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5 非人道の仕置

 舞い上がった枯れ葉が、ちらちらと降り落ちてくる。

 驚きで誰も動けぬ中、たった1人悠々と両手を持ち上げるたのは、魔王軍四神将軍の一。青龍将軍レーグネン。

 魔王軍を率いる、世に比類なき冷酷なる魔術師――!


「『――見よ、神々のおわす玉座

  広大なる蒼き天空、煌めく宝玉の鱗撫ぜる風』」


 その男が、今、彼の最も得意とする魔術を編み上げようとしている。

 渦巻く風の向こうに、捩れ伸びる側頭部の対の角が見え隠れする。

 少女の甘やかさを失った顔立ちは、いっそ冷酷な程に整っている。どちらかと言えば優しげにすら見える細身の身体はしかし、若々しい力強さを湛えていた。

 白銀の長い髪が艷やかに風に舞う。身体に合わせて丈を変えた白いローブの裾がはためく。

 少女の面影を微かに残す白皙の美青年は、にんまりと笑みを浮かべた。


「『艶冶なる我が下僕、清浄なる碧空の覇者――青龍よ、疾走はしれ』!」


 途端に、彼の後ろから、巨大な塊が森の木々を吹き飛ばしながら空へと駆け上った。

 鳴り響く轟音の中、その巨体を覆う青い鱗だけが妙に輝いて見える。

 波を描くように身体をくねらせて、長い――蛇――いや、龍がたてがみを揺らしながら顔を地面に近付けてきた。金の瞳が爛々と燃えている。

 その鼻先に頬を寄せ、魔物の青年は――青龍将軍は腕を伸ばした。

 差し出した指先に向けて、口を開いた青龍の喉奥から、激しいいかずちが迸る。


 悲鳴もなく、オレの前をちらついていた鬼火がその輝きに飲み込まれ――慌てて閉じた瞼の向こう側が熱と爆音をまともに浴びて吹き飛んだ。


 再び眼を開けた時には、森であった場所には、もう何もなかった(・・・・・・)

 広がる焦土と青空の先に、ようよう雷の範囲から逃れた木々が並んでいる。

 抉れた地面の黒さで、熱量の凄まじさを改めて実感させる。


 気付けば、身体は元の自由を取り戻していた。

 こわごわと、隣を――青龍の居た場所を振り返る。

 既に召喚された四神は役目を終えて姿を消しており、そこには魔物の青年だけが1人立っていた。


「……あんた、魔王軍の……」


 乾いた喉から声を絞ると、紅の瞳がこちらに向けられる。

 変わらぬ不敵な笑みを浮かべて腕を組んだ青年は、ゆっくりと唇を開き、そして。


 ――そのまま、真正面に向かって倒れ込んだ。

 焼け焦げた地面に顔から突っ込んだために、ざばん、と枯れ葉を分ける痛そうな音が周囲に響いた。


「……お、おい?」


 まさか突然倒れるとは思わなかったので、さすがに焦る。

 歩み寄ってみても、白いローブの身体はぴくりとも動かない。


「――あああああ! 主様ぬしさまあああぁぁっ!」


 後方から枯れ葉を掻き分け吹き散らしながら、走ってくる音がする。

 甲高い悲鳴を上げながら駆け寄った緋色の女――リナリアが、地に伏せる身体を抱き上げた。


「主様、主様! 大丈夫ですか!? ……ああっ綺麗なお顔に擦り傷が!」


 ひっくり返したレーグネンの顔は確かに、枯れ葉の端で額だの鼻先だのを擦りむいていた。

 閉じていた瞼が微かに痙攣し、唇が震えながら開かれる。


「……リア、後を、頼む……ぞ!」


 言い残すと、青龍将軍は今度こそ力を失い、がくりと首を垂れた。


「主様ぁ!」


 リナリアの悲鳴が森に響く。

 そして、その彼女の腕の中で、青年魔族の身体がみるみる縮み始める。

 伸びていた角はしゅるしゅると頭の中に引っ込んでいき、最後には影も形もなくなってしまった。

 長く伸びしなやかな筋肉のついた手足は、ただ細いだけの少女のものへと変化し、纏っていたローブもまた少女の身体に合わせて大きさを変える。

 あっという間に元の通りの少女に戻った身体を、リナリアが大仰に嘆きながら抱きしめた。


「ぬ、主様ぁ! あああああ! うわーんっ!」


 あまりの嘆きようだが――傍で見ているオレは、どうも今一つ同情できない。

 結果として、じっとりと冷めた目で見据えることになる。

 つまり、その……大げさ過ぎるのではないかと。

 オレの目の前で目を閉じている少女の口元には、微笑すら浮かんでいるように見える。

 そもそも、その胸元はゆっくりと上下していて――つまり、オレからすれば、何やら良い夢を見て眠っているようにしか見えなかったワケだ。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



「――で、自分が何者か分からないなどと言うのは、嘘だったんだな」


 ただ寝ているだけとは言え、年端もいかない(ように見える)少女を森に1人放置するワケにもいかない。

 たおやかな女1人に運ばせるのも問題だろう。


 結果として、唯一の頼りになる男である(はずだったのだが、実際はそうではないかも知れない)オレが、寝こけるレーグネンの身体を運ぶことになった。別に嬉しくはない。さして重くもないが、面倒なのは事実だ。

 ……重ねて言うが、幼い少女の(ように見える)身体を、他に方法がなく仕方なくどうしようもなくただ運搬の為に移動させたというだけで、何やら良い匂いがするからドキがムネムネしたりなどすることはない。


