げ答えた。
「……聞こえる……うるさい」
「よし! 生きてるな!? 生きてるんだな! おい、目を開けろ、答えろ! 死ぬな!」
「……生きてるから」
「――主様、どうぞこちらへ。お手を伸ばしてください」
ぐらぐら揺れる視界の中で、真上から緋色の薄衣に包まれた白い手が伸びてくる。
飛竜騎士団の副団長の上から呼びかける声は、フルートと同乗していたリナリアだ。
遠くで、シャッテンの哄笑が響いている。
「――上出来ですよ、レーグネン! 後は私に任せなさい! 『永久の眠り妨げられし、哀れなる我が下僕――玄武よ、蠢け』!」
ぞわり、と陸地の方で何か巨大な闇が噴き上がるように動いた気がしたが――波間に浮かぶオレからははっきりとは見えない。
ただ、その異様な圧力だけが感じられて、肌が粟立つ。
レーグネンはいつもキモいなんて表現していたが――もう、オレは今後、その言葉に笑って返すことは出来ないだろう。
朱雀の燃え立つ羽とも、青龍の迅雷の速度とも違う。
足元を広がる重い霧のような、闇の深さに。
「主様! ヴェレ!」
呼ぶ声は聞こえるが、たとえその手を取ったとしても、リナリアの細腕や非力なレーグネンが、まともに動けないオレの身体を引き上げるのは難しそうだ。朦朧とする意識の中でそんなことを考える。
ふと、リナリアの足元――海面すれすれを旋回し続けていた副団長が、頭をもたげた。
直後、嫌そうに引きつった唇が、海水に向けて突っ込まれる。
がぱ、とオレの真横で口が開いたかと思うと、オレとオレに抱きついたままのレーグネンと大量の海水は、全部まとめて暗い口の中へと吸い込まれた。
がしゃん、とすぐ横で真四角な白い壁が固く閉じられ、日の光を遮る。
ぬらぬらと滑る柔らかい肉がオレの脇腹を支えていた。
「ごごごもももごもごぐごぐも……」
奥の真っ黒な穴の奥から、くぐもった副団長の声が聞こえてくる。
何を言っているかは全く聞き取れないが、とにかく不満げなことだけは理解した。
「いや待て、この状態が辛いからと言って呑むのはナシだ! さすがの俺も胃液に溶かされれば生還は難しいぞ!?」
「ぐぐぐぐもぐぐぐもももごもごも……」
「そこは関係ない! 肉食でなくても溶けるものは溶けるのだ! あなたが不本意なように、俺だってそれは不本意だぞ。早く陸地へ……!」
どうやら、オレと一緒に飲み込まれたレーグネンがひどく焦っているので、コレにはこの「ぐもぐも」で伝わっているらしい。
身体にかかる圧で運ばれているのは分かったが、奥の黒い穴――多分、食道へと続く喉の穴だろう――が時々ひくひくと蠢き、巨大で弾力のある肉の塊――多分舌だろう――が邪魔くさそうに身体を突いてくる。
助けられたはずなのに、正直生きた心地などしない。
だが、その濡れて沈む床――口の中なワケだが――の上でしばらく転がっていると、ようやく激突の衝撃に痺れていた手足が、多少は動くようになってきた。
闇の中で薄ぼんやりとしか見えないが、いつの間にやら、オレを抱くレーグネンの身体はまた魔王のものに戻っているような気がする。
柔らかく温かい、女の身体へ。
きっと多分もしかしたら……いや、やはり。
シャッテンの推測は正しいのだろう。
と、なれば、オレは責任を取らねばならぬのかも知れない――が、脱力した身体は頭にも十分影響していて、細かいことを考えるのが面倒くさい。
ただ、その柔らかさが好ましいことだけは短絡的に理解して、頬を寄せた。
相手が何かを言い返してくるより先に、真横にあった白い壁が上下に割れ、投げ捨てるように地面の上に落とされる。
唾液に塗れて転がったのは、白い砂の上だった。
波打ち寄せる砂浜まで運ばれたらしい。
直後、寝転ぶ腹の上に、レーグネンが座り込むように飛び降りてきた。
「――痛ぇ!」
「暗闇だと思って触りたい放題触りおって。そんなに触りたいならばさあ触れ! この衆目のなか白日のもとで!」
「何を求めてんだ、あんたは」
「嫁の座」
「おい!」
慌ててレーグネンを横に転がしてどけた。
隙あれば婚姻を迫ってくるのだから、たちが悪い。
そのまま上に乗せていると、何となく頷いても良いような気になるものだから、余計に。
地面に転がったレーグネンが、拗ねたように唇を突き出してこっちを見上げてくる。
「……嫁にするって言ったのに」
「言ってない」
「あの夜に」
「い、言ってない……はずだ」
「生命果てるまでの忠誠を誓った」
「……」
「ならば、最期まで共にいろ。あなたは傍にいるのに理由などいらぬと言ったが……今俺は、理由のある関係を必要としているのだ」
それならば、ただの主従でも良いはずだが……オレはそれについては何も言わなかった。
肩を竦めて、レーグネンの身体を持ち上げる。
「……愛玩動物はもう良いのか?」
「そんなもので終わるつもりは、あなただってないのだろ」
「何で恋人を飛ばして、夫にしたがるんだ、あんたは」
覗き込んだ目を思い切り逸らされた。
みるみる赤くなる頬が、答えをそのまま語っていた。
「……恋人でいるのが恥ずかしいって、あんた」
「ち、ちが――えぇい、もう! ――リナリア!」
「あ……」
レーグネンが名を呼んで初めて気付く。
真横では、副団長の巨体とそれに跨るリナリアが呆れた顔でオレ達を見守っていた。
「恋人から始めたい、ということでしょうか」
「……言うに事欠いて、恋人、とは。ヴェレの分際で」
口々に言われて、手の中のレーグネンを放り投げるように砂浜に下ろす。
レーグネンは赤い顔でリナリアを見上げながら、声だけは平静を保って告げた。
「行くぞ、リナリア! 朱雀にトドメを――いや待て……その前に、アイゼンは――白虎将軍は無事なのか……?」
段々小さくなる声が、失う恐怖で震えている。
リナリアは無言で身を捩り、副団長の背中を後ろへ詰めた。
自分で確認しろ、ということなのだろう。
オレは無言でレーグネンを持ち上げ、そのまま飛竜の背に座り込む。
レーグネンは名のある関係が欲しいと言ったが――この動作が、愛玩動物だからか主従だからか、それとも恋人だからなのかなんて、誰に分かると言うんだ。
半分くらい開き直って、自分の前にレーグネンを座らせたまま、その腰を支える。
背後でリナリアが、冷たいため息をついていた。