 小屋の中、つい今朝方まで己が転がっていた寝台に、レーグネンを突っ込んで放っておいた。

 最終的に、少女が目を覚ましたのは夜更けになってからだ。


 ついでに言えばそれは、連日食事に乳粥しか出てこなかったのは、ここにある材料では乳粥しか作れぬからだ、ということがリナリアの案内によって明らかになってからだ、とも言えるのだが。

 リナリアが作ったばかりの乳粥に匙ごとかぶりつきながら、少女は――いや、正真正銘の青龍将軍レーグネンは、唇を歪めた。


「……人聞きが悪い。積極的に騙そうとした訳ではないのだぞ」

「では、何だ」

「自然な風にしておこうと思っただけだ。こんな姿をして『俺は青龍将軍である、ひれ伏せ』などと言ったところで、あなた信じられたか?」


 愛らしい少女の顔で、くくっと笑った。

 確かに本人の言うとおり、寝台の上にちょこんと座った姿は、こうして見ればただの子どもにしか見えない。

 だから、まあ、多分……信じなかっただろうなというのは容易に予測が立つ。それ以上言い募ることは出来なかった。

 少し考えてから、別のことを問うてみる。


「――つまり、少なくとも自分が青龍将軍である、ということは認めるのだな?」

「こうなっては、他に名乗りようもないな。俺の名前はレーグネンな訳だし。あの姿を見られては、今度は『俺は青龍将軍ではない』と言い張るのが難しい」


 何だか煙に巻かれそうな思いがするが――つまりまあ、認めているのだろう。

 つくづく面倒臭いヤツだ。

 もう少し直接的な物言いは出来ぬものか。


「……で、その青龍将軍が、何故こんなところを彷徨うろついているんだ。ことと次第によっては――もしも貴様が王国に仇なすと言うなら、ここで息の根を止めてやるぞ」


 剣の柄に手をかけながら告げると、背後からリナリアが滲み出るような殺意を示した。

 が、寝台の上にあぐらをかいて、乳粥を匙で突いているレーグネンはどこ吹く風だ。


「何をまた。あなた、もう王国守護軍の隊長ではないだろ。王国に肩入れする理由などないではないか」

「王国守護軍を追われたとは言え、騎士たることまで辞めたつもりはない。あるじの益を守るのが騎士であるから……」


 途中でしどろもどろになった挙句、言葉が途切れた。


 ――何が騎士だ。

 騎士などと大仰な地位を与えられたところで、北方人は北方人でしかない。

 王国民から見れば、所詮は奴隷のようなものだ。

 なるほど、オレの姿を見て2人がそうと言わなかったのは、魔王領の者だったからなのだろう。


 かつん、と器の中に匙を放り投げたレーグネンが、寝台から身を乗り出してきた。


「――では、そのあるじとは誰だ?」

「オレの――私の主は――」


 1年前だったなら、誰だと答えたろう?

 半年前なら、また違う答えになっただろうか?

 では、今は?

 密かに生命を狙われ追いやられた今、オレの主とは誰のことだ?


 答えに詰まったオレの頬に、小さな手が伸ばされた。

 滑らかな指先が顎に添えられる。

 顔を上げれば、寝台に手を突いたレーグネンの紅の瞳が、目前にあった。


「そのあるじの座は、俺のものだ。あなたの生命を、俺はあなたの忠誠によりあがなった。既にあなたは俺のもの、だ。違うか?」


 違う、と答えるつもりだった。

 答えられなかったのは、魅入られていたからではない。

 何故か――その紅の色に途方もない寂しさを感じたからだ。


 突き放せば消えてしまうような、絶大な孤独。

 1人きりに――根無し草になった自分を見透かされたような。


 一瞬口を閉じて、そして、我知らず笑いがこみ上げてきた。

 主に仕えていたつもりだったが、多分……オレの生命を狙ったのは、そのどちらかの主だったのだと思う。

 どちらの仕業かは判然とせぬが、問い質そうとする熱意もない。


 ……ならば、ここで主替えをするのも良かろう。

 どうせ道行きを共にする者を探していたのだから。


 オレには絶対に守らねばならないモノがあって、それ以外は所詮上っ面だ。

 だから――オレの誓いなど言葉だけだ。

 今までも、これからも。


「……良いだろう。あんたがオレの主だ、レーグネン」

「よろしい」


 レーグネンは紅の瞳を細め、うっとりと微笑みを浮かべる。


「あなたが忠誠を守る限り、あなたを庇護しよう。青龍の名に賭けて」


 オレは――私は、自分を鎧うように、意識して脳内を切り替える。

 この笑顔にだまされては――ほだされてはいけない。


「我が名は北の民の子ヴェレ――我が剣を、あるじに捧げる」


 頬に当てられていた手を外して右手に乗せ、その甲に口づけをした。

 隊長として、周囲の期待に応えていた時の自分を、無理やり引っ張り出して。


 くすぐったそうに、レーグネンが笑う。


 その表情を、普通は愛らしいとでも言うのかもしれないが……私の心が動くことはない。


 無言、無愛想、寡黙だが戦場では頼れる男。

 それこそがオレ――いや、私だ。

 いつか裏切るならば、仮面の姿の方が相応しかろう。


 かりそめの主従関係など、所詮幻だ……。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 寂れた小屋の中、こうしてオレ達は主従を誓った。

 互いの事情も知らぬまま誓われる言葉に、さして意味などない。

 ただ、言ってみたかっただけだ、多分。

 今ここにいる自分は1人じゃないとか……何かそんなようなことを。

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